国葬儀なるものが強行され、あまりにもうんざりしてしまいブログを書く気持ちを無くしていました。
でも、一昨日、様々な世論調査で内閣支持率が低かったのを見たら、ひょっとすると私と似た感覚を持っている人は多いのかもしれない、と思いました。
1ヶ月くらい更新しなかったから誰も読まないかも知れませんが、ちょっと私の今の考えを書きます。
岸田首相は国会で、安倍さんの国葬儀について、国民に様々な考えがあるのは知っている、説明を尽くす。と言いました。
私は国葬の前も後も、説明されて理解できたことは無かったし、様々な意見がある場合、実施する前に話し合いをするべきでしょう。
それなのに、異論を挟む人をまるっきり無視をして葬儀を強行し、もっともらしい顔をして「反対の声は真摯に受け止める」受け止めたっきり何も返ってこないのでは、反対の声を聞いていないのと同じです。
最近の自民党政治はずっとそういうやり方をしてきました。反対の声を無視して強行する。強行した上で説明する、と嘯く。次第に反対するのに疲れてくる、というか、呆れてくる。私たちの声は届かないんだな、と無力感を抱かせる。
岸田首相は自民党政治を変える、と期待させて総理大臣になったはずでした。ですが、今や安倍さんや菅さんのやってきた事と全く変わりません。むしろ自民党の中でリーダーシップを取れていないという意味で、彼らよりまずいくらいです。
旧統一教会との関係を調べる「点検」とやらで、細田衆院議長という間違いなく統一教会とつながっている人を調べられない辺り、自民党の権力者を大切にしているのは明らか。
さらに、身辺によほど信頼できる人がいないのか、長男を秘書官するなんて、世も末です。
世襲政治から変わる気がない、と宣言するようなもんです。
私は今回の事では、安倍さんの葬儀を改めて実施したことに怒っているのではないです。何よりも手順が悪い、そして反対を無視したこと。そう、政治家は無視はしたらダメだと思うのです。
希望なんて風前の灯だけど、いま内閣支持率が低いのは、オリンピックの時よりはマシなのかも知れません。(あの時は反対から一転「開催して良かった」という声が多かった。)
いま変わらなくちゃ、日本は世界じゅうから呆れられます。今だって呆れられてるし、遅れを取っているけど、まだ文化的には魅力もある国です。
でも、今を逃したら、旅行者も留学生も、労働者だって来なくなる。
どうか新しい風が吹け、と声をあげて生きたいです。
たぶん、また近々書きます。
まだ言い足りない。