ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

自分のための介護予防 その6

2006年10月20日 | 健康・病気

日本人の不健康が明るみに出た。

企業戦士などといわれ国力の増大のために働いてきた中高年や、老年の人の医療費は削減するのでなく、今青壮年の人の不健康を、改善し将来の医療費や、介護費が増大しない方策がのぞましいのでは。

過去の働き蜂の、自分の健康を犠牲にしてまで企業や社会に尽くして来た人の、切捨ては気の毒。

太ろうが、痩せようが勝手だろうと、今の自分の健康管理をなおざりにする事は、将来の要介護につながる。

スポーツジムや、フィットネスクラブへ通わなくても、仕事や家事で体を使えば、十分な運動になる。

人間は、頭も体も使うように出来ている。ちょっとしても車に乗るとか、1,2階でもエレベーターやエスカレータを利用していれば、体の機能が低下するに決まってる。 今楽することは、将来自分の体が不自由になることは自明の理。

パソコンだって勝手に字を書いてくれるので、自分でペンで字を書くとき出てこない。手元から頭を使わないと将来認知症になるのではと思う。漢字が素通りしているので、変換ミスさえ気がつかない。

100歳余まで、生きた金さん銀さんは、水を汲んで坂を上って、若い時から体を使ってきた。 自分の祖母も、八十八才で亡くなるまで、全部自分の歯で固いものも平気で噛めた。これぞカメ万年。

塩を、指につけ歯を磨いてましたっけ。何の介護も受けることなく、痛みや、苦しみもなく、ころっと天寿をまっとうした人でした。

そうそう結構我慢しないで言いたいこと言ってました。

介護予防は、健康な今の自分から。


無用の用の美

2006年10月17日 | アート・文化

和に限って言うと、衣食住それぞれに生活に即した用の機能美がある。

私達の先人が磨き上げた用の美はなんとも美しい。

一口に和の伝統美というが、永年かけて用に即した、形、色、模様、さらに素材の特性を活かした造形美を職人や工人が心血注いで作り上げた品々。

今、生活様式の移り変わりで、何でも簡単にプラスチックなどで、成型したものに取って代わる。

日常生活の用を足すだけのものは、もう昔のような本物の必要はなくなり、つくる人も永年の修行に耐えられなく後継者もなく、高齢の職人さんが僅かに支えている。

用の美は、無用の用の美となり、伝統工芸品は作品といわれ美術館や、個展で鑑賞する。 古いものは骨董品屋さんや、博物館で観る。

職人さんは、作家と称してけれんみのものをつくり、賞狙い。

皆さんそうだと言わないが、物でなく美術品や装飾品の世界で生きている。

用の美を追求して出来たものと、創作、創作とこね回したものとの美の奥行きや巾が違ってきて当然の気がする。

昔、茶人が、生活雑器の茶碗を、自らの審美眼でもって抹茶茶碗に見立て名物にまで仕立てた。

美しいものは、本来の用とは違った用の場においても見事に映える。 

用向きをこえて、美しいものを座右において暮らすことが出来れば人生は楽しい。


読み 書き そろばん

2006年10月15日 | 教育問題

寺子屋で、「読み書きそろばん」を習うだけで、明治維新も、文明開化も、立派な日本の近代化をなしとげた。かっての日本は識字率も世界に冠たる物があり、礼儀正しく、日本に来た外国人は、日本人の素晴らしさに驚いたという。

それに引き替え、今日の教育問題は何なのだろう。

明治維新と先の大戦のあととで、教育は右に左に振り子は大きく振れた。

江戸時代からの論語を中心とした教えは、忠孝にかたより軍国教育に突き進んだ。

戦後の民主教育は、ともすると左傾化した方向に進み、聖職といわれた教職者は、一般労働者となり指導力も落ちた。

ゆとり教育は、授業を減らし先生がたの労働時間を軽減するためだったのか。

戦勝国の日本統治時代にGHQが民主教育としてレールを敷いたのは、再び日本が軍国主義に戻る事を恐れて骨抜きにしたものではなかったのか。

日本人は12歳といわれ、そうだと思い込み従順にして、甘んじてきた。

魚を三枚に下ろし、骨のついた部分を、だしもとらずに捨て去ったようなものだ

統治者や、為政者にとって国民は骨のないほうが食べやすい。

今からでも遅くない、百年の計を持って、骨のある日本人を育て、我々自身もしっかりと地に足をつけ幼年者から青壮年の育成に身も心も砕く覚悟で臨まねばならない。

異星人のような、クラゲのような。  そうだ来てみれば「大日本クラゲ帝国」。  またまた冥王星に笑われている。

今日の蛇足。昔々クラゲがひどい悪戯をしました。竜宮城の神様が大層お怒りになり、骨抜きにして懲らしめました。

それからクラゲは、ぐらり、ふにゃりとしか動けなくなりましたとさ。

おしまい。


片手落ち

2006年10月11日 | 日常・身の回り

食事の前に、「いただきます」と手を合わす。そうしない人もいると思うが、私の場合は、小さいときからそうして来たので食べ物を頂くときは必ず感謝の気持ち込めて手を合わす。

そういう習慣は、健康のもとでもある。飲みすぎ食べすぎ食あたりはまずない。特別なゲテモノ以外は何でもおいしくいただける。

食事の前だけでは、片手落ちだとおもって、60歳すぎてからやっていることがある。

はなはだ びろうな話で恐縮だが排泄の大の時、ご苦労様でした有難うと、心の中で、手を合わす。

食道から、長い胃腸の旅を終えて出てきた燃えカス(使用済み核燃料?)のウンチさまに、有難うございましたと感謝の念をもって水に流す。

その日の健康状態も排泄物の具合を観察していればバッチシ分かります。入ると出るの両方に感謝をすることで片手落ちでない健康管理が出来るというもの。

  我が物と思えば清し今朝の運(ウン) 吉天子

 (本歌  我が雪とおもへばかろし笠の上  其角 )


日本の叙情歌・赤とんぼ

2006年10月09日 | アート・文化

昨日は、赤とんぼの連想から、つまらない替え歌を披露いたしまして、日本の叙情歌を愛する方々には大変失礼を致しました。

本日ただ今、BS永遠の音楽 叙情歌大全集(NHK BSⅡ10月9日20時~22時放送)を鑑賞し、たっぷり二時間叙情歌の世界を堪能いたしました。 いつまでも古くならない日本の歌、これぞ本当の日本の美の極みと存じます。

歌には、悲しくつらかった戦時の軍歌があります。

六,七十年もたちますが、わたしの少し前の世代の多くの若者が軍歌に鼓舞されて戦地におもむき帰らぬ人となりました。

銃後の守りとして、国に残った人々も戦火の中で多くの尊い命が犠牲となりました。

当時 ドイツ、イタリアと同盟を結んでいた日本は、プロパガンダ(軍国思想の宣伝)として、軍楽隊が勇ましい音楽の演奏をヨーロッパでも やってきました。

音楽や芸術がもう二度と戦争に利用されてはならない。

行進曲には、こころ昂ぶるものがありますが、平和あっての音楽。

決して軍靴のリズムと歩調をあわせることがあってはならない。

おりしも、北朝鮮で核実験を実施したとのニュース。

北の将軍様も芸術文化がお好きと聞く、どうやら力を誇示するための芸術文化のようにもお見かけするが。

疑心暗鬼のなか、「窮鼠猫を噛む」とこまで追い込まない外交努力で事態の平和的解決が望ましい。

とは言うものの一筋縄ではゆかないのも事実。

もし お互いに核の応酬ともなれば、人類の滅亡は必至。

人類という名の恐竜が滅んだ地球は、すべての生物も道連れで消えて、遙か冥王星が、呵呵大笑。 ああ^^^・・・:::---

何で赤とんぼが冥王星まで飛ぶんや。 

(あんたの蛇足で飛ぶんや)


赤とんぼ

2006年10月08日 | 日常・身の回り

今日は、久々の快晴。大根畑を赤とんぼが、たくさん飛び交っている。

その 2、3匹がわが庵の庭で羽を休めている。

間近で、赤とんぼの静止の姿を観察。

ただそれだけ。 

あ~ ほかに戦争中の軍歌思い出した。

「~来るなら来て見ろ赤とんぼ、ブンブン荒鷲、ブンと飛ぶぞ。」

たしか、こんな歌詞だった。

そうそう、歌いだしは「見~たか銀翼この勇姿、日本男子が精込めて作って育てたわが愛機 空の護りは引き受けた

来るなら来て見ろ赤とんぼ ブンブン荒鷲 ブンと飛ぶぞ」。

荒鷲は日本の戦闘機、赤とんぼは敵機だ。

回想はまだまだ続く。わが幼少のころだ。

ころんで、ひたいに傷を負って、膏薬を貼っていたので、お風呂に入ると傷口から ばい菌が入ると信じて何日も膏薬を貼ったまま お風呂に入りませんでした。

そんな臆病者の甥っ子をお風呂に入らせようと、とんちのある伯母が替え歌を作って囃したのが、この「荒鷲の歌」。

以下替え歌。

「見~たか あほたれ たこぼうず、チ~とも お風呂に入りません。

そ~れで 足は真っ黒け 指のまたには うじがわく、み~んな 見に来い この足を、ブンブン蝿がブンとたかる」

これを「荒鷲の歌」の曲で、毎度歌われ、甥っ子の蛸坊主はついにお風呂に入りましたとさ。     目出度し、めでたし。

回想は、認知症の予防とか、介護予防に つながるっていうよ。

いや、加齢による繰り言じゃないの。


今日のお色目12・葡萄酒色

2006年10月08日 | 色の世界

11月16日の解禁に向けて、デパートなどの通販予約のダイレクトメールの舞い込む、ボジョレーヌーボーの季節となった。

秋の味覚の色目第三弾は、ぶどう。 先に栗色・柿色をご紹介したが、葡萄色(ぶどういろ)なる色名はなく、葡萄酒色となる。

葡萄酒色・ワインカラーは、秋のファッションカラーとして欠かせない。赤ワインの色は、フランスのボルドーから舟積みされるワインの色が、ボルドーとして色名に定着、一般に暗い赤紫色のこと。鮮明な赤ワインの色はワインレッド。

自分の好みのワインの色をイメージするのでもっと透明感のある色をワインカラーと決めている人もいるかもしれない。

日本では、古来 葡萄色(えびいろ)と称して山葡萄の熟した実の色で暗い赤紫の色が伝統色名であったが、海老色にすりかわってしまった。葡萄の古名が「えび」であったとは、忘れ去られ 「えび」といえば、海老でイセエビの殻の色から、海老色ができてしまったとはお粗末。

文明開化の女学生の海老茶袴の色と、ワインカラーとは別物ということに。 

えびちゃんのことではないよ。 えびちゃんのことよく知らない爺様。


ゆがみ? ひがみ!

2006年10月04日 | 日常・身の回り

爺は今日久々に病院へ行って参ったぞ。

何 たいしたこと無いんじゃが、ニ、三日前脚の付け根の辺り、大腿骨がひねったような痛みで、もう自然と治っているようだったが、かみさんが心配してくれて病院で診てもらってこいとのことで。

医師の診察の前に、看護婦(士)さんの事情聴取?と言うのがあって、いつごろから、どこがどういう風に痛むのかとか詳しく申し開きをせにゃならん。

答えるのにしどろもどろ。もうほとんど痛みが無いもんだから去年も今頃こんなことがあってほっておいたら治ってたとか、話が前後して説明にもなってないので、いらだつナースに自白を強要されて冤罪のまま、診察室へ。

医師はそのカルテを見て、足に触れもせで、レントゲン。その結果「奥さんに心配は要らんよといいなさい」と、どうやら加齢による骨にとげ状のものが出て、時にさわって痛むらしい。

冤罪は晴れたが、医師やナースに いたわりともつかず、年寄り扱いされたような、複雑な思いで会計を済ます。

もしかして、こう言うのって? 老人のひがみ 

ついに来たか。 いやまだまだ「爺」じゃないぞ。


日本美の再発見

2006年10月01日 | 美しい・・国・心・伝統文化

ブルーノ・タウト著 篠田英雄訳 「日本美の再発見」 岩波新書より 永遠なるものの章から末尾のタウトが日本を去るときの感想の一ページ余を全文紹介する。東京駅で親しい知り合いに見送られての別離のあと、列車が都市をはなれて、美しい入り江と紺碧の海に差し掛かり・・・・その後の記述。

 私達は、日本で実に多くの美しいものを見た。しかしこの国の近代的な発展や、近代的な力の赴く方向を考えると、日本が何かおそろしい渦に脅かされているような気がしてならない。私達は、日本人を このうえもなく熱愛していればこそ、ますます痛切にこのことを感じないわけにいかなかった。しかし私達がこの国で接した人々の高雅な趣味、温かい心持、厚い人情、また実に立派な態度からから受けた印象から推して、この脅威的な渦もさほど重大に考える必要はないと思うようになった。

陽は明るく照り、大気は清澄である。車窓に見る富士の姿、―――私は今日ほど偉大な富士山をかって見たことがない。頂はほんのわずかばかり雪を帯び、山嶺に遊ぶ行雲は裾野に軽い影をおとしていた。山頂から裾野にかけて長くひいている線は、えも言われず優美である。

この山は、これ以上秀麗な形をもつことができない、 ーーーそれ自体芸術品であり、しかもまた自然である。車内の人たちは、ほとんどみな私達のように、この山の見える限りいつまでも眺めやまなかった。そうしないのはほんの僅かの人たちだけである。

私達は、これこそ日本である、最も明亮な形で表現せられた日本精神であると語り合った。日本にあって、この国土の冠冕ともいうべき富士山を仰ぎ見、また嘆賞する人々は、みずから欲すると否とに論なく、この山が日本人の眼の前に呈示するところの清純を求めてやまないに違いない。

タウト夫妻が、1936年10月に日本を去るときのことであった。

ときまさに70年前の10月、タウトの見た美しい日本と、彼の接した日本人の心、その後の私達は、何を失い、何を得たか。

明日に向けて、日本の『真・善・美』の再構築こそ、今に生きる私達日本人の誠の道であると言えよう。               終