和に限って言うと、衣食住それぞれに生活に即した用の機能美がある。
私達の先人が磨き上げた用の美はなんとも美しい。
一口に和の伝統美というが、永年かけて用に即した、形、色、模様、さらに素材の特性を活かした造形美を職人や工人が心血注いで作り上げた品々。
今、生活様式の移り変わりで、何でも簡単にプラスチックなどで、成型したものに取って代わる。
日常生活の用を足すだけのものは、もう昔のような本物の必要はなくなり、つくる人も永年の修行に耐えられなく後継者もなく、高齢の職人さんが僅かに支えている。
用の美は、無用の用の美となり、伝統工芸品は作品といわれ美術館や、個展で鑑賞する。 古いものは骨董品屋さんや、博物館で観る。
職人さんは、作家と称してけれんみのものをつくり、賞狙い。
皆さんそうだと言わないが、物でなく美術品や装飾品の世界で生きている。
用の美を追求して出来たものと、創作、創作とこね回したものとの美の奥行きや巾が違ってきて当然の気がする。
昔、茶人が、生活雑器の茶碗を、自らの審美眼でもって抹茶茶碗に見立て名物にまで仕立てた。
美しいものは、本来の用とは違った用の場においても見事に映える。
用向きをこえて、美しいものを座右において暮らすことが出来れば人生は楽しい。