◎盗人のとりのこしたる窓の月
南泉普願(七四八~八三四)が、病を得て亡くなるとき、第一座の僧の趙州がたずねた。
趙州「和尚は有(有の側)を知る人ですが、百年の後(亡くなった後)どこに生まれ変わるのでしょうか。
南泉「山の下の檀家の一頭の水牛となる」
趙州「お示しありがとうございます。」
南泉「昨夜の真夜中、月がおれを迎えに来た。」
半生を善を行い続けた南泉にして水牛に転生するしかない。
宗教や信仰の窮極は、永遠の安楽な生活にあると思っている人が多いのかもしれないが、そんな淡い願望を高僧南泉の臨終のやりとりは打ち砕いていく。
それでも人は何のために生き、何のために生まれ変わってくるのだろう。
盗人のとりのこしたる窓の月
(良寛)