シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会を明後日に控えた本日実感していることがある。
ということを。
D deest については一昨日の前号で詳述した。本日号では D157+D566/2 について述べよう。
シューベルトピアノソナタ第1番ホ長調D157 は、初出版された ブライトコプフ旧シューベルト全集(1888)以来、全ての楽譜が「3楽章までで、主調で終わっていない(ロ長調で終わっている)ので、未完成」と断定されて来た。ヘンレ版第3巻、ロンドン王立音楽院版、ウィーン原典版、ベーレンライター新シューベルト全集 を通して一貫している。
『佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会』を主催して来た私高本には、痛いほど、各原典版編集者の気持ちが判る。
からだ。
終楽章候補は前号に掲載した通り3楽章。ドイチュ番号順に書けば、D459/2, D506, D566/2 である。D459/2 は D459/1 に続けて書かれているので繋がりは明白。D506 は 「D508の裏側にスケッチを遺した」ので、D157の終楽章とはなり得ない。残る候補は D566/2 だけだが、初出版が D566/1 に続く楽章であり、その後の出版では 続く楽章があった、とされる。う~ん、、、
D566/1 と D566/2 の『出生の違い』は前号詳述通り。D566/2 が「D157 の終楽章」となると、『D157 は完成楽曲』である。佐伯周子の(練習の)演奏を聴くと、(想定した通りだが)極めてスムースな音楽である。これならば、D154 → D157 の「稿改訂」の際に、作曲し直さなかったことは判る。良い楽章だからねえ、、、
佐伯周子が演奏する D deest と D157+D566/2 は、『シューベルト演奏史の大転換点』にまさに今立っている瞬間だ!
ということを。
D deest については一昨日の前号で詳述した。本日号では D157+D566/2 について述べよう。
シューベルトピアノソナタ第1番ホ長調D157 は、初出版された ブライトコプフ旧シューベルト全集(1888)以来、全ての楽譜が「3楽章までで、主調で終わっていない(ロ長調で終わっている)ので、未完成」と断定されて来た。ヘンレ版第3巻、ロンドン王立音楽院版、ウィーン原典版、ベーレンライター新シューベルト全集 を通して一貫している。
『佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会』を主催して来た私高本には、痛いほど、各原典版編集者の気持ちが判る。
シューベルトピアノソナタ第1番ホ長調 の終楽章に相当する「フリーの終楽章候補」が皆無である><
からだ。
終楽章候補は前号に掲載した通り3楽章。ドイチュ番号順に書けば、D459/2, D506, D566/2 である。D459/2 は D459/1 に続けて書かれているので繋がりは明白。D506 は 「D508の裏側にスケッチを遺した」ので、D157の終楽章とはなり得ない。残る候補は D566/2 だけだが、初出版が D566/1 に続く楽章であり、その後の出版では 続く楽章があった、とされる。う~ん、、、
D566/1 と D566/2 の『出生の違い』は前号詳述通り。D566/2 が「D157 の終楽章」となると、『D157 は完成楽曲』である。佐伯周子の(練習の)演奏を聴くと、(想定した通りだが)極めてスムースな音楽である。これならば、D154 → D157 の「稿改訂」の際に、作曲し直さなかったことは判る。良い楽章だからねえ、、、