土曜、日曜かけて、庭木の剪定を致しました。
それぞれの樹にあわせて、整枝に気を使いましたが、ある樹はかなり強く切りました。
あとで、少し離れて見ますと点々と赤いものが、花でもないのに。
よく見ると刈り取った枝の切り口が、赤いのです。
更に近寄ってみますと、それは切り口から赤い樹液が滲んで出ているのです。
推察ですが、枝を落とした切り口から水が入って枯れるのを防ぐ為の天然の力なのでしょう。
そして切り口から、また枝葉が出て節を成し強く生きてゆくのでしょう。
土曜、日曜かけて、庭木の剪定を致しました。
それぞれの樹にあわせて、整枝に気を使いましたが、ある樹はかなり強く切りました。
あとで、少し離れて見ますと点々と赤いものが、花でもないのに。
よく見ると刈り取った枝の切り口が、赤いのです。
更に近寄ってみますと、それは切り口から赤い樹液が滲んで出ているのです。
推察ですが、枝を落とした切り口から水が入って枯れるのを防ぐ為の天然の力なのでしょう。
そして切り口から、また枝葉が出て節を成し強く生きてゆくのでしょう。
玄関ホールと、お勝手の間の、暖簾をかけかえてミダイが洗濯しました。
結果鮮やかだった色が落ちて「少しボケてない?」と申します。
見ると確かに色あせて、ボケて見えます。
「いや、ボケているのでなく『味が出てきた』と言うのだよ」
「あっ、そうか。味が出てきたと言えば、いいわね」
人間、年とって「ボケた」とか言わないで、お互い味が出てきたと
思えばよろしいと、二人で納得した一こまで ございました。
PCのディスプレイの前を、よこぎる危険蚊子。
さっとよけて、両手のひらでパッチン。
瞬時に迎撃ミサイル。
キーボードの上に落下。
ティッシュペーパーにつまんでポイ。ゴミ箱。
蚊も出る暖かい気温となった。
問責決議が可決しても、福田首相は悶絶ッ!することなく黙殺して、重く受け止めますと、軽く流しました。
伝家の宝刀も、悶絶させるほどのモノでなく、何ほどの効果も無かった。
民主党や野党も儀式程度に考えているのか。
*「問責に悶絶せずに黙殺し」
MMMだ。
六月中旬まで、ブログお休みなんですが、開いてキーボードに手がのってしまいます。
なし崩しに更新しているようです。会計ソフトの入力の合間に記事書いているのでしょうか。
明るい爺問題がテーマですから、近頃のような暗いハナシや、ニュースは吉天のブログに不向きです。
明るいハナシならのります。更新も出来るだけ休まずに続けましょう。
昨年、ジョン・ウェン生誕100年であった。同じくわが父も、生誕100年であった。
ゆえに、今年は「父」在せば(いませば)101歳。
没後38年、生誕101年。亡き人の齢数えて何とするといわれるやも知れないが。
毎年「父の日」を、前に思う事である。
父は世間的に言えば、一介の庶民に過ぎない存在であったかもしれないが、私にとっては人間的徳望の偉大さは未だに超えられるものではない。
父は小さいときから、数々の苦労をし、何度か死線をこえて生きてきて更に病気や貧乏にも耐えて、他人様には柔和に接し困っている人には、相談にのったり手助けをして通した。
貧乏のもとは、おそらくは人に騙されるようなお人よしの面が災いしたのであろう。
尊敬と言うような改まったものでなく、近隣の人々から親しみ頼りにされていて、頼まれれば社寺の世話役も一生懸命つとめた。
小柄で、笑顔を絶やさず困苦に悩んでいる人の気持ちを解きほぐすのが、その人望の現れであった。
そんな父は、教訓めいたことを何一つ口に出して教えて呉れることはなかった。
しかし、息子の将来については心配りをしてくれていたが、それもあれこれ言うのではなく 現実に沿って導いてくれたように思う。
父の年を越えて生き、未だ父の半分にも至らない自分である。
良い精神的資質を受けついでいると信じて、日々精進あるのみか。
湖子庵の庭と、梨園の境界に植えられている樹木が、枝葉を伸ばし鬱蒼としておりました。
庭全体が森の中にいるようなさまで、梅雨の雨で陰鬱な気分になりがちで御座いました。
二、三日前から、梨園出入りのおじさんが来て境界の樹の枝葉や幹も程よい高さで切りそろえ、すっきりと調えてくれました。
おじさんは、地元の方で、ここで生まれて育ったので他府県に出た事は無いとのこと、仕事ではなく樹を切って綺麗にする事が好きで、毎年この時期にやってくるのです。
お陰で随分と明るくなり、梅雨空ながら別世界のようになりました。
湖子庵の庭のほうが、ぼさぼさで見苦しくなり、昨日は吉天も負けじと、モミジやカエデの手入れをし、枝に透かしを入れたりして、にわかに庭師に変身しました。
作業の甲斐あって、それは見事な名園と化し、自身も庭師の腕を上げたと自己満足で、充実した一日で御座いました。
大きく広がった空は「どんより」してはおりますが、雲間から光も射し、名園のたたずまいを、「ぼんやり」眺めております。
繁みを、取り払われた樹の幹が露出して、大きな蝸牛が「ゆっくり」と這い登っているのが、見られます。
PCのディスプレイや、キーボードに目を落としているうちに、彼の蝸牛を見失いました。
奴は、誤って樹の幹から落っこちたかなと、心配になり庭に下りて探索いたしましたるところ、幹の裏側にしっかりと貼りついて居りました。
余計な心配ご無用。と、マイペース、焦らず、ゆっくり。
カタツムリに、コーチングしてもらって、「どんより」のなか、「ぼんやり」して「ゆっくり」と、それでも幹の頂上を目指す心意気を学ばせてもらいました。
名園「湖子庵の庭」にて。 吉天爺
緊急ニュース。
秋葉原で、通り魔発生。7人死亡、10人怪我。
吉天、前の日アキバ通過せり。いつ何時どこで襲われるかわからない。「誰でも良かった」多量殺戮の恐怖。
永田町、霞ヶ関に、「後期高齢者など、誰彼かまわず遺棄」の魑魅魍魎常駐の恐怖。
ああ、東京ジャングル。
東京で歩き疲れて、都心の某有名デパートで入り口の受付嬢にお尋ねしましたさ。
「ちょっと、腰を下ろして休むところ有りませんか。あっ、それから水なんか飲めるところも有りませんか。」
「腰掛けるところは、反対側に丸い椅子が並んでいますので、どうぞ。水は、ここを つっきって行くと○○スーパーが有りますので、売っていると思います。」
会話は、これだけで何と言う事も無い当たり前のようなハナシ。
ああ、やはり東京は砂漠だ。これが東京砂漠だ。
時代を巻戻し50年ほど前、新入社員だったころのお話。
女性社長の教え。「あなたたち、お給料安いのだから、途中でお腹 空いたら牛乳(ビン牛乳)飲みなさい。牛乳買えなかったら、水飲みなさい。」
当時コンビニなく、自動販売機もなく、牛乳スタンド有ったか。
今、水はペットボトルのを買って飲む。湯水と言えどもただでない。
(今日、聞いたところ、その某デパートの本店には水を飲むところ、水飲み場あるという。)