10/13に阪急今津線 門戸厄神駅で西宮北口~宝塚駅間開通100周年記念ヘッドマークを掲出した5000系を撮りました。
1枚目は、門戸厄神駅に向かう西宮北口~宝塚駅間開通100周年記念ヘッドマークを掲出した5057の普通 宝塚行きです。
2枚目は、西宮北口駅で停車中に撮った5057に掲出されている西宮北口~宝塚駅間開通100周年記念ヘッドマークです。
デザインされている車両のイラストは、今津線で活躍した歴代の車両の内、左から90形90号、掲出されている5057、920系959です。
959の運行標識板は、当時は区間運用だった西宮北口~宝塚駅間の紺色地のもので、芸が細かいです。
3枚目は後追いで、門戸厄神駅に停車中の5006です。
4枚目は、西宮北口駅で停車中に撮った5006に掲出されている西宮北口~宝塚駅間開通100周年記念ヘッドマークです。
5057に掲出されたヘッドマークとデザイン、車両が異なっており、今津線で活躍した歴代の車両の内、左から51形51号、掲出されている5006、90形92号車です。
今津線 西宮北口~宝塚駅間は1921(大正9)年9月2日に西宝(さいほう)線として開通しました。
1926(大正15)年には西宮北口~今津駅間が開業して全通すると同時に今津線に改称されています。
また、この時から西宮北口駅にはダイヤモンドクロスと呼ばれる神戸線と線路が十字形に交わる平面交差が設置されています。
自分が子供の頃はダイヤモンドクロスを通過する電車音が好きで、鉄道好きになった要因の一つと思います。
なお、ダイヤモンドクロスは1984年に廃止され、現在のように今津線は西宮北口駅で南北に分かれた運転形態になっています。
西宮北口~宝塚駅間が開通して、今年、100周年を迎えたことを記念して、9/2~12/2の予定で今津線の5000系、7000系の各1編成に今津線で活躍した歴代の車両をデザインした記念ヘッドマークの掲出が行われました。
51形は1920(大正9)年の神戸線開通の際に、全長15m級で二重屋根の木造3扉車として51~62号が登場しました。
イラストのように、当時の関西私鉄で流行していた妻面が半円形の卵形5枚窓のスタイルが特徴です。
1921(大正10)~23(大正12)年に平妻3枚窓、丸屋根など少しずつスタイルを変えながら、86号まで38両が登場しています。
名義上は1953(昭和28)~56(昭和31)年に610系に更新されています。
ただし、51形の台車、電気品等は380形、500形に転用されて、捻出した機器類を流用して新製した車体と組み合わせて610系は登場しています。
なお、380形、500形、610系は後に能勢電に譲渡されて活躍していました。
90形は阪急としては珍しく他社からの譲渡車になります。
1920年の西宝線開通時には51形が運用されていたようですが、乗客数は少なかったことから、1923年に小型の40形が登場しました。
しかし、1926年の今津駅延長に際して逆に輸送力不足が見込まれたことから、鉄道省(後の国鉄、現JR)から木造車を目黒蒲田電鉄(現東急)経由で6両購入しています。
6両の内、90~92号は1909(明治42)年に旧院電で初のボギー車として登場したホデ1形、93~95号は1913(大正2)年に登場したナデ6110形でした。
因みに現在、鉄道博物館に保存されているナデ6141は同じ形式になります。
後に伊丹線、甲陽線で運用されるようになり、1952(昭和27)~53(昭和28)年に半鋼製車体への更新が行われ、1965(昭和40)年まで現役で活躍しました。
920系は1934(昭和9)年~48(昭和23)年に2両編成×28編成が登場しました。
神戸線の大阪~神戸間の25分運転で活躍し、阪急初の2両固定編成の採用、連結部への広幅貫通路の設置など、その後の阪急の車両設計の基本を確定させた形式です。
自分が子供の頃は、普通運用ながら神戸線、宝塚線の本線で7~8両編成でも活躍しており乗車した記憶が有ります。
1970年代後半には、先頭車になる車両の前照灯が、通称ブタ鼻と呼ばれたシールドビーム2灯化改造が行われており、ヘッドマークの959のイラストのようなスタイルとなってます。
長らく神宝線で活躍した920系は今津線を含めた支線運用となり、1982年に全車引退しました。
なお、969~972の4両が救援車4050形に改造され、現在も在籍しています。
1枚目は、門戸厄神駅に向かう西宮北口~宝塚駅間開通100周年記念ヘッドマークを掲出した5057の普通 宝塚行きです。
2枚目は、西宮北口駅で停車中に撮った5057に掲出されている西宮北口~宝塚駅間開通100周年記念ヘッドマークです。
デザインされている車両のイラストは、今津線で活躍した歴代の車両の内、左から90形90号、掲出されている5057、920系959です。
959の運行標識板は、当時は区間運用だった西宮北口~宝塚駅間の紺色地のもので、芸が細かいです。
3枚目は後追いで、門戸厄神駅に停車中の5006です。
4枚目は、西宮北口駅で停車中に撮った5006に掲出されている西宮北口~宝塚駅間開通100周年記念ヘッドマークです。
5057に掲出されたヘッドマークとデザイン、車両が異なっており、今津線で活躍した歴代の車両の内、左から51形51号、掲出されている5006、90形92号車です。
今津線 西宮北口~宝塚駅間は1921(大正9)年9月2日に西宝(さいほう)線として開通しました。
1926(大正15)年には西宮北口~今津駅間が開業して全通すると同時に今津線に改称されています。
また、この時から西宮北口駅にはダイヤモンドクロスと呼ばれる神戸線と線路が十字形に交わる平面交差が設置されています。
自分が子供の頃はダイヤモンドクロスを通過する電車音が好きで、鉄道好きになった要因の一つと思います。
なお、ダイヤモンドクロスは1984年に廃止され、現在のように今津線は西宮北口駅で南北に分かれた運転形態になっています。
西宮北口~宝塚駅間が開通して、今年、100周年を迎えたことを記念して、9/2~12/2の予定で今津線の5000系、7000系の各1編成に今津線で活躍した歴代の車両をデザインした記念ヘッドマークの掲出が行われました。
51形は1920(大正9)年の神戸線開通の際に、全長15m級で二重屋根の木造3扉車として51~62号が登場しました。
イラストのように、当時の関西私鉄で流行していた妻面が半円形の卵形5枚窓のスタイルが特徴です。
1921(大正10)~23(大正12)年に平妻3枚窓、丸屋根など少しずつスタイルを変えながら、86号まで38両が登場しています。
名義上は1953(昭和28)~56(昭和31)年に610系に更新されています。
ただし、51形の台車、電気品等は380形、500形に転用されて、捻出した機器類を流用して新製した車体と組み合わせて610系は登場しています。
なお、380形、500形、610系は後に能勢電に譲渡されて活躍していました。
90形は阪急としては珍しく他社からの譲渡車になります。
1920年の西宝線開通時には51形が運用されていたようですが、乗客数は少なかったことから、1923年に小型の40形が登場しました。
しかし、1926年の今津駅延長に際して逆に輸送力不足が見込まれたことから、鉄道省(後の国鉄、現JR)から木造車を目黒蒲田電鉄(現東急)経由で6両購入しています。
6両の内、90~92号は1909(明治42)年に旧院電で初のボギー車として登場したホデ1形、93~95号は1913(大正2)年に登場したナデ6110形でした。
因みに現在、鉄道博物館に保存されているナデ6141は同じ形式になります。
後に伊丹線、甲陽線で運用されるようになり、1952(昭和27)~53(昭和28)年に半鋼製車体への更新が行われ、1965(昭和40)年まで現役で活躍しました。
920系は1934(昭和9)年~48(昭和23)年に2両編成×28編成が登場しました。
神戸線の大阪~神戸間の25分運転で活躍し、阪急初の2両固定編成の採用、連結部への広幅貫通路の設置など、その後の阪急の車両設計の基本を確定させた形式です。
自分が子供の頃は、普通運用ながら神戸線、宝塚線の本線で7~8両編成でも活躍しており乗車した記憶が有ります。
1970年代後半には、先頭車になる車両の前照灯が、通称ブタ鼻と呼ばれたシールドビーム2灯化改造が行われており、ヘッドマークの959のイラストのようなスタイルとなってます。
長らく神宝線で活躍した920系は今津線を含めた支線運用となり、1982年に全車引退しました。
なお、969~972の4両が救援車4050形に改造され、現在も在籍しています。