◎自分の墓とその費用のことを気にする
疎山匡仁(洞山良价禅師の法嗣)は、くる病で背が低く、食べたものをすぐに吐き出す病気を持っていた。
疎山に主事僧が寿塔(生前に建てておく墓)を造り終わった旨を伝えた。
疎山「石屋にいかほど銭を与えたか」と問うた。
僧は、「すべて和尚様次第です。」
疎山、「石屋に三文を与えたらよいか、それとも二文を与えたらよいか、一文を与えたらよいか、言ってみよ!もし言えたら、本当に私のために寿塔を造ったことになる。」
主事憎は、これを聞いて茫然自失して、何も言えなかった。
後にある僧が、大嶺に住庵していた羅山道閑にこのことを告げた。
羅山は、まだ誰も答えていないと聞いて、「お前は帰って疎山に、羅山は次のように言っていたと告げよ。
もし三文を石屋に与えたならば、疎山は生きている限り決して寿塔を得ることはできますまい。
もし二文を与えたならば、疎山は石屋の手伝いをせねばならないだろう。
もし一文を与えたならば、疎山も石屋も眉鬚堕落(言語を弄してみだりに仏法を説くと、その罪で眉やひげが脱け落ちてしまうこと。)することになるだろう。」
その僧は、このことを疎山に告げた。疎山は、威儀を正して大嶺を望み、礼拝して嘆じていわく、「この世では、真の禅者はいないと思っていたが、大嶺に古仏がいて、その光がここまで届いた。ちょうど12月に 蓮の花が開いたようだ。」
羅山は、これを聞いて言うには、「もう亀の毛が数メートル伸びてしまったわい。」
疎山は、諸々の聖者のあとを追わず、自己の神聖性をも重んじないという厳しい考え方を貫いてきたのだが、晩年になって自分の墓とその費用のことを気にするようになっていた。
最高額の三文払ってもらいたいが、そんなことをすれば、禅者としてはダメだ。
二文ならば適正価格かもしれないが、そんなことを言っているようでは、疎山は石屋の手伝いをせねばならない。
最低額の一文なら、疎山の法身(人によって法身が異なるとも思えないが)の値段としては安すぎる。
つまり三文でも二文でも一文でもだめなのであって、本当に本当に自分が死なねばならない。
羅山は、徹底していない疎山の応答が気にいらず、亀の毛が数メートル伸びたと評しただけだった。
出口王仁三郎は、随筆月鏡で「怒声と悲鳴とが魂の長さと幅である以上は、幅の分らぬ人間こそ真の人間であり神の子である。」と唱えた。疎山は、長さと幅を測りに行った。