エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-Ⅳ-3

2020-10-23 10:17:23 | 地獄の生活

彼を紹介してくれた男は周囲の人々と次々に握手を交わしながら去って行ったので、彼は少し陰になったところにあるソファに腰を下ろしに行った。気後れしていたというわけではなく、よその家に来たとき誰もが感じる本能的な警戒心を感じていた。また、好奇心が見え見えにならぬよう気を付けつつ、可能な限り周囲を見回し、耳をそばだてていた。マダム・ダルジュレのサロンは、細長い部屋を移動式の仕切り壁と複数の壁掛けで二つに区切られていた。舞踏会を催すときには仕切りは取り払われるが、そうでない夜は仕切りが設置され、二部屋として使われた。一つの部屋では賭けゲームが行われ、もう一つはお喋り好きのたまり場であった。パスカルはゲームの部屋に居たのであるが、それは広々としており、大変高級に設えられ、素晴らしく趣味の良い調度品が置かれてあった。絨毯はけばけばしさとは全く無縁で、コーニス(壁・円柱などの上部や張り出ている部分)が金ぴかすぎることもなく、振り子時計は実用性を主眼としたものであった。調和を乱す物があるとすれば、可動式のランプ・シェードのようなものが、シャンデリアの上に実に巧妙に配置され、蝋燭の光がすべてカードテーブルの上に集まるようになっていたことである。このテーブルもまた、極上のクロスで覆われていたが、それは四隅にだけしか見ることができなかった。というのはその上に二枚目のクロスが敷かれてあり、それは緑色で、すっかりすり減っていた……。

マダム・ダルジュレの招待客は五十人いるかいないか、という程度であったが、全員が最上の階級に属する人々だった。大半が四十歳を越えており、その多くは勲章などで華々しく飾り立てた服装をし、相当年配の二、三人は特別の敬意を払われているようだった。

パスカルも名前を知っている何人かの名前が口に上り、彼をひどく驚かせた。

「なんと!そんな人たちがここに来ているのか!」と彼は心に思っていた。「それなのに俺は、怪しげな連中が人目を避けて集まるたまり場だと思っていた……」

女性は七、八人しかおらず、目を惹くような者はいなかったが、皆大変贅沢な、しかしどこかうさん臭い装いをしていて、一様にダイヤモンドを身に着けていた。彼女たちに接する際、人々は完璧な無関心を示し、彼女たちに話しかけるときには、過剰な丁寧さが却って皮肉に聞こえることにパスカルは気づいた。

カードテーブルについているのは、せいぜい二十人ほどで、残りの者たちは隣の部屋に行っており、テーブルについたまま動かずにいるか、あちこちの隅で小集団を作ってお喋りをしていた。驚くべきことは、そこにいる全員が低い声で話しをしていることであった。そのひそひそ声で交わされる会話には敬意のようなものが感じられた。まるでこのサロンの中でなんらかの奇妙な宗教儀式が行われているかのようだった。賭けゲームはクラブのジャックによって捧げられた偶像崇拝のようなものではないか?カードはその象徴であり、偶像もあれば崇拝対象の呪物もあり、奇跡もあれば、盲目的崇拝者、殉教者もいる、といった案配だ。ときにはこのひそひそ声を突き抜けてプレイヤーたちの異様な叫び声が聞こえる。

「二十ルイと行こう!……張った!……パスする! ……終わりだ! ……受けて立とう!」

「なんと奇妙な集団だろう!」とパスカル・フェライユールは思っていた。「常軌を逸した人々だ!」10.23

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IV 2

2020-10-22 14:15:16 | 地獄の生活

社交界の女性のような物腰、多岐に亘っているように見える教養、そして素晴らしい音楽の才能をどこで手に入れたのか? 彼女に関するすべては憶測の対象でしかなかった。彼女が名刺に印刷させている聖書とピレネー山脈のガイドブックから取られたかのようなその名前、リア・ダルジュレ、に至るまで。

ともあれ、人々は彼女の舘に殺到した。ヴァロルセ侯爵とフォルチュナ氏が彼女の名前を口にしていたまさにそのとき、六台の馬車と供回りの一行が彼女の門の前に停められ、サロンは人で一杯だった。時刻は真夜中の十二時半だったが、週に二度の集いに人々が続々と詰めかけ、絹の靴下を穿いた下男が大声で次々と客の到着を告げていた。

「ド・コラルト子爵様!……パスカル・フェライユール様!」

ゲームに参加している者たちのうちで、わざわざ顔を上げる者は少なかった。が、一人の老人が呟いた。

「よし、また二人来たな」

四、五人の青年たちが声を張り上げた。

「おい、フェルナンじゃないか! よく来たね、君!」

ド・コラルト氏はまだ非常に若く、素晴らしく見映えのする青年だった。彼の美貌はいささか不安を掻き立て不健全な印象を与えるほどであった。髪は濃い金髪、優しく大きな黒い目を持ち、女たちは彼の波打つ髪と青白い肌の色を羨ましく思ったに違いない。彼の服装は、殆ど媚態に近い類まれな洗練の度合いを示していた。折り返された襟もとから首筋が覗き、薔薇色の手袋が彼の繊細でしなやかな手にぴったり収まっていた。彼は暖炉のそばのソファにくつろいで座っているマダム・ダルジュレに近づいた。彼女は二人の重々しく威厳のある、上品な様子の禿げの紳士と話をしていた。

「まぁ、なんて遅くにいらしたこと、子爵!」と彼女は言った。「今日は一体何をしてらしたの? 森でお見かけしたような気がするんですけど。ヴァロルセ侯爵のドッグカート(軽装二輪馬車。背中合わせの座席が二つあった)でね」

ド・コラルト氏の頬に軽い赤みが射し、彼はそれを隠すためであろう、返事をする代わりに自分と一緒に入ってきてその名を告げられた男の手を取り、マダム・ダルジュレの前まで連れてきた。

「ご紹介いたしましょう、マダム。私の素晴らしい友人の一人、パスカル・フェライユール氏です。弁護士で、そのうち彼の名前をお聞きになることと思います」

「あなたのお友達でしたら、いつでも歓迎いたしますわ、子爵」とマダム・ダルジュレが答えた。

しかし深々とお辞をお辞儀したパスカルが頭を上げる前に、彼女は向きを変え、中断された会話を再開していた。この新参者はしかしほんのちらりと見ただけでその真価が分かるような男ではなかった。この男は二十四、五歳で、髪は褐色、背が高く、その身のこなしには、完璧に調和の取れた筋肉と並々ならぬ逞しさがもたらす自然な優雅さが表れていた。目鼻立ちは整ってはいなかったが、全体的に感じが良く、力強さと正直さ、そして善良さが発散していた。このような誇り高く秀でた額を持ち、きらきら光る目でまっすぐ人を見、赤くて形の整った才気煥発そうな唇の男が並みの人間である筈はない。10.22

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IV

2020-10-19 11:53:36 | 地獄の生活

IV

 

 ギユテ法(1863年、当時の国民議会議員であったアデマール・ギユテがジャーナリズムのプライバシー侵害に対する罰則を定める法案を可決させようとして、個人の生活は壁で守られるべき、と発言し、『ギユテの壁』と揶揄された)がプライバシーを護るために壁の上に尖った陶器の破片を立てるべし、と主張したのは無駄で、パリ市民たちの好奇心を満たすことを生業としている雑誌記者たちは、障壁も危険も顧みなかった。『オット・ヴィー』誌の記事のおかげで、マダム・リア・ダルジュレがベリー通りにある彼女の魅力的な邸宅で週に二回---月曜と木曜---客を迎えることを知らぬ読者はいなかった。そこでは驚くような歓楽の宴が催された。舞踏会は滅多にないが、真夜中を過ぎるとゲームが始まる。散会の前には夜食が供される。

 かの両替商の出納係ジュール・シャゼルが脳天をぶち抜いて自殺したのは、このような宴から帰った後であった。ダルジュレ邸に集う綺羅星のような人々は、この極端な行為を嘆かわしい悪趣味だと評した。

 「あの青年は全くの腰抜けだ! 負けが込んだといっても、千ルイ(1ルイ=20フラン)にも満たない額じゃあないか」

たかだかその程度の金のために彼は命を落とした。今の時代、はした金ではないか。ただ、その金は彼のものではなかった。彼は自分に任された金庫からその金を取ったのである。ひょっとしたら一晩で二倍にしようともくろんでいたのかもしれない。朝になり、一人になって自分が一文無しであることに気づき、欠損を目の前にしたとき『お前は泥棒だ!』という良心の叫び声が聞こえてきたのかもしれない。それで彼は頭を撃ち抜いたのである。

 この事件は大きな反響を生んだ。当時、『プチ・ジュルナル』誌は、この哀れな若者の母親のことまで記事にした。この気の毒な婦人---未亡人---は、自分の所有するものをすべて、ベッドの木枠に至るまで売り払い、金を作った。ようやく二万フランを工面した彼女は、息子の空けた穴を償い、名誉を回復しようと、両替商に持っていった。両替商はその金を受け取り、母親にその夜の食事代はあるかと尋ねもしなかった。そしてジュール・シャゼルから金を巻き上げた紳士たちは、この行為はごく当然で正当なこととみなした、というのである。

マダム・ダルジュレが四十八時間の間悲嘆に暮れていた、というのは本当のことであった。警察が捜査のようなものを開始していたので、このことが彼女の常連客たちを震え上がらせ、誰も彼女のサロンを訪れなくなるかもしれなかった。だが、彼女はほっと安堵の胸をなでおろした。この自殺の噂が大きな宣伝効果を生み、むしろ大いに賑わったのである。五日間というもの、パリの暇人たちの間では彼女のことで持ち切りで、アルフレード・ドーネは絵入り新聞に彼女の肖像画を載せたほどであった。しかし、マダム・リア・ダルジュレとはどういう人物かということは、こうした社交欄の担当者たちの誰も知らなかったので、記事に書く事もなかった。彼女は何者で、どこから来たのか? 今日までどのように生き、いかにして上流社会の高みで輝く地位を得たのか? ベリー通りの邸宅は彼女が所有しているのか?本当に人が思うほどの金持ちなのか?10.19

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