昨日ジョイと最後のお別れをしてきました。
とはいえ、見送るのは夜なので、それまで時間はたっぷりありました。
ですので、ジョイの前に家族で集い、あれこれあれこれ思い出話。
ジョイはそれをお花に囲まれ静かに聞いておりました。
一緒に行けないチビ達とは、
いつもジョイと歩いたコースをなぞるように歩きました。
この子たちは、寝かせているジョイに最初いつもの様に吠えたてにいきましたが、
しばらくすると、何か納得した感じでそのままにし、
時折匂いを嗅ぎに行く程度だったので、何か感じていたのかもしれません。
もしかしたら、
「今日は、おっちゃんよう寝てるな~。」
とか思ってたんでしょうか?
そうこうしていると時間があっという間に過ぎ、いよいよお別れの時間。
台車に乗せてガレージまで運んだのですが、
すごく気持ちよさそうな寝顔なので、
ついいつもの散歩コースを歩いてしまいそうになりました。
だからなるべくゆっくり歩いたのだけども、
こういう時の時間はすぐ過ぎる。
思えばジョイと過ごした16年もあっという間の出来事で、
あの子が子犬だった頃が、ついこの間のように思えるから、
時の流れって本当に速すぎる。
そういうわけで最後のジョイとのドライブ。
25キロというビーグルにしては異例の大きさだったので、
いつもは助手席を倒して乗せていましたが、
今日はトランクルームで我慢してもらいます。
うん、よう寝とる♪
そうして斎場につき、とうとう本当のお別れ。
1年先輩のぷーねえさんも一緒にお見送りにきました。
「お疲れ様。大好きなお花が一杯でよかったね~。
で、あなた、何を大事そうに抱えてるの?」
「おやつの焼き芋♪ もっと焼いて、焼いて、焼き尽くしますねん♪」
数時間後、ずいぶん小さく軽くなったジョイを抱え、
私たちはまた揃って家に帰りました。
家では留守番していたチビ達がお待ちかねで、いつもの様に大賑わい。
でも、それだけに一層ジョイの寝床が空っぽですごく寂しい。
そして今朝もいつものように目を覚まし、チビ達と散歩に出、
猫食堂でご飯を出、部屋の掃除をしたりと、ばたばたしていたはずなのに、
やはりなんかすごくおかしい。
時間がぽっかり空いたようで、
いったい何をしたらいいのか、ふと途方に暮れてしまう。
今までずっと毎日していたことを、いきなりやめちゃうとこうなるのか?
思えば16年って長いよね。
しかもだらだら過ごしたわけじゃなく、一日一日がすごく充実していた。
それだけ濃く、価値ある時間が途切れると、
そりゃやはり、途方に暮れてしまうよね…
でも、そう思えるというのは本当に幸せで、ありがたいことだなとも思う。
こういう思いはそうそうできるもんじゃない。
今までほかの人がこういう感じになった時、
私はいつもこう言っていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地面の土を掘り返し、大きな山を作った時、
その山が大きく高いほど、地面に空いた穴も大きく深くなる。
この山が、手にした喜びで幸せならば、
その穴は、その幸せと別れる際の悲しさ・辛さ。
だから、幸せな時を過ごせたものほど、それとの別れには大きな悲しみを必ず味わう。
それは絶対に避けることはできないし、
避けるべきではなく、甘んじて受けるべきもの。
というか、むしろ、喜んで受け止めるべきこと。
だって、悲しみが大きければ大きいほど、穴が大きいということで、
それはつまり山が高く、受けた喜び幸せも大きかったということに他ならないから。
そしてそう思えれば、悲しみがどんなに大きくとも大丈夫。
そういう人は絶対に、今ある悲しみ以上の喜びをすでに得ているから、
絶対に悲しみにのみ込まれない。
それが証拠に、山を崩し穴を埋めようとしても、
絶対に元のように平らな地面にはならず、以前より盛り上がった小さな山になる。
その小さな山が、プラスマイナス、相殺され得た幸せ。
だから、今はどんなにつらくとも、
必ず絶対乗り越えて、手にした幸せをかみしめることができるもんです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、私が人に言うだけでなく、
実際今までの数々の別れの中で、かみしめるように何度も思い考えたこと。
だから今回も、繰り返すように、何度も何度も頭の中で。
そうそう、昨日の一番最後、ジョイのお骨上げの時のこと。
きれいに白く焼けたジョイの体の、内臓部分だけが黒く焼けておました。
これは、ガンや病気それらの影響で、内臓がちゃんと動けなくなっていたときにおこる状態だそうです。
ということは、ジョイは見た目以上に状態が悪くなっており、
内臓は本当に限界で、ぎりぎりの状態で頑張り続けていたということのようです。
だから最後の方、食欲がなくなったのも当たり前。
うんちが柔くなったのも当たり前。
吐き戻したのも当たり前。
すでにそのころはもう消化器系は仕事をしていなかったんですから。
それでも直前まで好きなものを食べ、お水をよく飲めたということは、
あの子には、「食べる」という喜びがぎりぎりまであったということで、
それがわかると、本当に嬉しくなりました。
最後まで、喜びを忘れることなく眠りにつけれて本当に良かった…
でも、そう思うと、
ジョイは根っからの食欲大魔王だったな。
*おまけ*
昨日娘が紙粘土でこういうものを作ってくれました。
ジョイの足型。
嬉しいくらいきれいに取れたので、手にすると思わずにっこり♪
ここにシリコンでも流せば、ジョイのぷにぷに肉球を量産できるぞ!
とはいえ、見送るのは夜なので、それまで時間はたっぷりありました。
ですので、ジョイの前に家族で集い、あれこれあれこれ思い出話。
ジョイはそれをお花に囲まれ静かに聞いておりました。
一緒に行けないチビ達とは、
いつもジョイと歩いたコースをなぞるように歩きました。
この子たちは、寝かせているジョイに最初いつもの様に吠えたてにいきましたが、
しばらくすると、何か納得した感じでそのままにし、
時折匂いを嗅ぎに行く程度だったので、何か感じていたのかもしれません。
もしかしたら、
「今日は、おっちゃんよう寝てるな~。」
とか思ってたんでしょうか?
そうこうしていると時間があっという間に過ぎ、いよいよお別れの時間。
台車に乗せてガレージまで運んだのですが、
すごく気持ちよさそうな寝顔なので、
ついいつもの散歩コースを歩いてしまいそうになりました。
だからなるべくゆっくり歩いたのだけども、
こういう時の時間はすぐ過ぎる。
思えばジョイと過ごした16年もあっという間の出来事で、
あの子が子犬だった頃が、ついこの間のように思えるから、
時の流れって本当に速すぎる。
そういうわけで最後のジョイとのドライブ。
25キロというビーグルにしては異例の大きさだったので、
いつもは助手席を倒して乗せていましたが、
今日はトランクルームで我慢してもらいます。
うん、よう寝とる♪
そうして斎場につき、とうとう本当のお別れ。
1年先輩のぷーねえさんも一緒にお見送りにきました。
「お疲れ様。大好きなお花が一杯でよかったね~。
で、あなた、何を大事そうに抱えてるの?」
「おやつの焼き芋♪ もっと焼いて、焼いて、焼き尽くしますねん♪」
数時間後、ずいぶん小さく軽くなったジョイを抱え、
私たちはまた揃って家に帰りました。
家では留守番していたチビ達がお待ちかねで、いつもの様に大賑わい。
でも、それだけに一層ジョイの寝床が空っぽですごく寂しい。
そして今朝もいつものように目を覚まし、チビ達と散歩に出、
猫食堂でご飯を出、部屋の掃除をしたりと、ばたばたしていたはずなのに、
やはりなんかすごくおかしい。
時間がぽっかり空いたようで、
いったい何をしたらいいのか、ふと途方に暮れてしまう。
今までずっと毎日していたことを、いきなりやめちゃうとこうなるのか?
思えば16年って長いよね。
しかもだらだら過ごしたわけじゃなく、一日一日がすごく充実していた。
それだけ濃く、価値ある時間が途切れると、
そりゃやはり、途方に暮れてしまうよね…
でも、そう思えるというのは本当に幸せで、ありがたいことだなとも思う。
こういう思いはそうそうできるもんじゃない。
今までほかの人がこういう感じになった時、
私はいつもこう言っていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地面の土を掘り返し、大きな山を作った時、
その山が大きく高いほど、地面に空いた穴も大きく深くなる。
この山が、手にした喜びで幸せならば、
その穴は、その幸せと別れる際の悲しさ・辛さ。
だから、幸せな時を過ごせたものほど、それとの別れには大きな悲しみを必ず味わう。
それは絶対に避けることはできないし、
避けるべきではなく、甘んじて受けるべきもの。
というか、むしろ、喜んで受け止めるべきこと。
だって、悲しみが大きければ大きいほど、穴が大きいということで、
それはつまり山が高く、受けた喜び幸せも大きかったということに他ならないから。
そしてそう思えれば、悲しみがどんなに大きくとも大丈夫。
そういう人は絶対に、今ある悲しみ以上の喜びをすでに得ているから、
絶対に悲しみにのみ込まれない。
それが証拠に、山を崩し穴を埋めようとしても、
絶対に元のように平らな地面にはならず、以前より盛り上がった小さな山になる。
その小さな山が、プラスマイナス、相殺され得た幸せ。
だから、今はどんなにつらくとも、
必ず絶対乗り越えて、手にした幸せをかみしめることができるもんです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、私が人に言うだけでなく、
実際今までの数々の別れの中で、かみしめるように何度も思い考えたこと。
だから今回も、繰り返すように、何度も何度も頭の中で。
そうそう、昨日の一番最後、ジョイのお骨上げの時のこと。
きれいに白く焼けたジョイの体の、内臓部分だけが黒く焼けておました。
これは、ガンや病気それらの影響で、内臓がちゃんと動けなくなっていたときにおこる状態だそうです。
ということは、ジョイは見た目以上に状態が悪くなっており、
内臓は本当に限界で、ぎりぎりの状態で頑張り続けていたということのようです。
だから最後の方、食欲がなくなったのも当たり前。
うんちが柔くなったのも当たり前。
吐き戻したのも当たり前。
すでにそのころはもう消化器系は仕事をしていなかったんですから。
それでも直前まで好きなものを食べ、お水をよく飲めたということは、
あの子には、「食べる」という喜びがぎりぎりまであったということで、
それがわかると、本当に嬉しくなりました。
最後まで、喜びを忘れることなく眠りにつけれて本当に良かった…
でも、そう思うと、
ジョイは根っからの食欲大魔王だったな。
*おまけ*
昨日娘が紙粘土でこういうものを作ってくれました。
ジョイの足型。
嬉しいくらいきれいに取れたので、手にすると思わずにっこり♪
ここにシリコンでも流せば、ジョイのぷにぷに肉球を量産できるぞ!
仕事で忙しくて、ちょっとお邪魔していなかったら、とんでもないことになっていたんですね。
ジョイくん、16年も頑張っていたんですね。
私から見たら、結構御長寿さんだと思いました。
ひすさんやご家族みんなに愛されて、きっと楽しい16年だったと思います。
ジョイくんのご冥福をお祈りします。
実は、急に寒くなったあの日、ジョイの容体が急変した。
と、そう思っていたのですが、本当のところはそうではなく、
もうほとんど限界ぎりぎりの状態で、ずっと踏ん張っていてくれていたようです。
そういう様子をこちらに感じさせない当たり、
本当にあのこたちは皆我慢強いですね。
最後も、苦しまず自然に寝たまま逝ってくれたので、
私たちは本当に助かりました。
最後まで良い子で素晴らしい孝行息子でしたよ。
16年。
長いようで短くて、
でもやはり、とてもとても長かったです。