昨年、ジョン・ウェン生誕100年であった。同じくわが父も、生誕100年であった。
ゆえに、今年は「父」在せば(いませば)101歳。
没後38年、生誕101年。亡き人の齢数えて何とするといわれるやも知れないが。
毎年「父の日」を、前に思う事である。
父は世間的に言えば、一介の庶民に過ぎない存在であったかもしれないが、私にとっては人間的徳望の偉大さは未だに超えられるものではない。
父は小さいときから、数々の苦労をし、何度か死線をこえて生きてきて更に病気や貧乏にも耐えて、他人様には柔和に接し困っている人には、相談にのったり手助けをして通した。
貧乏のもとは、おそらくは人に騙されるようなお人よしの面が災いしたのであろう。
尊敬と言うような改まったものでなく、近隣の人々から親しみ頼りにされていて、頼まれれば社寺の世話役も一生懸命つとめた。
小柄で、笑顔を絶やさず困苦に悩んでいる人の気持ちを解きほぐすのが、その人望の現れであった。
そんな父は、教訓めいたことを何一つ口に出して教えて呉れることはなかった。
しかし、息子の将来については心配りをしてくれていたが、それもあれこれ言うのではなく 現実に沿って導いてくれたように思う。
父の年を越えて生き、未だ父の半分にも至らない自分である。
良い精神的資質を受けついでいると信じて、日々精進あるのみか。