◎無為を達成するために有為を用いる
光とは何か。OSHOバグワンの説明。
太乙金華宗旨の冒頭。
ポイントは、以下。
1.人は太乙という神になる。
2.両目をひとつにする秘法は、無為を達成するために有為を用いること。
3.黄金の華とは光だ。両目がひとつになれば、黄金の光の華があなたのなかで咲いたかのようになる。
4.今は闇だが、黄金の華は光源のない光。ひとたび黄金の光を知れば、あなたは不死なる者になる。
5.タオと同様に光はつねに存在している。
果たして光はクンダリーニなのだろうか。
『太乙(大いなる一者)とは、それにまさるものがない者の呼び名である。
その一者になることが「太乙」になるということだ。このようにして道家の人々は、「神」という言葉を使わずに神についての何かを述べている。ひとつになれば、あなたは神になっている。
生命の丹術の秘法は、無為を達成するために有為を用いることにある。
この言葉には大きな力が秘められている。この両目をひとつにする秘法とは何か?内なる男と女を合一させるにはどうすればいいのだろう?もはやあなたが二つに割れることなく、内輪もめをする家ではなくなり、どんな葛藤も緊張も生じない、まったくひとつの存在になるよう、あなたの男性性と女性性を互いに溶け合わせるにはどうすればいいのだろう?その合一のなかには至福がある。なぜなら、すべての緊張が消え、すべての葛藤が消え、すべての不安が消えるからだ。その一者になるにはどうすればいいのだろう?
(中略)
黄金の華とは光だ。人は黄金の華を象徴として用いる。「水の領域の鉛にはひとつの味しかない」という詩句はそれを指す。
黄金の華は象徴だ、あなたのエネルギーがもはや二元的ではなくなり、ひとつになったときの象徴だ。すさまじい光が放出される。そしてその光は金色だ。まるで黄金の光の華があなたのなかで咲いたかのようだ。しかし、それはたんなる象徴にとどまらない――象徴ではあるが、文字通り真実だと言ってもいい。それはまさにそのように起こる。
たった今、あなたは闇として、暗い夜として存在している。それが起こるとき、あなたは日の出の姿をとって現れてくる。どこにも太陽を見ることはできないが、光はそこにある。その光には光源がない--それは光源のない光だ。だが、ひとたびその内にある黄金の光を知れば、あなたは不死なる者になる。そうなったら死は存在しない。光はけっして死ぬことがないからだ。
生命のすべて、森羅万象のすべては、ただ光のみで成り立っている。すべては光の顕れにすぎない。現代の物理学者に尋ねてもいい。現代の物理学者たちの見解は、「すべては光だ。形は変化しつづけるが、光はつづいてゆく。光は永遠だ」という点で、タオと完全に一致している。
世にある聖典の多くは、「光」という言葉ではじまる。「太初に・・・神は『光あれ』と言われた」それが始まりだ。もしも始まりがあったとすれば、他の始まり方はありえなかっただろう、きっと光とともにはじまったはずだ。だが、始まりなどというものはけっしてなかった。これはたんなる寓話にすぎない。光はつねに存在している。
『コーラン』は「神は光だ」と言う。スーフィたちが神に与えた名前のひとつはヌルだ。ヌルとは光のことだ。』
(黄金の華の秘密/OSHO/メルクマールP30-32から引用)