日本時間の12月10日夜に、
ノルウェーの首都オスロで行われたノーベル平和賞の授賞式。
そして11日の朝刊を見た奥さんが…
この田中熙巳さんってお義母さんの同級生よ〜って。
長崎県立東高等学校の時の同級生だそう。
母はもう亡くなりましたが、
田中熙巳さんも母も時々同窓会役員で顔を合わせてはいましたが、
母曰く、仲良く無かったけんほとんど喋ったことなか。
だったそう〜
マジですか奥さんが知ってて実の子の私が知らんやった(恥)
こんなにもご高齢なのに、ノルウェーまでの遠い移動。
異国での大人数の中でのしっかりとしたスピーチ。
そしてスピーチの後の長い拍手とスタンディングオベーション。
お疲れさまでした。
ノーベル平和賞授賞おめでとうございます。
核兵器の使用は長崎で最後に。
私の両親はともに被爆者。
とはいえ両親の健康状態も寿命も人並みだったと思います。
父親は長崎市大浦地区で被爆、といっても遠いし建物の中でした。
防空壕に入らないと~とぐずぐずしていたら、ドーンと来たそうで、
威力が甚大な新型爆弾とは思わず、
すぐ近くに通常爆弾が落ちたと思ったそうです。
それから1週間後に歩いて爆心地を通り、被害が無かった道ノ尾駅まで行き、
汽車に乗って親戚の島原へ行こうとしたものの、
あまりに多くの人が乗りすぎたため道ノ尾駅から先の坂を登らず、
道ノ尾駅まで戻り、4両編成だった客車を2つに分け、
機関車を追加して再度出発したそう。
島原の途中の諫早までついたものの、もう深夜になり、
島原への列車は無く、多くの方と一緒に島原まで徒歩で歩き、
明け方には無事着いたそうです。
ロシアのウクライナ侵略で、
ロシアがちらつかせている核兵器の使用。
もしウクライナが核兵器を廃棄していなかったら、
ロシアに侵略されなかった…とも考えられますが…
非人道的な大量破壊兵器の核兵器。
もう無くすことは無理だと思いますが、
使用されれば人類の存続さえ脅かされるほどの力。
人って弱いから力に頼ってしまうのですよね。
多感な時期での戦争に被爆ですからね。
それでなくてもご苦労されたと思います。
母と同級生だった田中熙巳さん。
ご高齢なのにノルウェーまでの長旅。
気候も長崎とは大違い。
なのにあの立派なスピーチ。
母と田中さんは仲良くなかったみたいですが、
仏前で母には伝えたつもりです〜
私の母は戦争の話はしたがりませんでした。
なので詳しいことは聞けてません。
小中学校それぞれで原爆資料館を見学する行事もありましたが、
原爆資料館が新しくなってからは一度も行けてません…
あの当時は各国新型爆弾の開発に躍起になって、
われ先に使おうとしていましたからね。
実際米国は終戦後被爆地の被害状況を調べまくってましたから…
戦争という理由での人体実験。
広島がウランを使った爆弾、長崎がプルトニウムを使った爆弾。
本当は山に囲まれた長崎じゃなくて、
当初の目標の小倉に落として、
広島と比較したかったんでしょうけどね。
ノーベル平和賞に被爆者自身である高齢の方のスピーチ。
それに対するスタンディングオベーションであって、
世界の人々に核の怖さは残念ながら伝わっていないと思います。
特に落とした側の米国は…
そうなんですよね、
今の世の中やったらやり返せで混沌としてる…
ひょっとしてこれもう第3次世界大戦に入っちゃってる?
と思ってしまうほど。
ロシアに余裕が無くなり、アサド政権が倒れ、
また力のバランスが変わって、
あちこちで戦争や紛争が起こらないことを願うばかりです。
賞よりも核兵器がなくなった世界、
戦争がない世界、なんですよね…。
やっとやっとの思いで、世界中に
原爆の酷さを、核廃絶の必要性を強く
訴える場を得られた!と思って拝見してました。
ご高齢でありながら、長時間のフライトで
ノルウェーまで行かれたのも、「伝えたい事」への熱情が
並々ならぬものだったから、と思います。
資金の関係で長時間の滞在ができなかった、とも聞いてますが…。
人生を180度変えてしまう、戦争、原爆…
原爆被害にあったのは日本のみ。
落とす必要もないのに、面白がって実験のように
原爆投下したアメリカ。
当時、日本も原爆を起死回生の一手として
開発を急いでいましたから、
「相手に与えるダメージの大きさ」は
日本もアメリカも薄々わかっていたってことですよね…
授賞式でのスピーチ、でスタンディングオベーション。
田中さんの思いが聴衆の心に突き刺さった、という証ですが
果たして、この後までその時の感情を持ち続けていけるのか?
被爆国日本からはるばる訪欧した日本人が伝えたい、と
願ったことをずううっと忘れずにいてくれるのか?
ぜひとも、ずっとずっとこの授賞式の事を
忘れて欲しくないですよね。
もちろん、我々日本人も忘れずに、この痛みのような感情を
持ちながら、平和な世の中を目指さなくてはならないと思ってます。
こんなにも酷い「核の被害」を世界の誰にも
味あわせてはいけない…
核兵器の被害は日本が最初で最後にしないと…
痛みを知ったら、相手にこの痛みを
与えないようにしなくちゃ…となって欲しいのですが
「やられたらやりかえせ」っていう世の中なので
結局戦争が止まらない……。
それでも昔は、「ここまでやっちゃいけないよね」とか
「話し合って解決しよう」っていう政治家が多かったように
思うのですが……。
御尊父様だけでなく、御母堂様も被爆されてたんですね。
そういえば、ブログで書かれていたような。
お二方とも原爆の日がくると、色々思いだされていたんでしょうか…