◎格言3-9臨済禅師は(老子狂言)
『9○
臨済禅師は、
もし、もっと長く生きたならば、
老子のあり様に近くなっただろう。
が、
臨済君は臨済君だ。
彼は、完全な自由を生きた。
老子は老子だ。
彼は生き切り、生ききらず、
死に切り、死にきらない、
絶対即相対の完璧な体得者であり、
余りにもあたりまえなただの人。
そこで、超人普化はというと、
ここで、
狂僧か何か知らないが、狂僧普化は、
カンオケの中で死んだというわけだ・・・
普化!
おまえのことだ!
すべてのことだ!
地水火風空無霊有のことだ!
あなた自身の夢・・・・
あなたのいない夢・・・・
カオス・不如意・不安恐怖・あらゆるエクスタシー・幸福・不幸・快楽・苦痛・
あなたもわたしもない。
何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢なのよ・・・・
至高無比の絶対満足の中に、
いいへ、それ自身の夢が戯れているのよ・・・・・・・
見よ!
是れは夢か絶対者か?
それとは何か??
是れ何者ぞ!?
おまえ自身の
あらゆるお前自身の、
気狂い遊戯。
「よくも、あきないもんだ・・・。」』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
以下【】内は上掲詩文から引用。
最初は、禅僧臨済と老子という水平の悟りの体現者から入った。
臨済は、自由。老子は、死に切り、生き切らない。普化は、オフィシャル晩餐会のご馳走の並ぶテーブルを蹴り倒し、自分で棺桶に入って死んだ。
次に【あなたもわたしもない。
何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢】の戯れフェーズに入り、
次に
【是れ何者ぞ!?
おまえ自身の
あらゆるお前自身の、
気狂い遊戯。】
と全体を見渡し、終わりのないことに
【「よくも、あきないもんだ・・・。」】と率直に感想を述べる。
こういう詩のことを、生死出入自在とか、自由無碍とか言うのだろう。