23日に息子を出産と同時に亡くして、24日に一緒に退院し、26日日曜日に家族でお葬式をしました。
義理の両親が手配してくれて、とても良いお葬式を出す事ができました。ご心配おかけして、申し訳ありません。
胎動が感じられないと気づいたときの事、夜の病院で死んでしまったと伝えられた時の事、息子を産んだときの事を思い出すと、後悔や淋しさ、言いようのない痛みがこみ上げてきます。もうゆったりした洋服を着る必要はないし、もう元気にお腹を蹴る振動を感じる事もありません。
入院した日の日記に書きましたが、赤ちゃんがお腹の中でくるくる回りすぎて「臍帯過捻転」という状態になってしまっていました。いつも凄く激しく動いていたので、よほどお腹の中で回るのが面白かったのかな、と思います。お医者様も、どこにも奇形や疾患は診られない、へその緒の付け根がねじれて細くなっているから、それしか原因は考えられない。とおっしゃいました。
たまたま夫と2人で行った前回の検診で、「逆子じゃないから、たぶんこのまま出産まで向きは変わらないでしょう」と言われていたのに、最後は逆子の状態だったので「遊びすぎだよー」と皆で泣きながらも笑いあいました。
こういうことは、一度の人生の中で経験しないで済めば経験しないほうが良い、かなりしんどい出来事には違いないですが、夫と話し合って決めました。
7ヶ月間、ずっと子供を授かって楽しみで幸せだったし、姿を見せてくれたんだから、今も私たち夫婦は幸せなのだ、と思うようにしよう、思い出すときは温かい気持ちで思い出すようにしよう、と。
確かに、私にとって息子は一度もわがままを言ったことも、夜泣きをしたこともない(早く死んでしまった事を除けば)何の欠点もない子供でした。きっと彼も無条件に私を信頼してすくすく育っていてくれたのだと思います。なので、良いほうに考えれば私たちは強い絆で結ばれたままお別れできたのかな。
失った事ばかりを嘆いて迎えた、彼のお通夜で、お経をあげてくださった和尚さんが「おとうさん、おかあさん」と私たちのことを呼んでくださって、あ、私たち「親」になれたんだ、と悲しみのどまん中で喜びを感じました。その日聴いたお経は私の胸に本当に有難くひびき、「ご長男は7ヶ月もお母さんのお腹にいたのですから、きっとお2人を見守ってみえますよ」とも言っていただきました。息子の名前にちなんだ戒名と、その由来を記したお手紙もいただいて、とても嬉しかった。
33年生きてきて、いちばん幸せな出来事と最も悲しい出来事がこの7ヶ月には詰まっていた気がします。けれど、私たち夫婦を本当に沢山の人が心配してくれ、励ましてくれました。正直なところ、小さくなってしまったお腹の原因を興味本位で尋ねられるのではないか、へんな風に哀れまれるのではないか、と余計な心配ばかりしていたのですが、皆さん心から私達の子供のために泣いてくださって有難いお電話やメール、お見舞いをしていただきました。
義理の両親、両親、友人たち、お客様、夫の職場の方々・・・沢山の仲間に支えられているから私たちは立ち直れるように思います。
もう少し体を休めて、皆さんにお会いしても笑顔でお迎えできるようになったら、Peace!!を元気に再開したいと思います。
息子もいつも一緒に店に立っていたわけだし、きっといつまでもグズグズしている母ちゃんの事は好きじゃないでしょうから。
皆さん、心からありがとう。
息子の名前は「直樹 なおき」と言います。