◎龐居士が禅客を咎める
ここ一週間ほどは、北日本の大雪のニュースが伝えられ、例年の二倍三倍の積雪ということで、私は雪国で育ったから、ことさらに高齢化した各地の除雪の苦労が思い起こされる。
というわけで雪の禅語録。薬山、龐居士、雪竇(せっちょう)とも、有力な禅僧。薬山のところには、禅客と呼ばれる老師上堂説法時に質問だけをするけしからん輩がいたようだ。
雪竇頌古から
薬山を訪ねた龐居士が辞去した。薬山は十人の禅客に門のところまで見送らせた。
居士は空中に舞う雪を指さして言った、「見事な雪だ、一ひらひらが余計な場所には落ちない(最初からそこに落ちることが決まっていたかのように、きちんきちんと落ちる)。」
折から全禅客という男がいて、「どこに落ちますか。」
居士は一発平手打ちをくらわせた。
全禅客、「居士どの、乱暴は困ります。」
居士、「君はそんなことで禅客だなどというが、閻魔大王の前では通用しないぞ。」
全禅客、「居士どのはどうです。」
居士はもう一つ平手打ちをくらわして言った、「目はあいていても盲同然、口はきけても唖(おし)同然だ。」
雪竇(せっちょう)が初めの問いかけに別の見方を示して言った、「俺なら雪の丸(たま)を作ってぶっつけるだけだ。」
雪の落ちる様は見飽きぬもので、雪見酒の風流がある。
雪竇は、龐居士の見方に同意した。
禅では究極を示すことだけが認められるので、脇道に逸れると一瞬にしてやりこめられる。