TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 426

2023年04月09日 | エッセイ
 最近リトルリーグのニュースを見たり聞いたりしなくなった。長男に聞いても全く知らないと云われた。彼が小学校4年の時に誘われて地域のリトルリーグのチームに入った。その時、私もコーチとして手伝って貰えないかと監督に頼まれ、長男が小学校を卒業するまでの3年間をコーチとして毎週日曜日にグラウンドに通った。

 少年野球の使用球は軟球だが、アメリカに本部のあるリトルリーグでは硬球を使う。軟球と違い、硬球は4年になったばかりの長男には握り切れないほどの大きさであり、重さであった。それでも何とか受け、なんとか投げた。

 コーチを引き受けた当初、練習用のグラウンドの確保が難しかった。それで、毎週他のチームと試合を行っていた。グラウンドを確保したチームが試合を申し込んでくるのだ。我々のチームには常時使用出来るグラウンドがなかった。試合だけで、練習出来るグランドがなければ、試合に出られる子供たちしか野球が出来ない。仮に練習が出来るとしても、試合の始まる30分ほどの時間しかなかった。

 当時の私は日本政府から派遣されてアメリカの空軍に勤務していた。私が勤務していた基地の司令官に面会の約束をとり、なんとか子供たちの練習場を確保して頂けないかとお願いした。彼はしばらく考えて、少し遠いけど埼玉県でもいいかと聞かれた。具体的な場所を伺うと、アメリカ陸軍の病院の近くだった。日曜日の朝なら、車で一時間はかからないで行ける場所であった。「是非ともお願いします」と云うと司令官はグラウンドを管轄している責任将校にすぐに電話をして了承を取ってくれた。これで、毎週日曜日には時間の制限なしに練習が出来ることになった。

 その場所には野球場が二面あり、もう一か所では親がアメリカ陸軍に所属している軍人と軍属の子供たちが練習をしていた。それで、午後からは二面とも使い、一軍と二軍に分かれて試合をやった。私の息子が二軍のピッチャーをやる事になった。試合が始まると、驚いたことに三者連続で三振を取った。息子にそのような才能があるわけはないと、彼の投球をじっくりと見て、連続して三振を取った理由が分かった。小学校四年生になって間のない、しかも早生まれの彼にとって、硬球は大きくて重すぎたのだ。一生懸命にホームに向かって投げても、途中で失速してしまい、ホームベースの少し手前で落下してしまうのだ。連続して落差の大きいフォークボールを投げているようなものだった。

 写真仲間と井の頭自然文化園に行った。桜がきれいだった。またその他にもきれいな野草が花を咲かせていた。本来は動物を撮るのが狙いだった筈だが、帰宅してパソコンに写真を取り込んでみると、花の写真の方がずっと多かった。変われば変わるもんだ、とコロナ禍で私の撮影内容の変りように驚いた。













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