時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

口の中が痛い理由

2012年10月25日 | 
数日前から、娘が水を飲むと顔をしかめて「しみる~」と言うようになりました。その日、嫁さんと作ったアップルパイのまだ熱いのをうっかり食べて熱がっていたので、口の中の火傷か、と思っていたのですが、娘が申告する辺りをさぐっても何も発見できず、理由が分からないまま。昨日の朝、まだ痛いと言っていたので、歯医者に行くことに。

診断の結果は........ 口内炎。

場所が右のやや奥のほうの歯の外側の歯肉の部分。隠れて見えなかったもよう。歯医者さんは「こりゃあ痛いよね~」。

思い起こせばここ数日、幼稚園から帰った後、私と一緒に、スナック菓子をおやつにぼりぼり。とくに娘が気に入って二人でたくさん食べたのが、かつて、中部地方ではおなじみの「しるこサンド」。小豆あんをはさんだビスケット(今回食べたのはクラッカー)です。

私は、体調が落ちたとき、あるいは大して落ちていなくても、甘いものを食べ過ぎると、必ずといっていいほど、口内炎になります。甘いものは大好きなのですが、これがあるので、控えるよう留意しています。でも、たまたま家に糖分の高いお菓子が大量に持ち込まれたりして、油断してばかすか食べたりすると..... もう、ほとんど百発百中。口内炎に一週間ほど悩まされます。

気づいてみると、私にも口内炎。それも、ほぼ同じところ。二人そろって、発症の理由は、甘いものの食べすぎに間違いありません。

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先日、娘を含めた年少組の子たちが、幼稚園帰りに公園で遊んでいるとき、別の子のおかあさんと、しつけの仕方の性格への影響の話に。逡巡しつつ「学問的な成果によると、性格とか能力とか、多くのことは、遺伝で決まる部分が非常に大きいそうです。成長した子を見て、『ああやって育てたからこんなふうになったか....』などなど悩んでしまうものだけど、実際には『どのみちこうなったはず』ってことらしいですよ。」と言ったら、驚かれました。

子育て本のような情報を見ていれば、環境の影響が大きいのでは、と思ってしまうのは当然ですが、娘を見ても、既に親の遺伝の兆候が種々見られます。しかも、何の得もない、妙~~な特徴が遺伝してるもので、たとえば、嫁さんににて若干はだが弱い、私に似てそばかすができやすそう。そして今度は口内炎のできやすさとその理由が父譲り。申し訳ないことながら、一生背負ってもらう他なさそう。でもまあ、甘いものを抑制せざるを得ないので、太り過ぎは避けられる、というのをメリットだと思ってもらえば、いいのかもしれません。

記憶の断片

2012年10月10日 | 
日々の記憶がつながりをもち、過去の自分と今の自分とが継続した同一の存在で、周囲の人や物もそうであると認識するようになることを、「物心がつく」と言うとすれば、私はたぶん4歳ごろ。それ以前の記憶は、寒い日に母と銭湯まで歩いたこと、近所の年上の子に乱暴に扱われて泣いたこと、その子が火遊びをして裏山が火事になり、母親に知らせに行ったこと、火傷で入院した弟の看病のため、親戚の家に数日預けられたときの不安な気持ち、など印象的な場面だけがぼんやり、断片的に思い出されるのみ。

やっと朝夕が涼しくなってきた先日の朝食時、娘が飲む牛乳を温めて出すと「これを飲むと、アメリカで、お母さんが作ってくれた甘~い、おいしいお茶がまた飲みたくなる」と言い出しました。

これは、Bloomintonで過ごした最後の一年に住んでいたアパートのご近所だった、スリランカ人家族のお母さんが時々作ってくれていた、ミルクティーのこと。もう一年以上前、3歳になるかかどうか、という頃のことです。4歳になり、だいぶん記憶がつながるようになってきたように見える娘ですが、アメリカのことはあまり覚えていないのか、ほとんど話しません。でも、たまたま、このことは覚えていたらしい。

お父さんが数学科のPh.Dの学生だったこの一家の、当時まだ1歳のガヤ(男の子)は、うちの娘を Kaede-akki (シンハラ語で「かえでお姉ちゃん」)と呼んでなついてくれました。Bloomingtonの長~い夕方、仕事に一区切りつけて娘とガヤ(ご夫妻はpute(息子)と呼ぶ)が遊ぶのに付き合い、嫁さんはお母さんとおしゃべり、ということがよくありました。嫁さん同士は今でもときどきメールを交わしているようです。

このお母さんが入れてくれるのは、インドや近傍の国の人がよくそうするのと違って、シナモンやカルダモンなどのスパイスは入れない、たんなるミルクティ。でも不思議に、われわれには真似のできない味でした。だからでしょう。娘はBloomingtonにいるときも、「また飲みたい」とよく言っていました。温めたミルクの甘さで、おいしい紅茶を飲ませてもらった、(たぶん)幸せな記憶が思い出されたというのは、私たちにもうれしいことです。

Domino

2012年10月09日 | 日本のくらし
運動会の日の午後、昼寝をしなくなってきた娘が、ほんのちょっとの昼寝で目を覚ましたので、すぐ近くの「児童センター」へ。下校後の小学生や、就学・就園前の小さい子が遊ぶスペースと道具があり、遊びを指導し、イベントを企画する職員がいる(みんなは「先生」とよぶ)。

娘は降園後、ほとんど毎日ここへ。親が自営で忙しかったので、お客さんも含めてみんなで育ててもらった、という嫁さんに似て人なつこい娘は、みんなに覚えてもらい、かわいがってもらっています。住んでいたBloomington市にもCommunity Centerと呼ばれる、この児童センターとほぼ同じ構成、機能の場所がありました。

平日なら、連れてくるのは私の役目(幼児なので保護者はいなくちゃいけない)。休日のこの日、久しぶりに家族3人で行ってみると、ドミノを並べている女の子(小学生)二人。最初に娘が参加、嫁さんも参加して、最後は私も。でも、女の子が倒し、嫁さんが倒し、「なにやってるんだ」と非難していた私が倒し。。。 完成させるまで倒さないのがいかに難しいのか、知りました(やったことがなかった)。ともあれ、手伝うつもりだったのが、足手まといになってしまったのが申し訳ない。

5時半が近づき、女の子は帰る時間が迫ってきたけど、もういちどだけ挑戦、なんとかできたのが写真のもの。まず右奥のベンチからドミノが落ち、もう一つのベンチの足の下のハートを倒したあと、二手に分かれる。私が作ったのはさいごの渦巻。いたずら心を起こしてドミノの周りを飛び回る男の子たちを斥け、今度はなんとか崩さず。娘も最初のピースを倒すのに加えてもらいました。

結果は写真のとおり。みごと全部のピースが倒れました(厳密には、椅子の上から落ちたところで倒れなかったピースが一つ)。これでたぶん200ピース弱。大喜びの女の子を見て、こちらはホッとしました。



運動会で

2012年10月08日 | 日本のくらし
娘の幼稚園で運動会がありました。私は、足の指の骨にヒビが入っているので、抑え気味に参加。娘はというと、まず、クラスで2番目に背が低いことが判明。本人は背が高くなりたいはずですが... ともあれ、友達と楽しそうに話していて安心。

最後の種目はリレー(5歳児)。紅白に分かれてスタート、逆転・再逆転の好レース。閉会式が終わって、保護者も手伝って片づけ。テントをたたみに行くと、たまたまリレーで負けたほうの子たちのところだったらしく、一部の女の子が、もう、ホントに、号泣。。。 勝てなくて悔しかったらしい。

担任の先生が、たしか「君たちはよくがんばった。でも人生では負けを受け入れることも重要」というような趣旨のことを、熱く伝えていて、さらにびっくり。これは、中学あたりのスポーツチームか何かが大会で敗退した後かと。そういえば前日に配られた文書に、「年長さんたちについては、真剣にがんばっている姿を見てやってください」とあったのですが、どうやらそれは、まったく水増しなしの、大真面目な話だったらしい。幼稚園の年長でもうこんなふうになるものなのか~と驚嘆。

それまで子供と接する機会がほとんどなかったので、ここまで4年、子供との関わりを通して初めて認識することだらけですが、今回もまた衝撃的。うちの娘もあと2年経つと、こんなふうに物事に取り組むようになったりするものなのだろうかと。今は、まだぽわ~んとして、「どうぶつ将棋」で親に負けて泣いたりする程度。これは単に、個人のタイプの問題?

特別な趣向があるわけではない、ふつうの運動会でしたが、その実現に向けての教職員や保護者の努力には頭が下がるものがありました。とくに「父母の会」と呼ばれる、保護者の一部から構成される集団の働きぶりは大変なもの。予定通り、安全に終えられたのですが、たぶんヒーローは彼ら。関東方面からわざわざ来てくれた義両親も喜んで、写真を撮ってましたが、しばしば他の子を撮ったり、頭が切れたり。その写真を載せてみました(左が娘)。