十歳になったばかりの秋に、雪が屋根よりも高く降り積もる生まれ故郷の山奥の村から、海辺の町へと引っ越して行った。駅へと全校生徒が見送りに…という慣わしの学校だった。途中の乗り換え駅で食べた蕎麦の味が今でも忘れられない。
海というのは生まれて初めてだった。特急列車まで止まる大きな街だったが、駅前以外はうら寂れたありふれた町だった。海へと小川が流れこむ河口や鷗の鳴き 声が珍しくて、一日中眺めては、そこで顔を洗ってから帰ったりしていた。季節はもう、秋が終わり冬へと駆け足で幕を上げつつあった。
その新しい町には、鰻の寝床のように曲がりくねった映画館や煌びやかな喫茶店等何でもあったが、その町でもやっぱりぼくの家が町一番の貧乏家だった(父が毎晩飲み歩く大酒飲みなので)。ただこの町ではアルバイトには不自由しなかった・・アスパラガス収穫や測量助手等と何でもやったが、もっとも長続きしたのは近くの牧場からの夕方の牛乳配達で、中二~中三にかけて毎日休まずにだったが…学年トップの成績だった。生徒会役員には二年からついていたが、生徒会長の先輩がいつも横道にそれて、会議が長引くのでハラハラドキドキした。鶏や兎や犬の世話をしながらなので、勉強する時間などまるでなかったが、教科書を一度読むとすべて丸暗記できたので、家に帰ってからの勉強などしようとも思わなかった。