◎マニピュラ・チャクラの世界
(2008-09-29)
町の小さな祠でもお稲荷さんは、正一位稲荷大明神の派手派手の赤い幡を立てているのを見かけることがあるものだ。
梅原猛氏によると、827年淳和天皇の御代に、空海が東寺を建てるため、24本の巨木を東山の稲荷山と思しき山から切り出した。するとどういうわけか淳和帝が病気になった。
天皇は49人の僧を召して17日間薬師の修法を行なったが、験なく快癒しなかった。そこで、稲荷社にお伺いを立てたところ、東寺を建てるために稲荷社の木を伐採した祟りであるとのご託宣を得た。
そこで、後に右大臣にまで昇る従七位下の大中臣雄良を稲荷社に遣わして、稲荷大明神に従五位下の神階を授けたところ、たちまち天皇は快癒された。
これを教訓としたせいか,空海はこの来歴のよくわからない古い神を東寺の鎮守神としてとりこんで祀ったらしい。
それから千年たった今でも、神社本庁所属の約8万の神社中4万余りが八幡社であり、次いで3万社が稲荷社であり、お稲荷さんは隠然たる尊崇を勝ち取り続けている。
稲荷は、豊受大神やマンモンと同じ、ホワイト・フォックス系の現世利益の神。自分の一番深いところの本当の願望がわからない現代人にとっては、軽々にこのような善悪の色のついていない神を呼び出したり、帰依することは、大概は自分に都合のよい願望を成就させることに利用しようと動くことになる。
その結果は、自分勝手な自分をなくす方向ではなく、この現実社会の中で勝手気ままな自分を肥大化させる方向の動きとなるので、この時代のメイン・ストリームである、社会の中での自己実現(マニピュラ・チャクラ)から愛(アナハタ・チャクラ)への移行ということではなく、マニピュラ・チャクラに象徴される社会の中の願望実現にとどまることから、むしろ退歩と位置付けられることになるだろう。