TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

TDY, Temporary Duty ビルマ編 3

2013年09月16日 | 旅行
 ビルマはかつて英国の統治下にあったからなのか、比較的英語が通じる。而し、ビルマの英語に慣れるまでは苦労した。
 空港で顔を合わせたアメリカ人と、ホテルのバーでまた会った。お互いに名乗った後で「取引先の社長の云っていることの半分も理解出来ない」と私がぼやくと、彼は笑いだした。「初めてビルマに来た時、ビルマ語って英語に似ているな」と感じたそうだ。相手が一生懸命に英語で話しているのに、それが英語に聞こえなかったらしい。彼が丁寧に説明してくれた。「ビルマの通貨のチャットですが、Kyatと綴るのを知っていますか?彼らの発音はトウキョウではなくトウチョウ、キョウトではなくチョウトなのです。それと、イエスとノーが日本人と同じで、我々と違います」。説明を聞いて全てが分かった。「明日は材木置き場に行きますか?」と聞くと「はい、行きません」と答える。英語の返事では「いいえ、行きません」の筈だ。この辺のところを注意深く聞くようにすると、ビルマの難しい英語も何とか理解出来るようになった。

 ついでなので、ビルマの通貨について話したい。空港の税関を通るとき、日本円、或いはUSドルを幾ら持って入ったかを申告書と照らし合わせながらチェックを受ける。これをビルマの通貨のチャットに換えるには政府から許可された銀行か政府の経営するホテル以外の処では出来ない。もし15万円持って入り、5万円分をチャットと交換すると、私が持って入った申告書にそのことを証明し、残額を10万円とする。そして、出国する際に、申告書と私の持参金と照合させられる。合わなければ大変なことになるらしい。即ち、正規のチャットではなく、闇のチャットを買ったとみなされる。

 ホテルで、取敢えず10,000円を交換した。約430チャットと小銭が汚い紙幣と角のすり減った硬貨で手渡された。取引先との約束に多少時間があったので、ホテルの近くのマーケットに行き、アメリカ製のタバコのウィンストンを買った。代金は40チャットだった。日本円に直すと約920円だ。とんでもない金額だ。確か当時のセブンスターは200円ちょっとぐらいだったと思う。交換レートがバカ高いのに恐怖さえ覚えた。
 取引先が時間になってもまだ来ていない。ホテルの玄関から一歩外に出ると、ビルマ人のおじさんが来てそっとささやいた。「チャットは如何ですか、ホテルでは10,000円で400から450チャットでしょ。私なら1,500チャット上げます」。3倍なら悪くないと考え、そっと頷いた。そうすると待たせてあった車に乗せられた。ホテルの近くを一周する間に取引を終えた。戻ってくると、取引先の社長のミント・ウーが従弟のタン・アンを通訳として連れてきた。ビルマ人ではないようなきれいな英語と、片言の日本語を話せた。彼らは私がポンコツ車から降りてきたのを見ていたらしく、ものすごく怒った。私の身を案じてくれてのことだった。私がいい取引をしたのだと説明すると、タン・アンは「あなたは騙されました。相場は10,000円で5,000チャットです。今度チャットが必要なときはミント・ウーさんに云って下さい」と云われた。ホテルで換えたら1チャットが約23円、ミント・ウー社長に頼めば1チャットが2円。公定レートと闇レートの差がこれほどある国に来たのは初めてだった。

 帰国の日がやってきた。入国の際に申請した金額から公式に差し引かれた金額、つまり正式にビルマ通貨との交換に要した金額の残りが現在の所持金と合わなければ出国出来ない。私は申告額の中から10、000円で闇のチャットを買っている。10、000円の不足である。財布を調べられている順番を待つ間「同じ札を二度数えればいいさ」と腹を括っていたが、順番が近づき、前の方を見て「こりゃ、ヤバイ」と心臓が高鳴った。旅行客に数えさせずに、係官が数えている。何とかしなければならないが、方策は全くなかった。とぼけるか、どうでもしろと居直るしか手はない。こんな事で銃殺されることもないだろうと考えた。三、四人で順番が廻ってくる。このTG306便で出国出来ない事を考えた。私は常に最悪の事を考えて対処することにしている。そして次の打つ手を何種類か用意すればいい。而し、今回は打つ手がなかった。
 私の前の、前の旅行客にかなり時間が取られた。16時40分の出発の時間が迫ってきた。一人の係官が滑走路の方から走ってきた。そして何か云った。手間取っていた男を「もう、いい」と云って通した。次の客には自分で紙幣を数えさせた。滑走路から走ってきた係官が私に「数えろ」と云った。私は財布から紙幣を出し、最後の一枚を二枚に折り曲げて同じ札を二度数えた。頭の中で考えてきたシュミレーション通りにやった。無事通過した。
 帰りの飛行機で、タイ人から聞いた。「申告しない現金をポケットの中に忍ばせておけばいいのです。ポケットの中までは調べません」。次回はこのようにすることにした。



 政府のチーク材置場。ご存知のように、チークは船の内装やビルの壁材の貴重な材料となる。世界でビルマのチーク材が群を抜いて良質である。この材木を輸入するには、政府に法外な証拠金を預け、応札の権利を受けてから入札する。決して安い値段ではセリ落とせない。そのような政策を取っていたので、世界中から相手にされず、日本ではチーク材を使わなくてもいいように設計そのものを変更してしまったそうだ。そのせいか、古いチークの廃材置き場のようになっている。
 上の写真は右がミント・ウー社長。左がその従弟のタン・アン。彼が私にそっと云った「ミント・ウーとは大きい男の意味です」。そしてクスリと笑った。



 カリンの丸太を求めてラングーン(現ヤンゴン)から北へ30キロのほどの処にあるトゥングーンに行った。距離はわずかだが、道が悪いので2時間ほどかかった。
 途中で見かけた子供だけの店。サトウキビを絞り、それを冷やして売っていた。旨そうだったが手を突っ込んでかき廻していたので遠慮した。



 トゥングーンのタクシー配車センター。客の方で此処まで歩いてくるのが普通だが、特別の料金を払えば此処から客の処に急走する。



 帰りに寄ったドライブイン。家族総出で歓待してくれた。南国のフルーツと冷えたココナッツ・ジュースがおいしかった。だが、パパイヤは何故かタイのものより味が落ちた。



 中華料理店のパンダで材木商のココ・ジィー(中央、大きな長兄の意)に夕食をごちそうになった。右が長女のモー・モー。ラングーン大学の学生であるが、1988年の暴動以来学校は閉鎖されたままであった。日本に連れて行ってくれと云われているが、それほど簡単なことではない。申請すれば、誰でもパスポートは取得出来るが、それを政府が全て預かることにしている。政府の気にいる出国理由がなければ返して貰えない。



 パゴダの中でじっと瞑想にふけっているお嬢さん。ビルマの国民は一生のうち、必ず一度は頭をそり、僧の修業をする。中には複数回の修業をする人もいる。一般の人々は非常に信心深く穏やかである。ミント・ウー社長も、パゴダの前を通り過ぎるときには車の中から必ず手を合わせる。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
宝石見つけ放題、ウソみたい!! (赤木紀み子)
2013-10-01 11:56:57
チャットに換金するのが。随分と良い加減ですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。