李嶠。字巨山
趙州贊皇人。
隋內史侍郎元操の從曾孫。
父鎮惡は襄城令。
文辭に優れ、20才で進士に合格。
安定尉となり。制策甲科、長安尉に。
監察御史に移り。邕巖二州叛獠時に監軍。
給事中となり狄仁傑等の冤罪を訴え、貶潤州司馬。
久して鳳閣舍人となる。
知天宮侍郎事から麟台少監同鳳閣鸞台平章事として相となる。
鸞台侍郎兼修国史に移る。
久視元年,舅張錫が相となり、相を辞して成均祭酒。
俄に檢校文昌左丞留守東都。
長安三年尚書左丞平章事として復相。
知納言から內史となるが辭し成均祭酒平章事。
白馬坂の大仏建立を諫言する。
神龍元年張易之に坐し貶豫州刺史、また通州刺史。
數月で吏部侍郎になり封贊皇縣男。
吏部尙書に昇進。
員外官を乱造する。
神龍二年中書令として復相。
三年修文館大學士を加えられ封趙國公。
景龍三年,罷中書令,以特進守兵部尚書、同中書門下三品。
睿宗即位し免相。懷州刺史となり、ついで致仕。
その後滁州別駕、廬州別駕に貶せられ卒。70才。
[宰相履歴]
①.聖暦元年10月鳳閣侍郎平章事~久視元年3月守鸞臺侍郎兼修國史
~閏7月罷
②.長安三年閏4月尚書左丞平章事~知納言事~四年4月知内史事
~6月成均祭酒三品~11月罷
③.神龍二年正月吏部尙書三品~7月守中書令~景龍元年7月中書令正任
~三年8月兵部尚書三品~景雲元年6月貶
趙州贊皇人。
隋內史侍郎元操の從曾孫。
父鎮惡は襄城令。
文辭に優れ、20才で進士に合格。
安定尉となり。制策甲科、長安尉に。
監察御史に移り。邕巖二州叛獠時に監軍。
給事中となり狄仁傑等の冤罪を訴え、貶潤州司馬。
久して鳳閣舍人となる。
知天宮侍郎事から麟台少監同鳳閣鸞台平章事として相となる。
鸞台侍郎兼修国史に移る。
久視元年,舅張錫が相となり、相を辞して成均祭酒。
俄に檢校文昌左丞留守東都。
長安三年尚書左丞平章事として復相。
知納言から內史となるが辭し成均祭酒平章事。
白馬坂の大仏建立を諫言する。
神龍元年張易之に坐し貶豫州刺史、また通州刺史。
數月で吏部侍郎になり封贊皇縣男。
吏部尙書に昇進。
員外官を乱造する。
神龍二年中書令として復相。
三年修文館大學士を加えられ封趙國公。
景龍三年,罷中書令,以特進守兵部尚書、同中書門下三品。
睿宗即位し免相。懷州刺史となり、ついで致仕。
その後滁州別駕、廬州別駕に貶せられ卒。70才。
[宰相履歴]
①.聖暦元年10月鳳閣侍郎平章事~久視元年3月守鸞臺侍郎兼修國史
~閏7月罷
②.長安三年閏4月尚書左丞平章事~知納言事~四年4月知内史事
~6月成均祭酒三品~11月罷
③.神龍二年正月吏部尙書三品~7月守中書令~景龍元年7月中書令正任
~三年8月兵部尚書三品~景雲元年6月貶