脳天を突くようなおいしいものが食べたい。
それを自分で作ってみたい。
喉が覚えているような、手触りがあるような、その場の空気ごと覚えているような、そんなしみじみおいしい料理が作りたい。
一汁三菜じゃなくていい、それだけでただおいしいもの。
と、なぜか思い立った。
いつもフライパンひとつで炒めるが基本の私は、IHになって炒め物がままならないことで、でもキッチンの大きさは倍以上になったということもあって何か料理をしたくなった。
おいしい経験、というのは必ずしもその素材の良し悪しや料理の腕だけで決まるものでもなく、そのシチュエーションやその時の気分や体調にまで左右される非常に難しいものである。
「今まで食べたものでおいしかったのって何?」とつい最近友人に聞かれて、「寒い冬の買い物帰り、妹と屋台で買った肉まん」と答えた私。
でも今私が言っているのはそういうことで、全部まるごと込みでおいしい、という経験をしたい。
高級中華レストランでフカヒレを食べておいしい、という経験も、高級中華レストランだからおいしいというアドバンテージを一切抜きで、もし本当にそうだとしたらそれを言えるようになりたい。
高級中華レストランのフカヒレだからおいしいわけでもなくて、かと言って、それを高級中華レストランのフカヒレも春雨もどうせ違いなんて分からない、とそもそもを試さずに投げ捨てることもやめたい。
スタンダードもミーハーも要らない。
でも、スタンダードもミーハーのことも知りたい。
何の理由もなく、マクドナルドなんてと毛嫌いしている場合ではない。
たぶん私は今のところフカヒレは食べたことがないような気がする。
普段の私の料理はだいたい全部が目分量であるし、味塩コショウやめんつゆやほんだしなどの調味料に頼ることも多々あるし、胡椒やワサビが好きで少し多めに入れてしまうしで、別に不味くはないけれど特段おいしいということもない。
たぶんものすごく味が偏っていると思う。
時々、このように思い立って、短時間合理的を越えて料理に手間をかけることがあって、そのときはやっぱりいつもよりおいしいものができる。
もっとああすればよかった、というふうに思って翌日にまた同じものを作ったりもする。
でもそこで大抵材料が切れてしまうので、ベストを見つけることもなく忘れてしまう。
まずIHコンロを手なずけるところから始めないといけない。
火で煽らなくてもいいもの、煮込み系やスープ料理がいいだろうか。
でも、火で煽った方がおいしそうな料理の方が食べたいような気もする。
続くだろうか、続かない気もする。
そのくらい私は料理にかける時間や、材料をこねくる習慣がない。
でもまあ、思い立ったときにやればいい。
U2がかっこいい。
調べてみると、オアシスのノエルギャラガーとU2のボノは親交があるらしく、色々と記事が出てくる。
2人の感じは確かに似ている感じがある。
JAMも私はすごく好きだけれど、JAMのポールウェラーもノエルギャラガーと親交があるらしい。
ちなみに、ノエルギャラガーはRADIOHEADのトムヨークとの記事も多い。
洋楽ロックを聴き始めた頃、その音が「正であるか負であるか」」という判断をよくしていて、「正」であるものしか受け付けなかったことがあった。
この頃、大雑把に言って、USロックはよくてUKロックは好きになれないということにしていた。
たぶん、その頃にU2を聴いていたとしたらただ何となく「負」である位置づけをしてそれ以上に取り入れることをしなかったかもしれない。
表面的な露出物をそのままに受け取ることも大いに大事だけれども、その解釈の術不足で聴けるものも聴けないとしたらやっぱり良いものとの接する機会を失ってしまうように思う。
そこにものすごい私を震わすものがあるかもしれないのに。
あれも好きで、これも好き。
それもいい。
あのとき嫌いだったけれど、今はすごく好き。
それもいい。
認めたらいい。
ただ行き過ぎて、コーラに大福とかみかんにコーヒーとか、そういうことでももちろんなくて。
太い中枢を断ち切るのかというと、もうそれは本当に嫌で。
私の舌が、私の脳が、私の心が、喜ぶということをただしたいだけ。
それを自分で作ってみたい。
喉が覚えているような、手触りがあるような、その場の空気ごと覚えているような、そんなしみじみおいしい料理が作りたい。
一汁三菜じゃなくていい、それだけでただおいしいもの。
と、なぜか思い立った。
いつもフライパンひとつで炒めるが基本の私は、IHになって炒め物がままならないことで、でもキッチンの大きさは倍以上になったということもあって何か料理をしたくなった。
おいしい経験、というのは必ずしもその素材の良し悪しや料理の腕だけで決まるものでもなく、そのシチュエーションやその時の気分や体調にまで左右される非常に難しいものである。
「今まで食べたものでおいしかったのって何?」とつい最近友人に聞かれて、「寒い冬の買い物帰り、妹と屋台で買った肉まん」と答えた私。
でも今私が言っているのはそういうことで、全部まるごと込みでおいしい、という経験をしたい。
高級中華レストランでフカヒレを食べておいしい、という経験も、高級中華レストランだからおいしいというアドバンテージを一切抜きで、もし本当にそうだとしたらそれを言えるようになりたい。
高級中華レストランのフカヒレだからおいしいわけでもなくて、かと言って、それを高級中華レストランのフカヒレも春雨もどうせ違いなんて分からない、とそもそもを試さずに投げ捨てることもやめたい。
スタンダードもミーハーも要らない。
でも、スタンダードもミーハーのことも知りたい。
何の理由もなく、マクドナルドなんてと毛嫌いしている場合ではない。
たぶん私は今のところフカヒレは食べたことがないような気がする。
普段の私の料理はだいたい全部が目分量であるし、味塩コショウやめんつゆやほんだしなどの調味料に頼ることも多々あるし、胡椒やワサビが好きで少し多めに入れてしまうしで、別に不味くはないけれど特段おいしいということもない。
たぶんものすごく味が偏っていると思う。
時々、このように思い立って、短時間合理的を越えて料理に手間をかけることがあって、そのときはやっぱりいつもよりおいしいものができる。
もっとああすればよかった、というふうに思って翌日にまた同じものを作ったりもする。
でもそこで大抵材料が切れてしまうので、ベストを見つけることもなく忘れてしまう。
まずIHコンロを手なずけるところから始めないといけない。
火で煽らなくてもいいもの、煮込み系やスープ料理がいいだろうか。
でも、火で煽った方がおいしそうな料理の方が食べたいような気もする。
続くだろうか、続かない気もする。
そのくらい私は料理にかける時間や、材料をこねくる習慣がない。
でもまあ、思い立ったときにやればいい。
U2がかっこいい。
調べてみると、オアシスのノエルギャラガーとU2のボノは親交があるらしく、色々と記事が出てくる。
2人の感じは確かに似ている感じがある。
JAMも私はすごく好きだけれど、JAMのポールウェラーもノエルギャラガーと親交があるらしい。
ちなみに、ノエルギャラガーはRADIOHEADのトムヨークとの記事も多い。
洋楽ロックを聴き始めた頃、その音が「正であるか負であるか」」という判断をよくしていて、「正」であるものしか受け付けなかったことがあった。
この頃、大雑把に言って、USロックはよくてUKロックは好きになれないということにしていた。
たぶん、その頃にU2を聴いていたとしたらただ何となく「負」である位置づけをしてそれ以上に取り入れることをしなかったかもしれない。
表面的な露出物をそのままに受け取ることも大いに大事だけれども、その解釈の術不足で聴けるものも聴けないとしたらやっぱり良いものとの接する機会を失ってしまうように思う。
そこにものすごい私を震わすものがあるかもしれないのに。
あれも好きで、これも好き。
それもいい。
あのとき嫌いだったけれど、今はすごく好き。
それもいい。
認めたらいい。
ただ行き過ぎて、コーラに大福とかみかんにコーヒーとか、そういうことでももちろんなくて。
太い中枢を断ち切るのかというと、もうそれは本当に嫌で。
私の舌が、私の脳が、私の心が、喜ぶということをただしたいだけ。
