日曜日に作った茄子とピーマンの焼き浸し。
作ったものはその場で、浸け置いたり寝かしたりしない、というのが常だったけれど、一晩冷蔵庫でキンキンに冷やしておいた。
生姜があったらもっと良かっただろうけれど、味の染みた茄子とくたくたでなくシャキッとした苦味のピーマンはなんともおいしかった。
ついでに作っておいた、えのきだけとわかめの和え物。
和え物と言っても私はお酢が好きではないので、ごま油と昆布茶と塩と醤油で和えた。
こちらはたぶん乾燥ワカメではなくて生のワカメを使った方がおいしいのだろうと思った。
ただ、乾燥していてはいけないけれど水っぽくてもよくない。
醤油が要らなかっただろうか。
最近よく昆布茶を使う。
結局のところ、旨みがダイレクトに伝わるものはおいしいとなる。
どうしてもジャスミンライスが食べたくて、見に行くスーパーの先々で探していたのだけれど見つからない。
仕方がないので送料がかかって割高も承知でネットで注文する。
いくらジャスミンライスが好きだとは言え、一人暮らしで5kgも常の主食にならないジャスミンライスを買うわけにはいくまい。
1kgのパックを元値と同じくらいの送料を支払って買う。
宅配ボックスがなくて受け取れないので、本人受け渡しが必須のもの以外で邪魔になり過ぎないものは玄関先に置いてもらうようにしている。
それでも不在票が届いてそのようにしないといけないので、受け取るのは1,2日遅くなる。
缶詰のグリーンカレー、レッドカレーがあって、それと一緒に食べるのが楽しみだ。
やっと復活したカードで「点滴ポール」が届いた。
想像し得ない苦しさや痛みの中に、本人の言葉遣いのセンスの良さと、思いの本当具合。
くるしいも波
かなしいも波
たのしいも波
うれしいも波
だから漕ぎ続けてる
揺蕩う波というのは、私の中にも"気持ち"、"からだ"、"人生"、"人間関係"というようなことにおいてとてもイメージがある。
波は通り過ぎる、大きな波も小さな波も。
舵取りは自分でやる。
かなしい波やくるしい波は、必死で漕いであるいは時にかわして抜ける。
たのしい波やうれしい波は、波の勢いを使って大いに飛ぶ。
もしかすると、作者のかなしい波やくるしい波はかわせるものではなかったかもしれないけれど。
それでも、たのしいもうれしいも感じて、そうであることをありがたく思い感謝する。
人は色んな意味で平等ではない。
でも、そのことに留まるわけにもいかない。
ないものねだりは何かを突き動かす原動力になり得るものだと思うけれど、そこからどう動いたかで得られるたのしいやうれしいを大事にしたい。
でもそこに、不平不満や弱音や本音を言えるような相手がいたら、それはとても豊かなことだ。
いつもは強がっているから。
この作者の「航の SKY NOTE」というブログがある。
SKY NOTE
広くて、遠くて、大きくて。
でもそこには自分がいて、自分で描く。
素敵な言葉。
作ったものはその場で、浸け置いたり寝かしたりしない、というのが常だったけれど、一晩冷蔵庫でキンキンに冷やしておいた。
生姜があったらもっと良かっただろうけれど、味の染みた茄子とくたくたでなくシャキッとした苦味のピーマンはなんともおいしかった。
ついでに作っておいた、えのきだけとわかめの和え物。
和え物と言っても私はお酢が好きではないので、ごま油と昆布茶と塩と醤油で和えた。
こちらはたぶん乾燥ワカメではなくて生のワカメを使った方がおいしいのだろうと思った。
ただ、乾燥していてはいけないけれど水っぽくてもよくない。
醤油が要らなかっただろうか。
最近よく昆布茶を使う。
結局のところ、旨みがダイレクトに伝わるものはおいしいとなる。
どうしてもジャスミンライスが食べたくて、見に行くスーパーの先々で探していたのだけれど見つからない。
仕方がないので送料がかかって割高も承知でネットで注文する。
いくらジャスミンライスが好きだとは言え、一人暮らしで5kgも常の主食にならないジャスミンライスを買うわけにはいくまい。
1kgのパックを元値と同じくらいの送料を支払って買う。
宅配ボックスがなくて受け取れないので、本人受け渡しが必須のもの以外で邪魔になり過ぎないものは玄関先に置いてもらうようにしている。
それでも不在票が届いてそのようにしないといけないので、受け取るのは1,2日遅くなる。
缶詰のグリーンカレー、レッドカレーがあって、それと一緒に食べるのが楽しみだ。
やっと復活したカードで「点滴ポール」が届いた。
想像し得ない苦しさや痛みの中に、本人の言葉遣いのセンスの良さと、思いの本当具合。
くるしいも波
かなしいも波
たのしいも波
うれしいも波
だから漕ぎ続けてる
揺蕩う波というのは、私の中にも"気持ち"、"からだ"、"人生"、"人間関係"というようなことにおいてとてもイメージがある。
波は通り過ぎる、大きな波も小さな波も。
舵取りは自分でやる。
かなしい波やくるしい波は、必死で漕いであるいは時にかわして抜ける。
たのしい波やうれしい波は、波の勢いを使って大いに飛ぶ。
もしかすると、作者のかなしい波やくるしい波はかわせるものではなかったかもしれないけれど。
それでも、たのしいもうれしいも感じて、そうであることをありがたく思い感謝する。
人は色んな意味で平等ではない。
でも、そのことに留まるわけにもいかない。
ないものねだりは何かを突き動かす原動力になり得るものだと思うけれど、そこからどう動いたかで得られるたのしいやうれしいを大事にしたい。
でもそこに、不平不満や弱音や本音を言えるような相手がいたら、それはとても豊かなことだ。
いつもは強がっているから。
この作者の「航の SKY NOTE」というブログがある。
SKY NOTE
広くて、遠くて、大きくて。
でもそこには自分がいて、自分で描く。
素敵な言葉。
