ぽかぽかと行きましょう

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日本のこれから  いじめ・・

2007年03月03日 | テレビ番組

NHKのテレビ討論会 「日本のこれから いじめどうすれば、なくせますか。」 今議論していますが・・・・。

いじめは昔もあったが、今日ほど陰惨な自殺に結びつくようなのはなかったと思う。

いろいろな社会が変わってきたように、学校や子供達の社会も昔と違ってきているので、聞いていると簡単な事ではないようだ。

ひらがな3文字の「いじめ」が、こうも複雑な問題であるとは。

今幼い孫達も、小学校、中学校と進む過程でいずれ通る道だと思うと捨て置けない。

教師の問題だ、親や家庭教育の問題だと言っているが、社会のゆがみが産み出したのが元ではないのか。

話は変わるが、「捏造」とか「隠蔽」と言うような難しい漢字が、新聞紙面に踊るようになったのは最近だ。短絡と批判されるかもしれないが、こう言う社会を構成する今の大人を育ててきたかっての文部省や、日教組、教育委員会がすべて悪いと断言したい。(怒り心頭が故に)

聖職と言われた学校の先生が、労働者として左傾化し、自由のはき違いをしてきた。先生も人間であるから、食うために旗を振る事はあっても、教育の本分を忘れてしまったのではなかったか。もちろんすべての教職者がそうだったとは言わないが、文部省や教育委員会も、教育の行政、政策に間違いはなかったのか。

今の子供達の「いじめの問題」がその遠因とするところは教育そのもののあり方にあると思う。ゆとり教育とは何であったのか。いまさら教育再生云々とかいっても、その根本になるものがどうなのか問いたい。

「弱きを助け、強きをくじく」先輩のお陰で吉天も子供のころ「いじめ」から救われた。上級生は、下級生をかばい、運動部に所属する生徒は、すすんで弱者の味方をしてくれた。子供社会は、子供同士で秩序が保たれていた。 親も教師も、ただ温かく見守っていればよかった。 下手に親が介入すると「子供のけんかに、親が出て・・」とはやし立てた。

現代社会と、昔社会と時代が違うので後戻りはできないが、一つ言えることは、「教育者の立場にある先生方よ、もっと自信を持て」だ。

何か、不安とか、恐怖とかが裏にあって、指導・教育に自信がもてない先生の心理状態が如実に子供達に反映しているのである。

そんな先生はいないと思うが、教員免許とって先生にでもなるかと安易な気持ちで教師になった。では困るのである。

何の職業でも、人生真剣勝負なのですから。

吉天爺も、立派な先生方に恵まれて、今生きている事に感謝していますのじゃ。


いろ波・7 「水色」

2007年03月03日 | 色の世界

「水色」

子供のころから、クレヨンや色鉛筆に必ずあったこの色は、透明な水も ためらいなく水色で描いた。空色もあったと思うが、水も空も区別なく、水色のクレヨンで描いたように記憶している。

万葉集では、水縹(みずはなだ)と呼んでいますが、後に水色となり平安時代には、すでに水色と言う色名が用いられていました。

透明な澄んだ水は、雪解けの春の水の色であり、ときに空や雲を映し出し「行雲流水」の言葉さながらで、身も心も洗われる思いです。

そして、奈良東大寺のお水取りの儀式、このあと春がおとずれると申しますが、記録的な暖冬で今年は冬と春の線引きが明確に参りそうも有りません。

いずれにしましても、水色は春の色でありたいと思います。夏は濃いブルーの青が控えて居ります。