国際情勢の分析と予測

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日本とロシアの常温核融合研究:北大理学部元助手の能登谷玲子とモスクワ大教授のフルムキン

2012年08月05日 | 常温核融合・重力遮蔽・生物兵器などの超先端科学技術
「世界通貨戦争後の支配者たち 」では常温核融合・元素転換が1924年に長岡半太郎東大教授によって報告されていたが世界的に評価されなかったこと、1935年に彦坂忠義東北大助手(当時。その後岩手大教授・新潟大教授など歴任)の殻模型理論が国際金融資本に近い家系出身の物理学の世界的権威であったボーアによって否定されたことを取り上げ、金本位制の中心であったロスチャイルド家などの国際金融資本が錬金術である元素転換が世界に知られるのを許さなかったのだろうと結論している。また、「低温核融合方法」という特許を保有している能登谷玲子氏に触れ、旧ソ連の科学者フルムキンとの交流歴があることに触れている。彼女の特許は常温核融合が報道された1989年の4年後の1993年に申請されているが、過剰熱を安定して定常的に大量に安価に製造できる方法であり画期的と思われる。能登谷玲子氏は旧ソ連の化学事情(化学と工業 45/, 1129-1131 1992)と題する雑誌記事で研究機関や大学などの事情に詳しく触れている。この記事によると彼女は1970-1971年にモスクワ大学化学部電気化学科、1974-1975年にFrumkin Inst. Electrochem. AS USSRに文部省及び学術振興会の派遣によって研究に従事している。ともに旧ソ連の偉大な化学者であったフルムキンが指導者であった研究施設である。彼女がフルムキン死去後の1978年に雑誌「触媒」に書いた記事「フルムキン先生のひとがらと業績」によると、彼女とフルムキンの交流は1966年から死去までの10年間である。恐らく彼女がフルムキンに最も深く関わった研究者だったのでこのような記事の執筆を要請されたのだろう。フルムキンの業績は電気化学、電極表面での物理現象がメインテーマである。能登谷玲子氏の研究もこれに沿ったものであり、常温核融合を彼女が1989年以降に手がけてわずか4年で特許申請に至ったのは当然とも言えるだろう。能登谷玲子氏は助手でありながら欧米の国際学会の委員を1995-1997年に2件務めており、極めて有能な研究者であったと考えられる。有能であるが故にフルムキンの元に派遣され、その後常温核融合の研究を行うことを日本政府に命じられたのだろう。 . . . 本文を読む
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