唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

抜矢

2006-08-31 18:16:35 | Weblog
至徳二年、京師回復の戦いは激戦となった。

回紇・郭子儀の官軍十五万に対して

安慶緒の勇将李歸仁は十万の精兵で対抗した。

数では勝る官軍だが、賊兵のほうが強い。

初戦はたちまち賊軍優勢となった。

「退くな、持ちこたえろ」

安西將李嗣業は肌脱ぎとなって大刀を構えて指揮している。

先鋒の將王難得もまた形勢回復のため奮戦していた。

突然難得の顔面に賊軍の矢が

眉を貫き、片眼に突き刺さったのだ。

周りの兵達は騒然となった。

しかし難得は矢を一気に抜き去り

顔面の血をぬぐうと戦い続けた。

「回紇軍が突撃を始めた。賊が崩れたったぞ」

形勢は逆転し、血まみれの難得も先頭に立ち突撃していった。

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臆病者

2006-08-30 18:38:48 | Weblog
「殿、庭先に引き据えました」

「うん? 捕虜とはいえ仮にも刺史殿だ、庭先はひどかろう」

「しかし殿、たまらなく臭いのです」

「臭い?」

「捕まってから怯えきってて垂れ流し状態なんです」

反乱軍、淮西李希烈の陣である。

引き据えられているのは汝州の刺史李元平

自分なら汝州を守り抜いてみせると

宰相関播や皇帝の前で大言壮語した当人である。

ところが將李克誠の猛攻にあって即日落城

「希烈などは敵ではないと申したそうだの」

「お赦しくださいまし、言い過ぎました」

元平は必死に頭を地に打ちつけて懇願した。

こいつは能はあるかもしれんが臆病者だ。

そう判断した希烈は言った。

「赦してやれば、おれに仕えるか」

「もちろんです。陛下、忠誠をお誓いいたします」

糞便にまみれて舞踏するその姿をみて

希烈の臣は笑いをこらえるのに苦労していた。
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葉護

2006-08-29 18:34:40 | Weblog
太子葉護に率いられ回紇の精騎四千が南下してきた。

至徳二年九月の事であった。

「安慶緒の騎兵には到底かないません」

「いつも勝ちそうにはなるのですが」

と郭子儀が皇帝に懇請してきた結果であった。

喜んだ帝は三日間の歓迎の宴を予定させた。

それをきいて葉護はあきれて言った。

「禮儀の国とはいえ貴国は緊急の時でしょう」

「儂らは遊びに来たわけではありません」

「のんびり宴会などしている時ではありません」

「すぐ軍糧を補給してください、明日は出撃しましょう」

と促した。

翌日、回紇と子儀軍十五万は京師回復に向かった。

郊外で激戦が続いた。

しかし回紇騎兵の突撃により賊軍に穴が空き

そこへ子儀軍がなだれこんだ。

斬首六万。

京師は一気に回復され、賊軍は東都へ奔った。
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鄭従党と河東

2006-08-28 18:37:57 | Weblog
「また河東で軍乱か」

「節度使が逐われたり、殺されるのは何人目だろう」

「誰も兵士達を抑えることはできないのか」

黄巣が勢力を拡大して北上を始めていた。

北部でも沙陀の李克用が反乱を起こしていた。

その最前線の河東では戦の不利もあり、軍乱が頻発していた。

次々と交代する節度使は殺されるか、死ぬかであり

軍隊は野放しといってよい状態であった。

「儂がいくしかないか」

宰相鄭従讜はつぶやいた。

「乱を避けるのにも都合がよいしな」

「一族や子分達も根こそぎつれていくか・・」

人望のある従讜の周辺には人材が集まっていた。

廣明元年従讜は願い出て河東節度使となった。

温和でありながら果断

信頼した相手は完全に信頼する。

不満と互いへの猜疑心が渦巻き

争いに疲れ果てていた河東軍の將達は

たちまち従讜の姿勢に引きつけられた。

軍乱は後を絶ち、黄巣が京師を陥落させた時も

河東軍は微動もしなかった。
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落馬

2006-08-27 08:47:48 | Weblog
「敵將が一騎打ちを求めています」

「雑胡のくせになまいきな、ふんづかまえて」

「あ、いけません、殿・・・」

安慶緒の將蔡希は大軍で潞州城を囲んでいた。

しかし潞州節度使程千里は懼れてなどはいなかった。

兵備や糧食は十分である。

吐蕃や大食の軍と戦ってきた歴戦の強者
である千里にとっては場慣れた状景でしかなかった。

「百騎を揃えよ出撃するぞ」

「希を捕らえてくる」

城門を開き、千里は突撃していった。

その勢いに、賊軍は崩れたった。

「逃げるな、俺と戦え・・・・」

しかし大軍に百騎では限界がある。

「しかたがない引き返せ」と千里

ところが、途中の木橋が崩れ、千里は馬から投げ出された。

得たりと賊兵達は千里を捕まえ希のもとに引きずっていった。
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緊急避難

2006-08-26 09:22:29 | Weblog
「緊急事とは何だ」

「宰相が襲撃され、お怪我をされました」

「なに・・・・」文宗皇帝は絶句した。

開成三年正月の事だった。

「傷の程度はどうだ」

「幸い命に別状はございませんが」

すでに文宗には犯人はわかっていた。

宦官仇士良一派が、その専権を妨げる宰相李石を
除こうとしたものだ。

三年前の甘露の変以来、宦官達の勢力は強く

文宗や宰相は押されっぱなしである。

ただ石だけが抵抗していた。

「またやるかもしれん」

「護ってやることは朕にはできぬ」

文宗は己の無力さをひしひしと感じた。

一月後、傷が癒えた石が参内した。

「石よ、荊南節度使として行ってくれるか」

それが文宗が、石の命を護ってやれる唯一の手段だった。

傍らで仇士良が憎々しげに石をみつめていた。
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流転

2006-08-25 18:23:50 | Weblog
激しい風が戸に吹き付けガタガタと音をたてた

「城壁をはいのぼり門を開きます・・・」
吹雪の中、愬をみて祐は叫んだ。

「お前のような勇将が荊南軍などにおったとはな」
縛り上げられた祐をみて少誠が言った。

さらに激しい風が戸をゆらしたとき、李祐の意識が戻った。

「ここはどこだ・・・?」
高熱にうなされてつぶやいた。

「城内の殿の部屋でございます」
周囲を取り巻いていた家臣が答えた。

「城内? どこの城だ?」

「もちろん滄州城でございます」

祐の記憶が戻ってきた。

横海軍節度使として反乱していた李同捷を平定し、滄州城に入ったばかりであった。

その後高熱を発し床についていたのだ。

ふたたび目を閉じた頭の中を走馬燈のように記憶が巡った。

荊南軍の將として、淮西征討に出撃したのはまだ三十になるかならぬかの時だった。

軍は総崩れとなり、勇戦していて退却の機を逸して捕らえらた。

多くの將は斬られたが、祐は呉少誠に勇敢さを認められて赦された。

その後、呉少陽・呉元濟に従い、反乱軍の將として恐れられていた。

元和12年油断をして李愬に捕らえられたときにはもう死を決意した。

それまでの残虐行為が赦されるとは思えなかったからだ。

ところが愬は赦しただけでなく、討伐の中心として重用した。

祐は感激し、蔡州城を奇襲する大功を上げたのだった。

そして今は、官軍の総司令として反乱を鎮圧する立場となった。

「なんとめまぐるしい・・・」

激しい風が再び戸を揺らした。

「俺はどんな時も必死で生きてきたのだ」

その月、祐は死んだ。
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官奴

2006-08-24 20:13:40 | Weblog
嚴武が剣南の地で亡くなったという報せが届いた。

吐蕃の侵攻により動揺していた剣南を

その強権で曲がりなりにも抑えていた武の死は朝廷を困惑させた。

当然、実家にも連絡が入った。

しかし武の母は悲しげな様子もなく日常と変わらなかった。

不思議に思って家人が

「お悲しくはないのですか」と聞くと

「武が生きている間は毎日が心配でしたよ」

「法や規則を勝手に破り、気に入らないと部下でも殺してしまう」

「いつ処罰され、私も連座して官奴に落とされるか」

「注意してもまったく聞かない子でしたからね」

「これからは安心して暮らしていけますよ」
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避位

2006-08-23 17:49:20 | Weblog
「節度使は承元様だ!」

「承元様以外は認めないぞ!」

外では牙軍の將士が集まり叫んでいる

邸内では承元が怯えて居すくんでいる。

「こんなことになるなんて」

兄の成徳節度使承宗が突然亡くなった。

朝廷に屈してからは元気がなくなった兄ではあるがまだまだ若かった。

兄には男子もいる。

弟の承元は幼いときから兄の陰に隠れて学問に励んでいた。

まさか節度使を嗣ぐ立場になるとは。

兄の子は帰順の人質として京師に連れ去られていた。

そのためお鉢が回ってきたのだ。

將士の喚声が大きくなってきた。

「自立してはいけません、淄青の李師道のように族滅されてしまいます」

「今の成徳軍には官軍と対抗できる力はありません」

「魏博・幽州・昭義と周りは敵ばかりです」

母や幕僚は口々に言う。

「わかっている。牙軍をどう抑えたらいいんだ」

「今出て行ったら、たちまち擁立されてしまう」と承元

「そして討伐軍がきたら、その連中に裏切られて首を切られる」
と掌書記がぼそりと言った。

「どうしてこんなことに・・・」
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姫が多い

2006-08-22 09:20:20 | Weblog
枢密使王守澄のもとへ鄭權がやってくるのはめずらしいことではなかった。

しかし今日の權はものいいたげな風情でこちらをうかがっているようだ。

工部尚書としての權にいろいろ便宜を図ってもらっているので守澄にはすこし気になる。

「どうかしましたかの權殿」

「いや、今日はお願いの筋があって」

「はてどのような」と守澄

「嶺南の節度使が亡くなられたそうですな」

「そこで私を後任にというわけには・・・・」

「暑い所は嫌いだとうかがっておりましたが」

「いや、そうも言っておれなくなって、金詰まりで」

「金に困っておられる?」

守澄はすこし驚いた。權は横海・邠寧など節度使を経ている。

人並み以上の資産はあるはずである。

「いや今の給与は安いのに、女どもに金がかかりましてな」

そういえば權には妾が多いという噂を聞く。

「女とはそんなに金がかかるものですか?」と守澄

「ご経験はないとは思いますが・・・・・」

宦官相手に話すには適当ではないかと權は言葉を濁した。

守澄も複雑な顔をしていた。

「權殿にはいつもお世話をいただいているのですからできるだけの事はいたしましょう」

權が帰った後、守澄は

「しかし女と炎暑では身がもつかどうか・・・」

とつぶやいた。

まもなく權は嶺南節度使に任用された。

嶺南は三年勤めると孫の代まで遊んで暮らせるという職であった。

翌年十月炎暑が続く中で權は亡くなった。
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税額

2006-08-21 08:18:19 | Weblog
「河東の酒税はどれぐらいになった」と

河東道租庸使裴諝が昇殿して挨拶を終えるやいなや代宗は問うた。

「王翊は相当入ってると申しておったぞ」

諝は答えなかった。

「どうした、正確な資料がないのか」

と皇帝はまた問うた。

「陛下・・・・」

諝は顔を紅潮させていた。

「臣は河東からひでりの中をやって参りました」

「民がいかに苦しんでいるかを見て参りました」

「それにも関わらず、陛下は酒の税額を最初にお聞きになりたいのですか」

「まず民の苦労を問うのが陛下の仕事ではありませんか」

こう開き直られては代宗にも言葉がなかった。

「いや、それは・・・・」
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昭義弓兵

2006-08-20 09:37:19 | Weblog
「こんな貧しい土地では兵を養えない」

「でも隣国の魏博は兵を揃えています」

「むこうと違ってこちらは山ばかりなのだ」

従兄の李抱玉から昭義軍を任された抱眞は悩んでいた。

河北三鎭の西進を防ぐ要地ではあるが

土地は痩せ、民は少なく無理はできない

やがて抱眞は策を定めた。

壮丁三名に一名の税を全免して弓矢を与え

そして農業の合間に練習させ、優秀者にはたくさんの賞を与えた。

その費用は中央からの補助でまかなった。

民は争って弓兵を志願し、技量はみるみるに上がった。

そして抱眞は三年で精兵二萬を作り上げた。

その弓兵は諸道第一を唱われるようになり、

河北の諸鎭は畏れて侵攻しようとはしなくなった。
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操縦術

2006-08-19 09:24:44 | Weblog
神策軍中尉仇士良の引退の宴は盛り上がっていた。

最後まで権力を失わなかった士良に対して

大勢の後輩の宦官達は敬意を表して集まっていた。

宴もたけなわ

中堅の宦官の楊玄介が問うた。

「閣下、これだけ長く帝の信任を受け続ける秘策をご伝授ください」

引退と言うことで日頃の狷介な態度がやわらいだ士良が笑っていった。

「信任?、操縦術のことか?」。

「それはな、帝を退屈させないようにすることじゃ」

「女をあてがい、宴会を開き、毎日楽しいことを次々とあてがうのじゃ」

「退屈すると、帝も人じゃ、政事が心配になり宰相の話を聞こうとする」

「宰相どもの退屈な話を厭うようにすればよいんじゃよ」

「しかしそれでは政事が進みますまい」と楊

「政事は儂らが行えばよい、名義だけ帝のものだがの」
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剛直

2006-08-18 08:51:33 | Weblog
「なんて奴だ、こんどの京兆尹は」

「金を返さないくらいで軍吏をぶち込むとは」

「でも普通ならそれが当然なんだぜ」

「あいつは神策軍の恐ろしさを知らないのか」

「期限が来たら死刑にするとも言っているんだぜ」

「ふざけた奴だ陛下が叱ってくださるさ」

皇帝の親衛軍である神策軍に属するもの達の横暴は京師ではいつもの事である。

金は無理に借りる、踏み倒す。

物を安く買いたたき、ろくに金を払わない。

訴えても、相手が神策軍関係なら役人は怖れてとりあってくれない。

ところが新任の京兆尹許孟容は、

金を借りたまま返済しない李をいきなり牢にぶちこみ

期日までに完済しなければ死刑にすると申し渡したのだった。

驚いた神策軍の司令官である宦官は皇帝に訴えた。

皇帝はを釈放するように通達したが孟容は受けなかった。

そして奏上した。

「陛下は私に京師を統轄させました」

「私は陛下の法を以って政事を行っています」

「法では借りた金は返すことになっています」

「を赦すことは陛下の法に背くことになります」

皇帝は孟容の剛直に感嘆して命令を撤回した。

神策軍に巣くっていた不逞の連中は戦慄し、あわてて借金の清算に走った。
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援軍

2006-08-17 09:12:20 | Weblog
「市場でも荒らしに行くか」

「近頃は不景気だからたいした金にもならんがなあ」

「まあヒマだからな・・・」

含光門の守兵、名前だけは禁軍だが実際は無頼の連中である。

解任された宦官の楊復恭軍と皇帝軍が戦っているため、規律はより緩んでいる。

ぞろぞろと列を作って掠奪にむかっていた。

突然列の前に立ちふさがる騎馬があった。

ギョッとしてみると、宰相の劉崇望である。

「お前らはなにをしておる。皇帝は今賊軍と戦っておられるのだぞ」

「形勢は互角で、援軍があったほうが勝つ状況だ」

「市場を掠奪して小銭をかせいでなんになる」

「今、皇帝へ援軍として行けば、富貴は思いのままだぞ」

実際は形勢不利である崇望は必死で呼びかけた。

兵達は顔をみあわせていたがやがて

「あいつの言うことはもっともだぜ、いっちょうやるか」

「うまくいけば運が向いてくるかもな」

風向きが向いてきたことがわかった崇望は

「安喜樓へ向かえ」と命じ駈けだした。

兵達もいっせいにあとを追っていった。

皇帝軍に援軍がくると、形勢は逆転し復恭軍は崩れ散った。
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