詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

女子高生に驚嘆した一日!&オバマへの疑問

2009年01月24日 | 日記
今日は何度か猛吹雪の日だったというのに・・短いスカートで自転車ですいすいゆく女子高生の何人かとすれ違った。

ぼくはというと・・極力彼女らを見ないようにしている。それでも挨拶していった二人組みがいたので振り返って見ると・・なんと短いスカートに生脚だった!

ぶるぶると震えながら・・「寒くないんだべか?」と呟いてた僕だった。僕といえば道産子のくせに、上は四枚、下には三枚も着た上に、貼るカイロまで貼ってたというのに・・

彼女たちは、身体が異常に頑健なんだべか?それとも、脳や神経がやられてるんだべか?単に麻生首相のように新聞や天気予報を見ないタイプなんだべか?

でも、国策冤罪痴漢事件でいまだ刑務所の中の植草一秀氏みたいに、スカートの奥のもっこりを覗いていた・・とかいうとんでもない証言で逮捕・拘留するこの世界一野蛮国の権力者たちの餌食になりたくはないので、階段でもどこでも、見たいのを我慢し、鏡で髪や髭剃りの具合を確認することも、人がいる場所では止めようと思うのだった。

オバマへの僕の疑問はー
イラク侵略戦争への非難の言葉が無かった点と、イスラエルへの非難の言葉が無かった点だ。

そしてブッシュへの非難や、先住民を虐殺し放題に虐殺し、次々と約束を破ってはリザベーションへと押し込め、選挙権等の人権を奪ってきた自国史への非難もまた・・
黒人奴隷たちが先住民と一緒に侵略者白人たちと戦って、フロリダ等の南部で奮闘したという歴史も当然知っているはずなのに・・

◆今日読んで面白かったのは、「麻生政権延命の決め手は官房機密費?」・・相当の毒饅頭入りの札束がああそう首相からばら撒かれてるようだ。翼賛大マスコミばかりでなく、民主党もその札束と毒饅頭を食らったんだべか・・http://www.news.janjan.jp/column/0901/0901236034/1.php
◆上記で触れられてた赤坂太郎氏の文章はーhttp://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0902.html

コメントで紹介された反戦詩を読んでたら山之口獏の詩を読みたくなったので・・

2009年01月24日 | 日記
それで検索をしてて、なかなかいいサイトがないなーと嘆息してたら、ほぼ一年前に書いた自分自身の日記が突然現れた。

「ぼくの大好きな山之口獏という詩人」(2008年1月28日)

ちょっと前に、故郷沖縄へと数十年振りに帰ったこの詩人の映像を見た。宮沢賢治・金子光晴同様に関東大震災が詩作の出発点の詩人だ。方言の訛がきつかったので、何度か死ぬ目に会ったのではないかと思う。(関東大震災後に約一万人の朝鮮半島の人々、中国人、ドモリや訛のきつい人々が、「君が代」が上手く歌えず自警団に撲殺されたという・・) 
注:高群逸枝の自伝的作品にも怪我をして留置所に入れられた沖縄人を探して救い出す話が書かれていた。
ぼくの好きな反戦詩は断然これらに尽きる!戦争を生みだす社会への反対の詩もまた反戦詩だと思うのだ。プロフィールのページにある「生活の柄」という彼の放浪者生活を彷彿とさせる詩もまた・・


  「紙の上」  山之口獏

戦争が起きあがると 
飛び立つ鳥のように 
日の丸の羽をおしひろげ
そこからみんなで飛び立った
一匹の詩人が紙の上にいて 
群れ飛ぶ日の丸を見あげては 
だだ だだ と叫んでいる
発育不全の短い足 
へこんだ腹 
持ちあがらないでっかい頭
さえずる兵器の群をながめては 
だだ だだ と叫んでいる
だだ だだ と叫んでいるが 
いつになったら「戦争」がいえるのか 
不便な肉体 どもる思想 まるで砂漠にいるようだ
インクに渇いたのどをかきむしり熱砂の上にすねかえる
その一匹の大きな舌足らず 
だだ だだ と叫んでは
飛び立つ兵器の群をうちながめ 
群れ飛ぶ日の丸を見あげては 
だだ だだ と叫んでいる


   『ミミコの独立』

 とうちゃんの下駄なんか
 はくんじゃないぞ
 僕はその場を見て言ったが
 とうちゃんのなんか
 はかないよ
 とうちゃんのかんこをかりてって
 ミミコのかんこ
 はくんだ と言うのだ
 こんな理屈をこねてみせながら
 ミミコは小さなそのあんよで
 まな板みたいな下駄をひきずって行った  
 土間では片隅の
 かますの上に
 赤い鼻緒の
 赤いかんこが
 かぼちゃと並んで待っていた


   『座蒲団』 山之口 獏

土の上には床がある
床の上には畳がある
畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽といふ
楽の上にはなんにもないのであろうか
どうぞおしきなさいとすすめられて
楽に坐ったさびしさよ
土の世界をはるかにみおろしてゐるやうに
住み馴れぬ世界がさびしいよ

  
    「世はさまざま」

人は米を食っている
僕の名と同じ名の
獏という獣は
夢を食うという
羊は紙も食い
南京虫は血を吸いにくる
人にはまた
人を食いに来る人や人を食いに出掛ける人もある
そうかと思うと琉球には
うむまあという木がある
木としての器量はよくないが詩人みたいな木なんだ
いつも墓場に立っていて
そこに来ては泣きくずれる
かなしい声や涙で育つという
うむまあ木という風変わりな木もある


    「がじまるの木」

ぼくの生まれは琉球なのだが
そこには亜熱帯や熱帯の
いろんな植物が住んでいるのだ
がじまるの木もそのひとつで
年をとるほどながながと
気根(ひげ)を垂れている木なのだ
暴風なんぞには強い木なのだが
気立てのやさしさはまた格別で
木のぼりあそびにくるこどもらの
するがままに
身をまかせたりしていて
孫の守りでもしているような
隠居みたいな風情の木だ


   「底を歩いて」

なんのために
生きているのか
裸の跣で命をかかえ
いつまで経っても
社会の底にばかりいて
まるで犬か猫みたいじゃないかと
ぼくは時に自分を罵るのだが
人間ぶったぼくのおもいあがりなのか
猫や犬に即して
自分のことを比べてみると
いかにも人間みたいに見えるじゃないか
犬や猫ほどの裸でもあるまいし
一応なにかでくるんでいて
なにかを一応はいていて
用でもあるみたいな
眼をしているのだ

■ 登別出身の言語学者・知里真志保のDVDが完成

2009年01月24日 | 日記
【2009年1月21日(水)室蘭民報朝刊より】  
アイヌの文化や伝統などに魅せられ、関係する人々をビデオに収めてきた小野邦夫さん(71)=札幌在住=がこのほど、DVD「知里真志保」を完成させた。

真志保は今年、生誕100年の節目を迎えるが、登別出身の偉大な言語学者の生涯を2時間余にまとめた渾身(こんしん)の出来栄えとなっている。

小野さんはこれまで、ライフワークとして道内で大きな足跡を残してきたアイヌやそれにかかわってきた人々を追い続け、知里幸恵、彫刻家・砂澤ビッキ、道内で布教活動に力を注いだ宣教師のジョン・バチラー、イギリス人医師のニール・ゴードン・マンロー、金成イメカヌ(和名・マツ)と次々にビデオ化してきた。

ビデオ制作のきっかけは知里真志保、知里幸恵の著作で知られ、平成17年12月に亡くなった藤本英夫さん(札幌)から勧められたのがきっかけ。「最初は冗談かと思った」と言うが、亡くなって「先生へのお礼はビデオの制作しかない」と決意した。

真志保は1909年、知里家の次男として幌別で誕生。登別尋常小学校、室蘭中学(現室栄高校)、東京帝国大学(現東大)と進み、北大の教授などを務めている。

1940年から43年までの3年弱、樺太庁豊原高等女学校で教べんをとっているが、この時期はアイヌ語辞典作成に大いに役立ったとされる。金田一京助や山田秀三らとも交流。各種文化賞なども受賞し、1973年には功績をたたえる記念碑が登別に建立されている。

小野さんは登別、旭川、名寄、稚内、宗谷、網走、室蘭、東京などゆかりの地を丹念に巡り、四季折々の風景を交え収録。ビデオでは誕生から室蘭中学、第一高等学校、東京大学、樺太、北海道大学、文学博士―と、時代時代の足跡を詳細に追い、関係者のインタビュー、樺太庁豊原高等女学校時代の教え子4人の聞き取り調査なども織り交ぜながらまとめた。

ナレーションは今回も小野さんが務めている。小野さんは「多くの人の支援があって完成したが、取材を進めていてあらためてすごい人だなと感じた。ものすごいインパクトを与えた先生だったようで、教え子が17回忌、23回忌にクラスの半分が集まり墓参りしている。学問的にも、アイヌ語の極め方というのが、通常では考えられないすごさがある」と感慨深げに振り返っている。

(注)若き日の・・まるで革命家のような知里真志保の姿は「十勝平野・下」(上西晴治)で読める。若き日の砂澤ビッキの姿は「森と湖の祭り」(武田泰淳)で。写真は砂澤ビッキの作品。