武徳七年(624年.推古三十二年) 2007-01-07 09:29:19 | Weblog 三月趙郡王は輔公祐を降し南部は完全に平定された。 突厥は依然として侵攻を続け、秦王・齊王元吉らが防禦にあたった。 皇室内部では秦王と皇太子・齊王の対立は深刻化していき、高祖はその処理に苦悩していた。