アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢なのよ

2025-02-12 06:37:23 | ダンテス・ダイジの風光

◎格言3-9臨済禅師は(老子狂言)

 

『9○

臨済禅師は、

もし、もっと長く生きたならば、

老子のあり様に近くなっただろう。

が、

臨済君は臨済君だ。

彼は、完全な自由を生きた。

老子は老子だ。

彼は生き切り、生ききらず、

死に切り、死にきらない、

絶対即相対の完璧な体得者であり、

余りにもあたりまえなただの人。

そこで、超人普化はというと、

ここで、

狂僧か何か知らないが、狂僧普化は、

カンオケの中で死んだというわけだ・・・

 

普化

おまえのことだ!

すべてのことだ!

地水火風空無霊有のことだ!

 

あなた自身の夢・・・・

あなたのいない夢・・・・

カオス・不如意・不安恐怖・あらゆるエクスタシー・幸福・不幸・快楽・苦痛・

あなたもわたしもない。

何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢なのよ・・・・

至高無比の絶対満足の中に、

いいへ、それ自身の夢が戯れているのよ・・・・・・・

見よ! 

是れは夢か絶対者か? 

それとは何か?? 

是れ何者ぞ!?

 

おまえ自身の 

あらゆるお前自身の、

気狂い遊戯。

「よくも、あきないもんだ・・・。」』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩文から引用。

 

最初は、禅僧臨済と老子という水平の悟りの体現者から入った。

臨済は、自由。老子は、死に切り、生き切らない。普化は、オフィシャル晩餐会のご馳走の並ぶテーブルを蹴り倒し、自分で棺桶に入って死んだ。

 

次に【あなたもわたしもない。

何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢】の戯れフェーズに入り、

次に

【是れ何者ぞ!?

 

おまえ自身の 

あらゆるお前自身の、

気狂い遊戯。】

と全体を見渡し、終わりのないことに

【「よくも、あきないもんだ・・・。」】と率直に感想を述べる。

こういう詩のことを、生死出入自在とか、自由無碍とか言うのだろう。

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完全に充実する、完うしつくす

2025-02-12 06:09:31 | ダンテス・ダイジの風光

◎格言3-8無意味な、あるいは大いなる意義あるルール(老子狂言)

 

『8○

無意味な、あるいは大いなる意義あるルールを、形式を問わず完うしつくすことが、

欲望のエネルギーである。

完全に充実する、完うしつくすとは何か?

もし、

そこにすこしも余計なものもなく、

ただただの流れが、

あなた無しのあなたを

限りない『それ』であるのならば、

『それ』はそれなのであり、

この意味で、

ルールを完うしつくし続けるだけならば、

そして、その具体的なあらゆる努力を、作為・情熱・倦怠・安心・不安・全智・恐怖などを抜きにしてなされるある状態を、カルマ・ヨーガと称する。』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩文から引用。

 

欲望のエネルギーの一つのスタイルは、【完全に充実する、完うしつくす】ということ。

 

【あなた無しのあなたを

限りない『それ』】のままに

【ルールを完うしつくし続けるだけならば、

そして、その具体的なあらゆる努力を、作為・情熱・倦怠・安心・不安・全智・恐怖などを抜きにしてなされるある状態を、カルマ・ヨーガと称する。】。

 

ダンテス・ダイジにとって、カルマ・ヨーガによって実際に覚醒した人物は、伊福部隆彦氏だった。

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あらゆる立場の現象存在にとって、 出口はない

2025-02-12 05:56:01 | ダンテス・ダイジの風光

◎格言3-7壊れたラジオ(老子狂言)

 

『7○

壊れたラジオ・・・人間。

調和のとれているラジオ・・・人間。

いづれにせよ、

絶対的に条件づけられたラジオだ。

出口はない。

余りにも、あたりまえなことだが、

あらゆる立場の現象存在にとって、

出口はない。

あらゆる‘形’で固定された私たちには。』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩文から引用。

 

人間は、すべてのすべてである神と、みじめで情けなく無力な自分という人間を、二重に生きている。そのみじめで情けなく無力な自分を、【出口はない。】と云う。

 

人間の頭は、政府、マスコミ、学校、スマホ、隣人、あらゆる教育、言説、プロパガンダで9割以上占められている。これをマインド・コントロールあるいは洗脳と呼び、

【あらゆる‘形’で固定された私たち】とも

【壊れたラジオ・・・人間。

調和のとれているラジオ・・・人間】とも言う。

 

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あなたは、いつも、もっともっと欲しいのだ

2025-02-12 05:44:08 | ダンテス・ダイジの風光

◎格言3-6いいと言うことと(老子狂言)

 

『6○

いいと言うことと 

悪いと言うこととの 

多様多元の世界。

マーヤー、多元宇宙。

それ以上、

何が必要か・・・?

「あなたは、

いつも、もっともっと欲しいのだ。」』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩文から引用。

 

【いいと言うことと 

悪いと言うこととの 

多様多元の世界。】

を眺めてみれば、どの人も大方、

【いつも、もっともっと欲しいのだ。】

だから現象世界のマーヤーは終わることはない。

人は、善を行い悪を行わないように生きるべきだが、

【いいと言うことと 

悪いと言うこと】

は両方ある。

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女性のクンダリーニ-5

2025-02-12 03:42:35 | アヴァターラ神のまにまに

◎女性のクンダリーニ・ヨーガは未探検

 

OSHOバグワンは、女性のクンダリーニがどのように上昇するかについては、これからの研究によるとした。だったら、女性はクンダリーニ・ヨーガの方法が事実上ないと宣言するのが親切ではないのだろうか。

ポイントは、以下。

  1. 男性の場合、クンダリーニは非常に活発に、力ずくで上昇する。
  2. 男性のエネルギーが上昇するとき、それは受容的で受動的な上昇となる。
  3. 男性の場合は何かが入ってくる。女性の場合は何かが開く。

 

(以下、OSHOバグワンのヴィギャンバイラブタントラ2巻のChapter26 P383-385から仮訳)

 

『(仮訳)

男性の場合、それは非常に活発に、力ずくで上昇します。だからこそ、彼らはそれを蛇の立ち上がりと呼んできたのです。非常に力ずくで、突然、衝撃とともに、蛇が展開します。そして、それは多くの点で感じられます。それらの点はチャクラと呼ばれています。抵抗があるところならどこでも、蛇は無理に押し入ります。ペ●スがヴァ●ナに入るのと同じように、その通路は男性にとって似ています。エネルギーが上昇するとき、まるで内部のペ●スが動いているかのようです。そして蛇は男根の象徴です。実際には、直接的な言葉を使わないように、ペ●スと呼ばずに蛇と呼んだのです。

あなたはエデンの園の物語を聞いたことがあるでしょう。そこで蛇はイブをそそのかして、知恵の木の実を食べさせました。現在、学者たちは研究しており、この蛇もまた単なる男根の象徴であり、直接言わないように使われたと言っています。ですから、それは本当に知恵の木の実を食べる問題ではなく、セクシュアリティの問題なのです。

同じ象徴がインドでも同様に使われています。蛇が、ペ●スが痙攣しながら勃起し、内側へ移動するのと同じように立ち昇るのです。

しかし、これは女性の感覚ではありません。感覚は全く逆でしょう。女性がペ●スがヴァ●ナに入ったときに感じる感覚、つまり溶けるような感覚、歓迎する感覚、ヴァ●ナが道を譲る感覚、非常に繊細に、非常に受容的な気分で、愛し、歓迎しながら振動する感覚、これと同じことが内部でも起こるでしょう。エネルギーが上昇するとき、それは受容的で受動的な上昇となるでしょう。まるで通路が開くかのように。蛇が立ち昇るのではなく、ドアが開き、通路が開き、何かが道を譲るような感じです。それは受動的で否定的でしょう。男性の場合は何かが入ってきます。女性の場合は何かが開くのです。入ってくるのではなく。

しかし、これまで誰もこのことについて研究してきませんでした。なぜなら、誰も女性を認識してこなかったからです。しかし、今後は、それは必須だと思います。女性の体は無視されるべきではありません。多くの研究と努力が必要ですが、あまりにも多くのピューリタン的で道徳的なナンセンスがあるため、研究し、女性の体が現象にどのように反応するかを示す地図を作成することは非常に困難です。

しかし、私はこのように感じています。すべてが正反対になるでしょう。そうあるべきです。類似しているはずがありません。しかし、最終的なものは同じでしょう。』

 

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同性愛とアジナー・チャクラ-2

2025-02-12 03:12:24 | アヴァターラ神のまにまに

◎男が女を知り、女が男を知ることは、ニルヴァーナに到達する一段階

 

この段は、乳幼児期から成人に至る性的嗜好の推移を示し、どう大悟覚醒に至るかを説明している。

 

ポイントは以下。

  1. 乳児は自慰的。次に子供は同性愛的に変わる。
  2. 三段階目に異性愛に変わる。
  3. 男が女を知り、女が男を知ることは、ニルヴァーナに到達する一段階。
  1. 大悟覚醒の最後の瞬間、アジナー・チャクラで、男と女の途方もない出会いが起こらなければならない。

  

OSHOバグワンのThe Divine Melody P51を仮訳してみた。

『(仮訳)

生まれてくる子供は皆、自慰的です。なぜなら、子供は最初に自分自身を愛することを学ぶからです。それが唯一の自然な方法です。彼は他の誰も知らないので、自分の体で遊びます。生まれてくる子供は皆、自然に自慰的です。それが彼の最初の愛です。

彼の成長の第二段階は、彼が同性愛者になることです――これも自然なことです。彼は自分自身を愛してきました。もし彼が男の子なら、確かに他の男の子を愛し始めます――彼の愛は広がっています。女の子は非常に遠く、全く別の種類の動物です。彼は自分自身を愛しています――他の男の子を愛する方が彼にとって簡単です。女の子は自分自身を愛しています――他の女の子を愛する方が彼女にとって簡単です。男の子は別の世界にいます。これが第二段階、自然な段階です。自慰、そして同性愛です。

そして第三のことは、第三の波は、あなたが他者――反対の性別――を愛し始めるときです。男と女は両極であり、両極が出会うとき、初めて挑戦が生まれます。そうです、葛藤があります――そしてその葛藤が挑戦なのです。同性愛は、確かに、より都合が良いかもしれません。

なぜなら、葛藤があまりないからです。両者は似ています。彼らは互いを理解し、互いのやり方や考えを知っています。両極性はありません――そしてもし両極性がなければ、もちろん葛藤はありませんが、成長もありません。両極性があれば、葛藤が生じ、挑戦が生まれます――相手を理解し、相手のやり方を知るための挑戦です。そして、男が女を知り、女が男を知ることは、精神的な成長の一部なのです。

なぜ精神的な成長の一部だと言うのでしょうか?つい先日、私は、最後の瞬間、第六チャクラ――アジナー・チャクラ――で、男と女の途方もない出会いが起こらなければならないと言っていました。

あなたは内側でも二つに分かれています。男と女です。もしあなたが外側の女性と出会うことができなければ、内側の女性のためのスペースを作ることは非常に難しいでしょう。もしあなたが外側で他者を愛することができなければ、内なる他者のために愛に満ちた空間を作り出すことは不可能でしょう。

男は男だけではありません。男と女が一緒なのです。彼は男と女から生まれました――彼は50/50であり、女もまたそうです。そして究極の内なる出会い、結合、内なる錬金術は、あなたが外の世界でその方法を学んだ場合にのみ可能です。

男が女を愛するとき、彼は何かを学んでいます。男が男を愛するとき、彼は何も学んでいません。女が男を愛するとき、彼女は何かを学んでいます――未知のもの、反対のもの、全く別のものについて何かを。愛し合う男と女は、右脳半球が左脳半球を愛していることを意味します。

 

ですから、もしあなたが精神的な成長に興味があるなら、あなたは同性愛から異性愛へと成長しなければなりません。もしあなたが精神的な成長に興味がないなら、何も問題はありません。あなたはそのまま――異性愛者でも同性愛者でも、すべて同じです。これで明確になったと思います。もしあなたが精神的な成長に興味がないなら、問題はありません。私は同性愛に反対しているわけではありません。私は何にも反対していません。それはあなたの人生です――あなたが決めなければなりません。私は何者ですか?』

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