エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

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2020-07-14 15:35:50 | 地獄の生活

II

 

イジドール・フォルチュナ氏が居を構えているのは、ラ・ブルス広場二十七番地の中二階であった。彼はそこにかなり立派なアパルトマンを持っていた。サロン、食堂、寝室、そして大部屋が一つあり、そこでは二人の従業員が日がな一日書き仕事をしている。更に、立派な執務室もある。それは彼の聖域であり、彼が考え事をしたり瞑想に耽る場所なのだ。これらすべてひっくるめて家賃は年たったの六千フラン、家賃の相場からすれば、はした金程度の価格である。おまけに契約では、屋根裏の三・二平方メートルほどの小部屋を使う権利も与えられていた。彼はそこに召使のドードラン夫人を住まわせていた。彼女は世の辛酸をなめてきた四十六歳の女性で、彼の食事の世話をしていた。フォルチュナ氏は独身ではあったが、家で食事をする男だったからだ。五年前からこの界隈に住んでいる彼は非常に良く知られた存在だった。家賃や税金、それに行きつけの店の支払いは滞らせずきちんとやるので、彼は一目置かれていた。パリでは、一目置かれるからといって即信用にはつながらない。が、百スーをどこで稼いだかを問われたりはしないものだ。一目置かれれば、それで十分なのである。

それに、イジドール・フォルチュナ氏がどこで金を得ているか、人々はよく知っていた。彼の収入には確かな証拠があった。彼は係争中の訴訟や借金などの取り立てを業務としていた。そのことは彼のドアにエレガントな盾形紋地の銅板の上にはっきりと書かれている。そして彼の仕事は頗る順調に運んでいるに違いない、と人々は見ていた。彼は屋内で働く従業員以外に、六人の外回りに従事する人間を雇っていた。顧客は大勢彼のもとを訪れるため、ときどき管理人が文句を言うほどであった。宗教行事の列よりも大勢の人が詰めかけるので、建物の階段がそのために破損した、というのである。

隣人に対し、信頼関係を築く前に、より多くを期待したり、別のやり方を要求するのは、行きすぎというものであろう。公平を期するため、次のことは付言せねばならない。彼の外見、振る舞いや態度はどんなに気難しい人間でも好意を持ってしまうような性質のものであった。年齢は三十八歳、几帳面で優しく、教養があり、感じの良い話し方をし、非常に男前で、常により洗練された趣味を模索している、というような服装をしていた。仕事においては、丁寧だが厳しく、霊安室の板石のように冷酷であると非難されたが、誰しも自分の流儀で物を言うものだ。

一つ確かなことは、彼は決してカフェに行かない人間だということである。夕食後、外出することがあるとすれば、それは近所の裕福な仲買人の家で開かれる夜会に出席するためだった。彼は煙草の臭いが大嫌いで、信心深く、日曜八時のミサは欠かさなかった。家政婦は彼が結婚することを考えているのではないか、と怪しんでいた。それは当たっているかもしれなかった。いずれにせよ、フォルチュナ氏がいつものように一人で夕食を終え、極上の紅茶をちびちびと味わっていたとき、控えの間の呼び鈴が鳴り、来客があることを告げた。ドードラン夫人が急いで開けに行き、ヴィクトール・シュパンが姿を現した。走って来たため、すっかり息を切らしていた。ラ・ブルス広場からクールセル通りまでの距離を二十五分以内で駆け抜けてきたのだ。7.14

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