ベトナム戦争真っ盛りの頃、私はまだアメリカの空軍に勤めていた。ベトナムの傷病兵を専門に収容している病院のパーティーに招かれた。日ごろ傷病兵の治療や看護に追い廻されている軍医や看護婦、それに病院の職員たちでパーティーは盛り上がっていた。当日の当番医と看護婦は悔しい思いをしたであろう。
あまり酒の強くない私がトイレに行くと、頭に包帯を巻いた兵隊と一緒になった。ほぼ私と同じ年頃であった。目が合うと、彼は「楽しそうだな」と云って私にウィンクをした。傷病兵の前で楽しそうにしては悪いと思い、あいまいに返事をした後で聞いた。「傷の具合はどうだ?」。ヘルメットを貫いた弾丸は彼の頭に沿って飛び、後ろから抜けて行ったそうだ。「弾は俺の頭皮を削ったので、その部分の髪は今後生える見込みはないと軍医に宣告されたんだ」と寂しそうに云った。私はなんと云えばいいかわからず、ただ「アイム・ソリー(お気の毒に)」と云うしかなかった。トイレから出て、別れるときに彼は云った。「俺は何のために戦い、何のために負傷したかわからない」と悲しい目をした。傷が癒えたら、またベトナムの最前線に戻るつもりだと云った。彼は少尉で分隊長だそうだ。負傷したので国に帰ることも出来るが、部下を放って自分だけ故郷に帰るわけにはいかないとも云った。彼は私ともう少し話したがっている様子だったので、カフェテリアに行くことにした。
コーヒーを飲みながら彼は云った。「日本人の貴方になら安心して話せるが、我が軍に勝ち目はないよ。部下たちも、俺のいないところでそんな話をしているみたいだ」。兵士に勝ち目がないと思わせるような戦争は絶対に勝てないと私は確信した。彼は家族の待っている故郷に一日も早く帰りたい、だが部下たちのことが心配だと何回も繰り返して私に云った。なんと云って彼を慰めたらいいか、私にはわからなかった。つまらない慰めは虚しさを彼に与えるだけだ。「でもな、貴方たちはいいよ、遠い他国で戦争しているんだから。俺たち日本人は、日本の中でアメリカ軍と戦っていたんだぞ。アメリカの飛行機は非戦闘員の住む住宅地にどんどん爆弾を落とした。その上、原爆まで落とした」。これが彼を慰める言葉になるとは思えなかったが、つい云ってしまった。彼は黙って私をじっと見た。そして一言云った。「そうだな。まだ俺たちの方がいいかな」。それから別れ際に「アイム・ソー・ソリー」と彼は私に云った。それは空襲にか、原爆に対してかは分からなかった。お互いに自己紹介しあったが、彼とはその後会っていない。無事に故郷に帰れたことを今も願っている。
未だにトラウマを抱えているベトナム帰りの兵隊がアメリカ中に大勢いると聞いている。もう遠い昔の事柄だと、政府はその問題に触れないようにしていると、アメリカの友人が私に云ったことがあった。ベトナムの問題が片付いていないまま、全く意味のない湾岸戦争を始めた。その戦争に莫大な資金を出した日本は、それがきっかけになったように経済力がどんどん落ちて行った。我々庶民の生活も苦しくなった。
先週の土曜日に写真仲間と一緒に「モネの池」に行った。遠くへ行ったわけではない。池袋の西武デパートの屋上である。期待していたほど広くなかったが、屋上の池なので、それほどの贅沢は云えないだろう。
EOS7DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/160秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
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EOS7DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1/3、 WB:オート。
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定期的に霧状の物を噴出してくれる。ミストのようで非常に涼し気であり、多少なりとも幻想的な雰囲気の写真が撮れた。だが、それは長く続かず、撮り損なうと次の噴出まで待たなければならなかった。次を待つ間、池の周囲に多く植えられている花々を撮るのも楽しかった。
EOS7DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1/3、 WB:オート。
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あまり酒の強くない私がトイレに行くと、頭に包帯を巻いた兵隊と一緒になった。ほぼ私と同じ年頃であった。目が合うと、彼は「楽しそうだな」と云って私にウィンクをした。傷病兵の前で楽しそうにしては悪いと思い、あいまいに返事をした後で聞いた。「傷の具合はどうだ?」。ヘルメットを貫いた弾丸は彼の頭に沿って飛び、後ろから抜けて行ったそうだ。「弾は俺の頭皮を削ったので、その部分の髪は今後生える見込みはないと軍医に宣告されたんだ」と寂しそうに云った。私はなんと云えばいいかわからず、ただ「アイム・ソリー(お気の毒に)」と云うしかなかった。トイレから出て、別れるときに彼は云った。「俺は何のために戦い、何のために負傷したかわからない」と悲しい目をした。傷が癒えたら、またベトナムの最前線に戻るつもりだと云った。彼は少尉で分隊長だそうだ。負傷したので国に帰ることも出来るが、部下を放って自分だけ故郷に帰るわけにはいかないとも云った。彼は私ともう少し話したがっている様子だったので、カフェテリアに行くことにした。
コーヒーを飲みながら彼は云った。「日本人の貴方になら安心して話せるが、我が軍に勝ち目はないよ。部下たちも、俺のいないところでそんな話をしているみたいだ」。兵士に勝ち目がないと思わせるような戦争は絶対に勝てないと私は確信した。彼は家族の待っている故郷に一日も早く帰りたい、だが部下たちのことが心配だと何回も繰り返して私に云った。なんと云って彼を慰めたらいいか、私にはわからなかった。つまらない慰めは虚しさを彼に与えるだけだ。「でもな、貴方たちはいいよ、遠い他国で戦争しているんだから。俺たち日本人は、日本の中でアメリカ軍と戦っていたんだぞ。アメリカの飛行機は非戦闘員の住む住宅地にどんどん爆弾を落とした。その上、原爆まで落とした」。これが彼を慰める言葉になるとは思えなかったが、つい云ってしまった。彼は黙って私をじっと見た。そして一言云った。「そうだな。まだ俺たちの方がいいかな」。それから別れ際に「アイム・ソー・ソリー」と彼は私に云った。それは空襲にか、原爆に対してかは分からなかった。お互いに自己紹介しあったが、彼とはその後会っていない。無事に故郷に帰れたことを今も願っている。
未だにトラウマを抱えているベトナム帰りの兵隊がアメリカ中に大勢いると聞いている。もう遠い昔の事柄だと、政府はその問題に触れないようにしていると、アメリカの友人が私に云ったことがあった。ベトナムの問題が片付いていないまま、全く意味のない湾岸戦争を始めた。その戦争に莫大な資金を出した日本は、それがきっかけになったように経済力がどんどん落ちて行った。我々庶民の生活も苦しくなった。
先週の土曜日に写真仲間と一緒に「モネの池」に行った。遠くへ行ったわけではない。池袋の西武デパートの屋上である。期待していたほど広くなかったが、屋上の池なので、それほどの贅沢は云えないだろう。
EOS7DにEF24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/160秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
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定期的に霧状の物を噴出してくれる。ミストのようで非常に涼し気であり、多少なりとも幻想的な雰囲気の写真が撮れた。だが、それは長く続かず、撮り損なうと次の噴出まで待たなければならなかった。次を待つ間、池の周囲に多く植えられている花々を撮るのも楽しかった。
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