死の直前の彼は「日本はもう駄目だ」というのが口癖だったらしい。
ただ希望は持っていたらしい。
一つは、晩年の口癖のオランダ型の「土地の公有制」であり・・
もう一つは日本の伝統的な「華厳の哲学」だったらしい。
《世界の組合員になる気なら、日本は文明の責任をもたざるをえない。それをやるだけの哲学があるか。司馬さんは、それがある、という。唐突のように思われるだろうが・・と言いながら、司馬さんは華厳の哲学が牢固としてある、と言う。》
《華厳の哲学というのは・・
いまは俗哲学として日本人の血肉のなかに入っています。キリスト教のような絶対者がいる思想ではなく、世界を相対的なものとして、それが光明の根源に総和されているという考え方です・・
万物は、お互いさまという思想です。みな関連しあって、小は原子や分子レベルから大は宇宙にいたるまで、すべてがお互いのおかげで生かされている、という考え方であります。》
僕の十数年来の「四要素論」のような思想と思うが・・さらに付け加えるならば、素粒子も宇宙も生命の極小&極大世界の遺伝子も進化・人間社会も、類似したフラクタルな構造を持つ四つの要素で成り立っていると言うべきだろうと思う。
なお、日本が精神として、文明の基準となることには悲観的だったようだ。
《ここ当分(おそらく半世紀以上)自由と人権が文明の基準であろう。主役はまだ無理ではないか》
一万数千年続いた最古の土器文明では、日本列島はまさしく文明の主役だったし・・現在でも、多くの物づくりや公害防止の分野やアニメや食文化(特に発酵醸造)や平和憲法等では、世界の最先端を走っているのではないかと思う。
自由と人権では、先進国どころか・・世界でも最低ランクの国だけど・・
「日本の神々」谷川健一(岩波新書)という本を読みながらふと思ったのだがー天照大神という神道や天皇制の中心の神もまた・・日本列島先住民のシャーマン的な巫女の伝統を受け継ぎ、換骨奪胎・変質させながらも・・キリスト教におけるマリアの処女懐胎とも共通しているのではないのだろうか?
「日本書紀」の伊勢神宮の起源のヤマトヒメの部分はー神を背負って歩く東北の「あるきみこ」や、南島の巫女がシャーマンの修行中にツヅの神(カン)という守護霊を得る過程と全く同じ。「照る」という字のつく巫女や神女の命名が多いのも、古代日本と沖縄に共通。
鹿児島の大隈正八幡や、古事記のアメノヒボコの話や・・
(天皇制の儀式と沖縄の祭りでのノロ等の儀式ともほとんど同じだけど)
特に多いのが南島の奄美の島々というのは何故なんだろか?