国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

神風体験(KAMIKAZE EXPERIENCE)

2010年10月09日 | 米国
●Kamikaze: Day of Darkness, Day of Light

99 crew members were lost as a result of kamikaze attacks on Intrepid in 1944 and 1945. The multi-media experience “Kamikaze: Day of Darkness, Day of Light” transports visitors back to November 25, 1944, when Intrepid was struck by two kamikaze suicide planes. The film tells the story of these deadly attacks through the eyes and voices of two Intrepid crew members: Donald Domenic DiMarzo, one of 69 men killed in the attack, and Dean Lesnett, a survivor. A memorial wall honors the crew members who gave their lives while serving aboard the Intrepid.
http://www.intrepidmuseum.org/





●1945年に行われた神風攻撃のカラー動画
http://www.youtube.com/watch?v=v-Kia79GyWU&feature=related







【私のコメント】
先日、日本から南米へと飛行機を乗り継ぐ際に乗り継ぎ便の関係でニューヨークで一泊することになった。ニューヨーク到着日の午後と翌出発日の午前が空き時間になり、どこか観光しようと考えた。ニューヨークには以前観光旅行で訪れたことがあり、エンパイアステートビルや美術館などのめぼしい観光地は既に訪れたことがある。思案したあげく、ニューヨーク到着日の午後は地下金庫に数千トンの金塊が貯蔵されているというニューヨーク連邦準備銀行を訪問することにして、インターネットで前もって予約した。出発日の午前は以前自由の女神を訪れた時に船に乗り遅れて訪問できなかったエリス島に行こうかと思っていたのだが、日本からニューヨークへのJALの飛行機の中でJALが発行したニューヨーク観光冊子を見ている時に、イントレピッドという名前の航空母艦がマンハッタン島の埠頭に展示され博物館になっていることを知った。エリス島よりこちらの方に気が向いたので、このイントレピッド博物館を訪問することにした。

ニューヨーク到着日は地下鉄でホテルに向かい部屋にスーツケースを置いて、再び地下鉄に乗ってウォールストリート駅で降りた。目的地のニューヨーク連銀には観光ツアー時間の45分前に着いたのだが、入り口の守衛に聞くと早すぎる、15分前に来いと言われる。そこで、ニューヨーク連銀の近くにありニューヨークでもっとも古いらしいトリニティ教会を訪れて時間を潰した。15分前に再びニューヨーク連銀に向かい、入り口で金属探知器と手荷物検査を受け、中に入りツアー開始を待つ。開始時刻より10分ほど遅れてツアーが始まった。

最初はアメリカの金貨の説明。その後、エレベータで地下に下りて金庫室に向かう。ただ、数千トンの金塊にお目にかかることはできなかった。私が見たのは、僅か数平方メートル程度のスペースに積まれた金地金の山であった。ツアーのガイドは英語で説明を喋り続けていたが、時差ボケで強い睡魔に襲われていたこと、私の英語聞き取り能力が低いことから、ほとんど内容は理解できなかった。ツアーは1時間弱で終わり、その後私は地下鉄ですぐにホテルに帰って、近所の食料品店で買ったサンドイッチを食べた後寝た。

ぐっすり眠ったせいか、翌日は時差ボケも解消した様であった。朝8時半にホテルをチェックアウトし、スーツケースをホテルのフロントに預けて身軽な状態で、イントレピッド博物館のあるマンハッタンに地下鉄で向かう。平日の通勤時間帯であり、地下鉄はかなり混んでいた。日本の乗車率で言うと、150%程度だろうか?客の8~9割は白人で、残りは黒人・アジア人などの他の人種だった。やはり、マンハッタンで昼間働く労働者は白人が多いのだろう。しかし、地下鉄の乗換駅では別の情景に出くわした。乗り換え通路の脇の一室に出入りする人がおり、何の部屋かと好奇心がわいて入ってみると、20畳ほどかと思われる部屋の中にいる人間たちは、受付にいる従業員らしき人のうち一人が白人であったのを除くと全員が黒人であった。部屋の壁は全て掲示板になっており、そこに大きな紙が貼られている。黒人たちはその紙を食い入るように眺めているのであった。

紙は曜日別になっており、地名・時間が書かれた表が印刷されている。時間はいずれも例外なく深夜帯であった。どうやら、深夜の職、それも曜日ごとの非常勤の職を紹介する職業案内所らしい。ただ、賃金が全く書かれていないのは不思議である。ニューヨーク市の最低賃金に統一されているので書く必要がないのかもしれない。実に興味深い体験であった。

その日の昼にイントレピッド博物館からホテルへ帰り、その後ホテルでスーツケースを受け取って再び地下鉄でJFK空港に向かったのだが、この時は地下鉄はかなり空いており、乗客の半分以上は黒人であった。それも、働き盛りの年齢の若い男女が目立った。朝の地下鉄とは全く対照的な人種構成である。また、ホテルから空港へ向かう地下鉄駅で、若い黒人男性が自動改札機を器用にすり抜けるのを見かけた。昼間の黒人乗客の一部はこのような無賃乗車なのだと思われる。白人と黒人の間の強烈な経済格差を目の当たりにした思いであった。

その他にニューヨークの地下鉄で気付いたこととしては、掲示に英語とスペイン語らしき言語の二重表記が目立った。英語を解さないヒスパニックがメキシコ国境から遠いニューヨークにも増えていることの証拠と思われた。また、治安が悪いという噂の割には、スリに合わないようにするためにカバンを腹側に背負っている人は全くと言っていいほど見かけなかった。ニューヨークの地下鉄ではスリは少ないのかもしれない。

前置きが長くなったので、本題に入ろう。イントレピッド博物館には9時45分に到着し、10時の開館と共に入場した。アジア人の客が沢山いたので出身地を聞くと、台湾と中国だった。中国人や台湾人はイントレピッド博物館に興味がある者が多いのかもしれない。博物館のある埠頭には超音速旅客機であるコンコルドが展示されている。また、埠頭の両側にそれぞれ潜水艦と空母イントレピッドが展示されていた。コンコルドと潜水艦には特に興味深い物ははなかった。空母イントレピッドも、私の持っている地球の歩き方・ニューヨーク(数年前のニューヨーク旅行時に購入した物で古い)によると、戦闘機の展示とかアポロ一号宇宙船の事故の展示ぐらいしか載っておらず、つまらなそうだと思いながら空母の中を歩いていた。この空母イントレピッドは真珠湾攻撃直前の1941年12月1日に進水しており、第二次大戦の対日戦争に参加している。壁には、289個の小さな旭日旗と多くの船の絵が誇らしげに描かれていた。どうやら、289機の日本の飛行機を撃墜し、多くの日本船を沈没・航行不能にさせたことを示している様であった。多くの日本人がこの船によって犠牲になったことを知り、憂鬱な思いであった。

そんな時に、「KAMIKAZE EXPERIENCE」と書かれた掲示を見つけた。冒頭の写真である。その横には多くの米国人の名前が書かれた壁があった。どうやら、この空母は日本軍の神風攻撃に遭遇して犠牲者を出したらしい。係員に尋ねると、10時30分から一時間おきに15分間のショーを上映しているという。私の持っている古い地球の歩き方には載っていないので、恐らく最近開始された展示であると思われる。ちょうど上映5分前であったので、そこで上映を待った。周囲には同様にKAMIKAZE EXPERIENCEを待つ客が20人ほどいたが、全員が白人であった。恐らく米国人であろう。上映直前になると天井から3-4枚のスクリーンが降りてきた。「未成年には衝撃的すぎる映像が含まれています」という文章が表示されていた。

やがて上映が始まった。最初は空母進水の平和な風景である。しかし、すぐに真珠湾攻撃の映像に変わり、その後日本軍が太平洋諸島を占領し、更にその後米軍がそれらの島々を奪還する様が地図上に描かれていた。そして、スクリーンが真っ黒になりサイレンが鳴り響くと戦闘のシーンになった。最初は、空母の周囲に戦闘機が次々に墜落するシーンであった。恐らく撃墜された日本の戦闘機と思われる。その次に、神風攻撃の決定的なシーンがカラー画像で写った。空母に着艦するかのような低い角度・低い高度で空母に向かって一機の戦闘機が飛んでいる。戦闘機に向かって空母から嵐のような機銃掃射が行われ、空母に近づいた戦闘機は火を噴く。その火の固まりはそのまま空母の甲板に激突し、大爆発を起こしたのであった。その直後から、スクリーンは大爆発の火災の消火活動、犠牲者の写真などに切り替わった。更にもう一回、同様の神風攻撃のシーンが放映され、また消火活動や犠牲者のシーンに切り替わり、その後は犠牲者の棺のシーンや撃墜されてくるくる回りながら墜落していく日本軍の戦闘機のシーンになってショーは終わった。

私は神風攻撃を動画で見るのは初めてだったので非常に強い印象を受けた。特に、戦闘機突入のシーンはカラーであり、赤い火の玉が灰色の空母に激突する様は非常に臨場感があった。神風攻撃というのはこのようにして行われたのだ、ということを私はニューヨークで、神風攻撃を受けた空母の中で知ったのであった。私以外の観客は恐らく米国人であり、神風攻撃で死亡した米国軍人たちに衝撃を受けていたことだろう。しかし、その中で私一人は、見事に神風攻撃を成し遂げて多くの米国軍人の命を奪った日本軍パイロットに心の中で拍手したのであった。私が以前訪れた鹿児島県知覧町には神風特攻隊の記念館があり、神風攻撃機と同数の祠が入り口への道路にあってその冥福を祈っている。そして、記念館の入り口には、火に包まれて散華するパイロットの絵が描かれている。記念館内部には、パイロットたちの遺書が飾られており、私は涙なくしてそれを読むことができなかった。私はこの知覧町の記念館を訪れたときのことを思い起こした。そして、戦闘で死亡した日米両国の軍人たちの冥福を祈ったのであった。

その後、博物館のパンフレットを熟読し、また博物館の売店に置いてあった空母イントレピッドの戦闘記録が書かれた分厚い書籍を立ち読みした。どうやら、「KAMIKAZE EXPERIENCE」で放映された神風攻撃は1944年の11月25日にフィリピンの東海上で行われたらしい。数分の間に二回の神風攻撃が相次いで行われ、合計69名の米国兵士が死亡、35名が負傷しているという(短い間隔で2回の自爆攻撃があったというのは911事件と妙に似ている)。その他、この空母は1944年10月29日に最初の神風攻撃を受けており、その時には10名の米国兵士が死亡しているという。11月25日の神風攻撃では、突入した飛行機はいずれも爆弾を搭載したまま空母に突入している。そのうち一機の攻撃では、爆弾は空母への突入直前に戦闘機から分離して甲板を突き破り、甲板の下にあった部屋で大爆発を起こした。部屋にいた二十数名の米国兵士は全員即死したと、売店で立ち読みした本には書かれていた。

このような神風攻撃がなぜ日本によって行われたのかについても考えてみた。前の記事の「敗北を覚悟で戦うことの意義:フィンランドとバルト三国の歴史の比較」でも述べたが、敗北確実であっても軍隊の高い志気を敵に見せつけて善戦することは、戦争後の敗戦国の国益に大きく貢献する。このような観点から、神風攻撃は実行されたのだと私は考えている。

最新版の地球の歩き方・ニューヨークを私は読んだことがないので、どの様に「KAMIKAZE EXPERIENCE」が紹介されているのかは知らない。しかし、第二次大戦や神風攻撃に関心を持つ、ニューヨークを訪れる日本人にとっては、このイントレピッド博物館は必ず訪問しておくべき場所であると思われる。入場料は24ドル。私は利用しなかったが、日本語のオーディオガイドのサービス(有料)も行われていた。最寄りの地下鉄の駅からは歩いて20分ぐらいで、交通の便も悪くない。このブログの読者の皆さんが次にニューヨークを訪問した時には、是非この「イントレピッド博物館」を訪問して欲しい。







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16 コメント

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光太郎 ()
2010-10-10 01:45:27
何でもイイが特攻がスキなら
次の日中戦争の時には真っ先に志願してとっとと戦死して下さい
間違っても若い者に命令で行かせようなどと考えないで下さいね
私は特攻何かで死ぬのはイヤです
特攻には五十代以上の人に行って貰います
国の偉い人の親戚から先ず志願していただきます
まあ国の為に潔よく特攻した英霊もおられるでしょうが
ほとんどの人はこんなバカな事で死にたくなかったでしょう
潔く特攻した英霊を讃えるのはいいでしょ
しかし同時に生きていたかったのに無念の想いで
特攻させられた人のくやしさや何かに対する怨み
その心にも思いをはせられないあなたは

未熟者です
ただの戦争基地外と紙一重でしょう
返信する
Unknown (誰か)
2010-10-10 03:29:53
なんかどうしようもない馬鹿がいるので堪らずコメントを。
自称平和論者、九条信者、※1のような人間は、
恐らくは戦争で負けるという事の、本当の恐怖を知らないのでしょう。
それまでの歴史が、文化が、住む街が、最悪は
家族が、知り合いが、友達が、何もかも消え去ってしまう。
それがどれほど恐ろしいことか、虚しい事か。
しかし、それが自分の命と引換えにでも、変えられる可能性が残っているのなら。
だからこそ、先人は体当たり攻撃を敢行したのです。

※1の人、未熟者はあなただ。
どこで学んだか分からないようなひねくれた考えで世の中を見て
詭弁を振り撒いて、他人を批判し、自分だけは正しいと信じ込んでいる。実に幼稚だ、滑稽だ。
そんなあなたにあの大戦を語る資格は無い。
返信する
蘭さんと誰かさんへ (princeofwales1941)
2010-10-10 04:02:35
第二次大戦での神風特攻隊に対する歴史的評価は定まっていません。私の主張は単なる一意見に過ぎません。私は、蘭さんの主張も誰かさんの主張も正しいと考えています。いくつもの正解があるのが社会科学というものです。
返信する
硫黄島も。沖縄も。 (読書貧乏)
2010-10-10 23:50:24
大東亜戦争から続く日米戦は、
もう日本の勝利が確実になりました。

復活した大日本帝国は、
支那を分割してしまうでありましょう。

戦後、日本が神がかり的な天才外交を行えたのも、
特攻隊や、硫黄島、そして沖縄の抵抗があったからであります。

しかし安穏としてはいられません。
日本は、たかだかの島国です。

現在の勝利は砂の上の勝利です。
続いても一世紀くらいでしょうか。

分裂したアメリカも、支那もやがて再結合するでありましょう。
そして、幕末維新を日本は繰り返すのではないか。

歴史的な遺産として
「最悪な時には、命を捨てて最悪なことをする」
命を無駄にする行為ですが、いつかやらなきゃならない日が来る。
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やむおえぬ (豪太郎)
2010-10-11 12:26:22
戦争は よくないことです
しかし 右のほほを 打たれたら 左のほほをさしだす
ということでは 今の世の中生き残れないでしょう。
踏みにじられて 奪われても 死しても 笑って見せて
やっぱり日本は すごいと思わせるのか。
それとも やむおえない ! となった時に もう一度
KAMIKAZE を呼び起こすのが いいのか?
戦わずして 勝つのが 戦いの極意だが、、、
過去のイニシエーションが期限切れとなった今
どのような イニシエーションをするか 肝心です。
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自分と国家との関係 (グリーン)
2010-10-12 01:58:39
「なによりも命は尊く掛け替えのないもの」というのはその通りですし、「かくすればかくなるものと知りながら…」と憂国の情を我が命に先んじて行動をとることもまた肯けるところです。

特攻に限らずこの種の問題を一方の思想的立場からの視点のみで評価することはできないでしょうね。

国民の命を粗末に扱った戦前の軍国主義の愚かさを肝に銘じ歴史に謙虚に学びつつも、日本国という自分の国はこれからどうあってもらいたいのか、そのために自分はどこまでなら日本の独立と繁栄に貢献できるものなのかを、日本人一人ひとりがじっくりと考えるときが来たようです。

返信する
判断 (kenji)
2010-10-12 11:00:21
 神風は結果であって、最初から、あったわけではない。
開戦時それに相当することを既にしているが、そこが問題ではないか?
 
フィンランド冬戦争は冷徹な分析と 戦争の終結形態まで、開戦時に考えている。
 翻ってわが国はそれがあったか?
史那事変ですら,何が何だかわからず、している。

戦争目的は何であったか?
これがさっぱりわからない。

ちょうど今の民主党のように何をするつもりかまた何ができると考えているのかさっぱり分からない。
 神風については、軍事的成果は確かにあるだろうが、戦争の推移には対して大きな影響は無かったと見ている。戦果はあった。
 軍事的行動と見るより。別なものと見るべきではないか。
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外交の季節は終わったのでしょうか? (面白い発想だが)
2010-10-12 21:29:09
フィンランドやバルト三国の歴史や神風特別攻撃隊の話をするところをみると外交の季節は終わったのかと悲観的になってしまいます。ここでは触れられていないですが、田中宇氏が中露関係を書いています。


「日中対立の再燃(2)」
http://tanakanews.com/101001japan.htm

この中で元外務省の岡崎久彦氏が
▼ロシアと関係改善してから中国と敵対すべきだった

という興味深い記事があります。 岡崎久彦氏といえば対米追従派の重鎮だけに非常に重みがあります。国是は定まらず内ゲバを繰り返している。

これを踏まえての本土決戦、神風のテーマなのでしょうか。気が重くなります。
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「面白い発想だが」さんへ (princeofwales1941)
2010-10-13 02:03:15
>フィンランドやバルト三国の歴史や神風特別攻撃隊の話をするところをみると外交の季節は終わったのかと悲観的になってしまいます。


外交の季節は決して終わっていないと思います。しかし、アヘン戦争以前は中国の最大の仮想敵国はモンゴルや満州などの大陸の北方遊牧民族であったのに対して、アヘン戦争以後はイギリス・フランス・日本・米国などの海洋国家が仮想敵国になっている。中国が経済的に対外貿易に大きく依存しており、その大部分が海路で輸送されていることを考えると、中国が陸ではなく海へと進出する方向は今後暫くは変わらないと思われます。その場合、日本は中国にとって最大の障壁であり、中国が急速に大国化していることを念頭に置けば、日中戦争が起きる危険性は常に認識しておくべきだと思うのです。中国が海洋国家を目指す方向性が変わらない限り、日中戦争の危険性は無くならないでしょう。
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賛成ですね (kenji)
2010-10-13 11:44:23
>中国が急速に大国化していることを念頭に置けば、日中戦争が起きる危険性は常に認識しておくべきだと思うのです。中国が海洋国家を目指す方向性が変わらない限り、日中戦争の危険性は無くならないでしょう。

彼等はそれを決意している。勿論孫子の国だから、現れ方は異なるが、既に着々と手を打っている。
史那の支配者は上がりで、運営しているから、そのがりが得られるように、わが国に工作をしている。
 本日も合弁をしていて、とられた。所がそれが無いと動かない。そのため最初の人はとられて、その部分を別な人(日本人)が買って(?)再び合弁のような会社にして、動かしている。部品が無いために買いに来たので、経緯が分かった。
 中共にしてみれば自民党から民主党に変わっても、上がりがあればいい。
 史那に着てほしいといわれたが<藤田ではねえ>と答えて、お仕舞いで、部品交換の仕方だけを教えた。勿論金は先にもらって。
従って先に核武装をして、対峙することである。
 ロシアとの関係をというが、スパイを放って、国境付近で工作をすることである。
 それが一番いい。
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