毎年恒例の、書作展の少字数部門の作品作り。
8枚で6000円という紙のセットを買って、広い教室に新聞紙を敷き詰めて、大きな筆で、一文字や二文字を薄めた墨で書く。
夏のイベントのようなもので、教室で2人ペアになって、書いてはその作品をしかるべき場所へ運びを繰り返し、1時間の間に8枚を書き上げる。
ゆっくりと推敲している時間も写真を撮る暇もなく、すべてが本番のような状態で、ただそんな精神統一も行わないまま楽しみながら書く。
これは大きな筆も、墨池としてのバケツも、わざと墨を飛び散らしてもいい環境も、広さだけの問題ではなく家では難しいので教室でなければできない。
旅
遊
逍遥
彩雲
今年はこれらを2枚ずつ書いた。
ただ大きな紙に、大きな筆で、作品らしく見えるように、ドンと思い切って書く。
これは単純に楽しい。
5年ほど前に住んでいた街に近いので、その街に自転車を走らせて大手スーパーに向かう。
大手スーパーの大型店舗とは本当に何でもあって、食料品はもちろんであるが照明やら家具やらペット用品やらあらゆるものが多数の商品が種類豊富に取り揃えられている。
広い店内をゆっくりぐるっと一周して、お風呂のイスやら吸盤式のタオルかけ、小さめのIH対応のフライパン、除湿剤、ピノやしめじや油揚げなどを買って帰る。
旧居のあたりは、買い物事情が良くなかった。
とは言え、私はとても充実したスーパーが必要なほど料理はしないし、コンビニや小さなスーパーなどは近くにあったので特に不便と感じたこともなかった。
ホームセンターやインテリアショップなどで売っているようなものはネットで買っていたし、宅配ボックスの恩恵は大きなものだった。
今は宅配ボックスもなければ、カード紛失によりネットショッピングが一時的にできなくなってしまったので、こういった何でも揃うスーパーマーケットの存在は本当にありがたい。
当たり前なのだけれど、頑張って持ち帰った大きなものはもう家に着いた瞬間から使い始めることができる。
現物を見て買っているのでイメージと違うということも少ないし、梱包用の段ボールを捨てなくてもよい。
六本木の森美術館でやっているLOVE展。
殺人的な暑さのの中、アクセスが悪すぎる六本木へ向かう。
私は草間彌生の作品が見たかったのだけれど、それは会場の最後の一角にしかなかった。
他の作品数は思っていたよりもとても多くて、ああだとかこうだとか言いながら見て回る。
そこら中で誰かが何かを創っている。
創作物の全てが尊いわけでもやはりなくて、受け手側の好きや嫌いや、創り手側の技術や思いや、色々あって価値が出る。
これは違う、ということを多く抱いた展示会であったけれど、私にとってなぜそれらが“違う”のか、考え事をするという観点からは何であれ作品は面白みを帯びる。
奥田民生を流しながら部屋の掃除をする。
やっぱり広い、水拭きは広くて大変。
掃除機はかさ張るし、物を増やしたくはない私にとってできれば買いたくないのだが、感動的に便利かもしれないという想像をし始めている。
奥田民生のギターソロはぎゅうっとなる。
「アネモネ男爵」と「64,928-キャサディ・キャサディ」のギターのコードがネットで拾って弾いてみる。
彼らの曲はそんなに難しいコード進行をしないので、初見でもコードを拾うことくらいはできるようになった。
ギターにおけるコードの配置が、簡単なことなら展開してわかるようになったことは本当に良かった。
F#mが分かっていれば、Gmはこれまでに弾いたことがなくても分かる。
7の音がルート音の1音下であるということも知ったので、コードの音の構成をものすごくゆっくり数えればF#m7もどうすれば良いかが分かる。
これはすごいことだと、レベルの低い位置ということを認識しつつも、とてもとても嬉しい。
ギターの先生にはとても感謝している。
そこからが本当にさっぱり進まないのだけれども。
スマートフォンにして以来、初めてカバーを付けた。
昔からあまり携帯電話を装飾するのは好きではなくて、カバーもストラップも付けてこなかった。
しかしあまりにも落とす回数が多く、実際にヒビが入ってしまったので、保護を目的として。
黒いiPhoneに黒のカバー。
金のラクダと金の星。
世間的なお盆休暇によって仕事が暇になるので、特に予定はないけれど、木曜日を休みにすることにした。
何をしよう、DVDで海外ドラマか、街の散策か、「オンザロード」か、CD-Rに入れてもらった漫画か。
別にいつでもできるようなことだけれど、そんな楽しいことをしたい。
寄せ木のような出来事の羅列。
8枚で6000円という紙のセットを買って、広い教室に新聞紙を敷き詰めて、大きな筆で、一文字や二文字を薄めた墨で書く。
夏のイベントのようなもので、教室で2人ペアになって、書いてはその作品をしかるべき場所へ運びを繰り返し、1時間の間に8枚を書き上げる。
ゆっくりと推敲している時間も写真を撮る暇もなく、すべてが本番のような状態で、ただそんな精神統一も行わないまま楽しみながら書く。
これは大きな筆も、墨池としてのバケツも、わざと墨を飛び散らしてもいい環境も、広さだけの問題ではなく家では難しいので教室でなければできない。
旅
遊
逍遥
彩雲
今年はこれらを2枚ずつ書いた。
ただ大きな紙に、大きな筆で、作品らしく見えるように、ドンと思い切って書く。
これは単純に楽しい。
5年ほど前に住んでいた街に近いので、その街に自転車を走らせて大手スーパーに向かう。
大手スーパーの大型店舗とは本当に何でもあって、食料品はもちろんであるが照明やら家具やらペット用品やらあらゆるものが多数の商品が種類豊富に取り揃えられている。
広い店内をゆっくりぐるっと一周して、お風呂のイスやら吸盤式のタオルかけ、小さめのIH対応のフライパン、除湿剤、ピノやしめじや油揚げなどを買って帰る。
旧居のあたりは、買い物事情が良くなかった。
とは言え、私はとても充実したスーパーが必要なほど料理はしないし、コンビニや小さなスーパーなどは近くにあったので特に不便と感じたこともなかった。
ホームセンターやインテリアショップなどで売っているようなものはネットで買っていたし、宅配ボックスの恩恵は大きなものだった。
今は宅配ボックスもなければ、カード紛失によりネットショッピングが一時的にできなくなってしまったので、こういった何でも揃うスーパーマーケットの存在は本当にありがたい。
当たり前なのだけれど、頑張って持ち帰った大きなものはもう家に着いた瞬間から使い始めることができる。
現物を見て買っているのでイメージと違うということも少ないし、梱包用の段ボールを捨てなくてもよい。
六本木の森美術館でやっているLOVE展。
殺人的な暑さのの中、アクセスが悪すぎる六本木へ向かう。
私は草間彌生の作品が見たかったのだけれど、それは会場の最後の一角にしかなかった。
他の作品数は思っていたよりもとても多くて、ああだとかこうだとか言いながら見て回る。
そこら中で誰かが何かを創っている。
創作物の全てが尊いわけでもやはりなくて、受け手側の好きや嫌いや、創り手側の技術や思いや、色々あって価値が出る。
これは違う、ということを多く抱いた展示会であったけれど、私にとってなぜそれらが“違う”のか、考え事をするという観点からは何であれ作品は面白みを帯びる。
奥田民生を流しながら部屋の掃除をする。
やっぱり広い、水拭きは広くて大変。
掃除機はかさ張るし、物を増やしたくはない私にとってできれば買いたくないのだが、感動的に便利かもしれないという想像をし始めている。
奥田民生のギターソロはぎゅうっとなる。
「アネモネ男爵」と「64,928-キャサディ・キャサディ」のギターのコードがネットで拾って弾いてみる。
彼らの曲はそんなに難しいコード進行をしないので、初見でもコードを拾うことくらいはできるようになった。
ギターにおけるコードの配置が、簡単なことなら展開してわかるようになったことは本当に良かった。
F#mが分かっていれば、Gmはこれまでに弾いたことがなくても分かる。
7の音がルート音の1音下であるということも知ったので、コードの音の構成をものすごくゆっくり数えればF#m7もどうすれば良いかが分かる。
これはすごいことだと、レベルの低い位置ということを認識しつつも、とてもとても嬉しい。
ギターの先生にはとても感謝している。
そこからが本当にさっぱり進まないのだけれども。
スマートフォンにして以来、初めてカバーを付けた。
昔からあまり携帯電話を装飾するのは好きではなくて、カバーもストラップも付けてこなかった。
しかしあまりにも落とす回数が多く、実際にヒビが入ってしまったので、保護を目的として。
黒いiPhoneに黒のカバー。
金のラクダと金の星。
世間的なお盆休暇によって仕事が暇になるので、特に予定はないけれど、木曜日を休みにすることにした。
何をしよう、DVDで海外ドラマか、街の散策か、「オンザロード」か、CD-Rに入れてもらった漫画か。
別にいつでもできるようなことだけれど、そんな楽しいことをしたい。
寄せ木のような出来事の羅列。
