時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

1ヶ月すごして 生活篇

2005年09月18日 | Bloomingtonにて
昨日に続き、今日は生活全般について感じたことを。

物価は低い、とは限らない

確かに、安いものは驚くほど安いのですが、全然安くないものもあります。PC関連は安い。服も安い。でも、シャンプーなどむしろ高いかも。本も高い。Amazon.co.jpなどで買うのと、それほど変わらない。ノートも私にとっては必要以上に分厚くがっちりしていて、高い。お菓子もけっこう高い。ティッシュなども、日本の安売りスーパーの方が安いかも。しかも何でも、でっかい箱で売っているものをさらに「4つ買ったら$10!」というような売り方をしていて、「そんなに運べない!だいたい処理しきれない」という場合が多いです。それでないと、お買い得にならない。車もけっこう高いそうです、買いませんが。インターネットの通信なんかも、値下げ競争をしている日本の方が、少ない出費で質のいい環境が得られるでしょう。もちろん、全体としては生活コストは低いですが、学生の身としては、倹約の努力が欠かせません。

持っているものは送ったほうがいい

日本を出てくるとき、「気に入ってるし、もったいないけど、送るの大変だし、むこうで買えばいいから」と、たくさんの物を捨てました。しかし、できるだけ全部送ればよかった。一つ一つ買い揃えるのはお金がかかるし、探して運ぶ手間も大変。気に入っていて持って行けば使うと思うものは、送る金がかかっても、送るべきでした。(ただし、私のように4年以上いるつもりという場合ですが)でも思えば、選んで、重さを量って、きっちりつめて、書類を書いて、計8箱仕上げるだけで、もうへとへとでしたから、まあ、これが限界だったかも。

美味いものがある!

まず、パンは選択肢がとても多く、中には美味しいものがある。とくにハムやチーズに合うパンが、とても安いので、ずっとパンでも悪くないくらい。現在ほぼ完全に自炊ですが、月$100もかからないで、とてもおいしい物を食べ続けられそうです。賢くやれば、食生活で体調を崩す心配は、なさそう。またこの間報告したように、ダウンタウンには各国料理で美味しい店があるようです。でもBloomingtonにある日本料理屋でおいしい所は、今のところ聞きません。ジャムは日本の(アオハタの)ものの方が、断然美味い。コーヒーも日本が上。

アメリカにいても、アメリカことは分からない

TVがない(見てしまうし、場所も電気も食うので買わないことにした)、ということもあるのでしょうが、自分からメディアに触れていかないと、この国で何が起こっているのか全然分かりません。授業に出ているだけだと、ひたすら勉強と生活のことで日々が過ぎていきます。今日の天気ですら分からない。気がついてからは、朝必ずNPRとNYTimesのWebにざっと目をとおすようにしています。

かかっている音楽が、古い

これは大学篇に書くべきだったかもしれません。学外のお店もそうですが、若い人が中心のはずの学内から聞こえてくる音楽すら、もう20年くらい(あるいはもっと)前のものが多いのです。まあ、私がそこらへんに詳しくて気づいているということもありますが。たとえばJourneyとか、Bostonとか。古っ!! ちょっと不思議。どういうことなのかはまだ分かりません。

(おまけ)INDIANAと書いたTシャツを着ている人が多い

学内でもまあ着ている人は多い。でもスーパーの買い物客などの中に一人や二人必ずいる。学生ではなくて、ふつうのおじさんとか。BloomingtonはIUBがあって成立したところですし、その人も大学の職員だったりするかもしれませんが。でも、たとえば前橋でスーパーに買い物に行って、「群馬」と書いたTシャツを着た人に次々出くわしたら、妙な感じがしないでしょうか。(群馬の方すみません。でも、インディアナ州はやはり「東京」や「大阪」だったりはしないので。たとえば、です。。。)

まだ、1ヵ月を過ごしただけの印象です。これから認識を改めることもあるかも。そうしたら正直に訂正報告をいたします。

ところで、昨日(9月16日)、日本から船便で送った荷物が届きました。日本で搬出したのが7月29日ですから、1ヶ月半をちょっと越えます。ただ、シアトルからは陸路で一週間ですから、西海岸ならもうちょっと早いでしょう。写真は勉強机周辺。奥に台所が見えるとおり、実際はこの部屋の作り付けのダイニングテーブル。これを見て、机を買わないでも何とかなると思ったのも、この部屋にした理由の一つです。

1ヶ月すごして 学内篇

2005年09月16日 | Indiana大学
来てから1ヶ月がたちました。とりあえずここまで体調を崩さず無事に過ごせてほっとしています。日本から送った船便も、税関を通過し、シアトルから陸路インディアナに向かっているそうです。さて、今日はここまで一ヶ月を過ごして分かったことを雑駁に書きます。よく知られていることもあるでしょう。何かを発見した、というのではなく、来て実感したことだとお考えください。けっこう多くなったので、二日に分けます。今日は主に大学内に関することを。

キャンパスは広くない

始めて訪れたとき、「さすがに広い」と思ったものです。しかし、授業が本格的に始まってみると、あまりに学生数が多い。これくらい広くて当たり前。それでも授業と授業の間、キャンパス内の小径は人の列ができます(写真参照)。どの施設も人があふれ、図書館のコンピュータも空き待ち続出。宿題がどんどん出るので、仕方がない。人数に比して完全に不足。もっと校舎作れ、もっとPC設置しろ! と言いたくなります。

いるだけで英語は上手くならない

やはり英語は重要です。英語ができないと発言できないし、アシスタントなどの職ももらえない。死活問題です。授業を理解するのは、比較的易しい。問題は学生の発言やおしゃべり。やっぱりネイティブの話すスピードは速い。それに伍していくのは容易ではないことが分かりました。また、もごもご聞き取りにくい人も多い。しかし、ただ授業に出ているだけでは、「一日中英語に触れている環境」というには程遠い。そもそも、授業は数時間で終わり。図書館、アパートのいずれにいるせよ、一人で勉強している時間がかなり長い。どんどん人の輪に入っていって、話さないとダメらしいです。今は、まだ下手でも気にせず発言して、授業前も早めに教室に行き、できるだけネイティブの学生と話すようにしています。

早起きでよく働く

みんな早くから働きます。学科長のDavis先生や社会言語学のAuger先生からは、朝8時前にメールが来て、びっくりします。「もう仕事始めてるよ。。。」 学部の秘書のマリリンも、8時には来ています。(そのかわり、5時になったら、ぜーんぶ閉めて、さようなら。)どの先生もかならず授業前に教室へ来て準備をして、時間になったら始めて時間が終わるまでやる(でないと、高い授業料を払っている学生から文句が出るのでしょう)。わがアパートの管理スタッフは、週末も朝早くからあちこち回って芝刈り(寝坊できない)。UPSのドライバーは日が暮れる頃まで荷物を持ってあっちこっちへ。全体的にここにいるアメリカ人はけっこう働き者なように見えます。

意外といるスモーカー

先進国の中では例外的にまだまだ喫煙率が高い日本に比べ、スモーカーは少なかろうと思ったら、けっこういます。やっぱり職業でかなりはっきり分かれ、肉体労働従事の人の喫煙者は普通。うちのアパートの管理スタッフ、電話工事の人、学内清掃のおっちゃん・おばちゃんも、サボって一服。でも学生でも男女ともに、いなくもない。まあ、あらゆる建物が完全禁煙なので、目立つのかもしれませんが。そして、平気でそこいらに吸殻を捨てる。アメリカには吸殻が落ちてないな、と最初思ったのですが、そんなことはない。広いから目立たないだけでした。あります。でも学生でタバコを吸っている筆頭は、たぶん韓国人(の男性)。ちなみに韓国人かどうかは、つるんでべらべら韓国語で話しているので、分かりやすい。

明日は、「生活篇」の予定です。では。

9月11日 続報

2005年09月13日 | Bloomingtonにて
昨日、「期待していたら空振りの9.11をすごした」という話を書きました。簡単に続報を。学校のあちこちに置いてある日刊のある学内新聞、INDIANA DAILY STUDENTに関連する記事が載っていたのです。

見出しは、After 4 years, Sept. 11 doesn’t inspire US events. 記事は、以下のリンクで読めますが、すぐ更新されて読めなくなるでしょう。一部を画像として貼り付けます(著作権法違反かも。。。)
http://www.idsnews.com/subsite/story.php?id=30972

趣旨は、IUの学生がKatrinaの被害者を受け入れるなどの準備に一生懸命で、今年は9.11に対する意識が低いようだ、というもの。さらに、それをわりと肯定的に語っています。「Bush大統領が言い続けているように、我々は悲劇を乗り越えて踏み出さねばならない、そして、新たな悲劇が起きた。そちらに目を向けて懸命になるのは、いいことだ」というような理由でした。

気持ちがNew Orleansのほうに向いていたというのは、予想通り。またそもそも、多少気持ちの中から9.11が薄れつつあるというのも、インタビューを受けた学生が認めるところのようです。惨事があったこの日を「記念日」や休日とするのには抵抗がある、という既述も。ただ、9.11を忘れたということではなく、5年、10年と経っていくとまた新たな意味づけがなされるだろう、ということです。誤解した要約でないといいのですが。

ということで、昨日街に出て感じたことと、比較的近いニュアンスだったので、興味深く思い、報告しました。

9月11日

2005年09月12日 | Bloomingtonにて
今日は9月11日でした。日本の総選挙のことはこちらでもかなり大きく報道されており、よく耳にするLandslide victoryというコトバが使われていました。また、郵便局については$3trillion(300兆円?)の資産を有する世界最大の財務機関だという紹介が(NPRの短いラジオニュースでも)されていました。すごいですね。郵政の民営化が(賛成・反対いずれの人にとっても)重大である理由が分かるというものです。

ところで、9月11日です。この日にアメリカにいる、ということで、ちょっと期待していました。人々がこの日を迎える様子や気持ちが身近に感じられるのでは、イベントがあったりするのではなど。で、あのテロが起こった時間帯にと思い、朝から昨日学校においてきた自転車を取りに行くついでに、ダウンタウンに出てみました。

でも、静か。何事もない平和な日曜の朝です。とくに何かが行われているフシはありません。写真はダウンタウンにあるメソジスト教会で、人が集まってきていましたから、中では牧師さんが関連させたお話をしているかもしれません。その教会の裏口方面で、何かイベントの準備をしている様子でした。若い人が集まって、椅子やテーブルを出して。名札を首から下げたおばさまに尋ねてみると、この後ゲームをしたり踊ったりという「楽しい催し」があるとの説明。”Happy day!” と付け加えてくれました。どうやら、人を悼むという雰囲気ではなさそう。

ということで、今朝ちょっと見てきた限り、4年前の9.11を振り返るという趣は見つかりませんでした。現在の関心としてはKatrinaの方が大きいのかもしれませんし、そもそもあれはNYの話ではあります(マスメディアの報道はもちろんありますが)。残念、ということはありませんが、こんなもんなのかなあ、という印象です。この街の人から9.11は縁遠くなっているのか、そもそも余所事ということなのか、そうではなく本当は心の奥に沈潜しているのか、せっかく4年以上いるのですから、決め付けず、今後も観察していきたいと思います。

ちなみにKatrinaの被害者の一部がIUの施設に避難してきているという話を聞きました。また、IUと、New Orleans の大学両方に合格したが、むこうを選んだ学生のうち一部から、IUに入学させてほしいという申請が来ているそうで、一部受け入れ始めているのだそうです。

出会いのチャンス

2005年09月11日 | Indiana大学
投稿が滞ってしまいました。確かにとても忙しかったのですが、充実もしていました。一週間経って、ちょっとだけ余力がありそうな気がしたので、本当は出たかった授業を聴講することにしました。これが大成功。担当は若くて、とても優秀なPaolillo先生。正直、授業の進め方などあまり上手とはいえませんが、内容がすばらしい。

テーマは「言語学のための統計」。基本的統計量から始まって、最後にはMDSなどの多変量解析や、社会言語学で有名なVERBRULまでという、以前から習得したかった技術満載。コンピュータ教室には、SAS、SPSS、AMOS、Matlabなどなど、統計、プログラミングのソフトがそろっていて、がっちり勉強できそうです。聴講生も同じ扱いで宿題を課すのですが、おもしろい課題で、木・金で気合を入れてやりました。

このあと宿題・レポートが本格化してくると、とてもきつくなるのだそうですが、一つ一杯まで自分を追い込んでみようと思います。ちなみに、現在出席している授業全てで、日本人はわたし一人だけです。これは、ちょっと意外。

もう一つ、今週で面白かったのは、米軍からの「言語学科ご指名」の求人。「言語学の学位取得予定の人を募集しているので、オリエンテーションに来てください」というメールが、繰り返し事務局や学科長から届きました。わたしはアメリカ市民でもないし、学位もまだまだ先の話なのですが、いったいなんだろう、ということで、同じ一年生のBartに聞いてみました。
「どんなことをさせるつもりなんだろう?」「たぶん、英語を教えるとか、あとは翻訳とか、いろいろ考えられるよ」「情報通信関係の求人が多いけど、言語学もまあありえなくはないね」だそうです。やっぱり軍隊のある国なんだなあという感想。

週末は、ちょっとだけ、勉強以外のこともしました。昨日(金曜日)は、日本で知り合った「公共・環境経営学部(SPEA)」の方が言い出してくれて、知り合いの日本人4人で食事。行ったのは、FALAFELSという、たぶんイスラエル近辺の料理を出すお店。店の名前になっているFalafel(すりつぶしたヒヨコ豆をコロッケみたいに揚げたもの)が名物ということでしたが、チキン、いろいろ入ったマッシュポテトなど、みんな美味しい。驚いたことにダウンタウンには美味しいものが食べられる店があるようです。期待していなかったので、喜んでいます。国費留学のお役人の留学生(日本で話題だそうで)の知り合いもでき、会話もはずみ、楽しい夕食でした。

今日(土曜日)は図書館で夕方まで勉強して、そのあと東アジア研究会主催の映画上映会へ。Old Boyという韓国映画が上映。。。のはずだったのですが、機材が動かせず、20分くらい待たせた挙句、担当の学生がみんなに謝って、おしまい。みんなとくに文句も言わず、三々五々。で、私は、知り合いの日本人の方の仲間の、応用言語学科の学生に混ぜてもらって話しをしていたので、そのままコーヒーを飲みに行っておしゃべり。

メンバーは、韓国、トルコ、日本、アメリカとばらばら。ちなみに、アメリカ人が英語教師になってどうするのかと思って聞いてみたのですが、移民とか、英語を話せなくて教育の必要がある人はいくらでもいるとのこと。考えてみれば当たり前でした。彼らは、話好き、みんなで遊ぼう!感覚。でも、アメリカにいる学生の気質としては普通でしょう。むしろ再確認するのは、われわれ言語学科の特殊性です。

わたしは、アジアの人を除き、どうにも学科の誰にも話しかけてもらえず(あいさつだけ)、「やっぱり日本人は見下されるんだろうか」と思っていたのですが、そうではなく、わが同級生は全体的にシャイなようです。さきほどのBartなども、話しかければやさしくいろいろ話してくれるんですが、そうでないと絶対話しかけてきません。そうでない人もいるのを承知で強引に一般化すれば、
応用言語学科:先生志向の人が多いからか、基本的に人が好き。
一般言語学科:一人で勉強しているのが好き。よく言えば学者っぽい、が、つまりはオタクっぽい。

今は意識的にがんばって人と交わろうとしていますが、私も基本的にはこもって一人で好きなように勉強していたいタイプ。「類は友」というか、国は違えど、似たような気質の人たちと一緒にいる、ということのようです。でも、ここ数日で分かったのは、日本にいてはなかなか接点がない人たちと出会うとてもいいチャンスなのだということ。余裕があるかぎり、できるだけ多方面に出会いを求めていこうと思います。

作って、食べる

2005年09月03日 | Bloomingtonにて
先日のハリケーンKatrinaについては、日本でもかなり報道されていたようですね。Katrinaは、そのあとたんなる低気圧になって、インディアナに来ました。一日中強い雨で、キャンパス内の小川は濁流となり、水があふれ、バスも遅れるし、雨にぬれた身体で冷房の効いた教室内にいると、寒くて仕方ありませんでした。どうしてこんな日にもがんがんに冷房?

その前日、意を決して「カレーを作る!」と、買い物に行きました。それほどまでカレーが食べたかったのか、というと、むしろ、「ハムやベーコンとチーズ以外のものが食べたい!」という気持ちでした。いっぺんに材料を揃えると出費も痛いし、自転車では運びきれないので、一部の材料は省略。

パスタを作るときに買ったにんにくと、クローブ、ベイリーブスをベースにして、玉ねぎと、セロリ(繊維質が取りたかった)を炒めました。油もあれこれ買い置きすると大変なので、オリーブオイル。ターメリック、クミン(コリアンダーは高かったので我慢)を入れて、牛の挽肉を炒め合わせました。缶のトマト、ひよこ豆の水煮(これが、50円くらいと安かった)を入れて煮込み、ブイヨンキューブで味付け。カイエンペッパーの代わりに、アジア食材マーケットのSARAGAで買っておいた、コチュカル(唐辛子の粉、だからおんなじこと)を入れました。完成。

うまい! てゆうか、もう、うまいということにしておこう! 久しぶりに自分のカレーを食べられて、大満足でした。今日作った第2作目の写真をアップします。

Bloomingtonへ来てすぐのときは、時差のせいで眠れない夜が続いて、いろいろと否定的なことを考えがちでした。それが変わったのが、週末買い物に行って、まあまあおいしい物を食べられるようになってからです。それで気持ちも前向きになり、なんとなくやっていける気になるのですから、単純なものです。でも少なくとも私にとって、食べ物は頑張るためには大切なことのようです。材料を少しずつ増やして、作れるメニューを増やして行こうと思います。

授業は最初の一週間が終了。「まあ、こんなもんかな」という印象。授業内容は基本的。知っていることが多い。学生はよく発言する。「そんなもん先生は知ってるだろう。教科書に書いてあったじゃん」ということも、手を挙げてしゃべる。でも、それがアメリカの授業なんでしょうね。違和感を感じつつも、議論の展開が納得行かない箇所があり、発言しました。それは次回。