唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐の外交関係 2

2018-08-10 20:58:16 | Weblog
吐蕃=太宗時は唐に従っていましたが、高宗・則天時には隴右や西域に侵攻してきました。玄宗時には唐が押し気味でしたが、安史の乱に乗じて隴右を奪い、一時は代宗を京師から逐って占領することもありました。その後も關内に侵攻し唐の悩みの基[防秋]でした。劍南[四川]地方では崔寧・韋皐などが雲南蠻と連合して対抗し、やがて吐蕃は内寇により弱体化しましたが、西域もすっかり奪われてしまいました。

雲南蠻・南詔=唐、ついで吐蕃の下位についていましたが、勢力を増すと唐と連合して吐蕃を攻撃します。唐末には安南など嶺南地域や劍南に侵攻して唐の悩みの基になりました。

新羅=百済・高句麗制圧には唐に従い、その滅亡後は大半を自領にしてしまいます。そのため一時は唐に攻撃されますが、表面上は謝罪し、実利はしっかり得ています。太子や王子を長安に常駐させるなど唐の配下国としては高い地位を占めています。

渤海=一時対立しますが、大半の期間は配下国として友好関係にあり、郡王→国王に封ぜられ、やがて河北三鎮が間にできたために希薄な関係になります。

日本・倭=百済征討時には対立しますが、やがて唐に歸順します。唐からいえば群小のどうでもよい国の一つです。ただ文化程度は少し高いと思われていたようです[使節の評価から]。

ですから、唐が「新羅」より「日本・倭」を下位に置くのは当然であって、もちろん「吐蕃」より下、また唐軍を西域で破っていた「大食」より下です。回紇などは唐の兄弟分ですからはるか上です。古麻呂が抗議しても儀典にうるさい唐の官僚からいえば「無知な蛮夷がなにをほざく」程度の扱いでしょう。馬鹿にされた古麻呂が帰国して「妄言」を吐いたというのが実情でしょうね。
新羅が日本に朝貢[実際は日本の妄想に近いですが]していたのは、唐と一時関係が悪化したため、挟撃されるのを懼れて、日本のご機嫌取りをしたという所でしょう。唐と改善した後は頭を下げる必要はないわけです。
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唐の外交関係 1

2018-08-10 20:37:50 | Weblog
某右翼系雑誌[大手出版社の]を読んでいたら、また大伴古麻呂が新羅と席次を争い勝ったとかいうでっちあげが載っていました。いくら韓国・朝鮮が嫌いだからと言って嘘はいけません。でもこの話はWiki「大伴古麻呂」にも載っているのです。唐史にいくらかでも知識があればいかにありえない話かわかるはずですが、日本史しか知らない記載者は古麻呂の偽報告を事実と思い込んでいるのでしょう。
唐初~唐中の外交関係では

高麗・高句麗=隋の煬帝が敗北し、唐の太宗も敗北するという強国であり、高宗時代にその内紛に乗じて滅ぼすことができました。ここはほぼ敵国です。

突厥=唐初には唐が下位であり、高祖は常に朝貢をしていました。世民[太宗]が簒奪した時には、突厥可汗がそれを責めて侵攻し、太宗はひたすら謝罪して莫大な貢物をして赦してもらいました。その後突厥は衰亡し太宗に滅ぼされました。

第二突厥=則天時代に突厥は再興し、河北に侵攻し、唐軍は敗北を重ねました。玄宗時代にその内紛に乗じて滅ぼしました。

回紇=最初は唐に従っていましたが、安史の乱は唐軍には鎮圧できず、回紇の援軍を得てかろうじて破ることができました。関係としては兄弟関係の同盟を結んだと考えられます。唐の皇太子[德宗]が回紇可汗と会った時、拝礼しなかったため、唐の官僚達がその無礼を責められ打ち殺されています。その後も対吐蕃対策に助力を仰いでいました。唐末に衰微し唐には見捨てられ残部は西遷していきました。

百済=高句麗・日本[倭]と連合し、唐や新羅と対立したため、攻められて滅亡しました。一旦、唐の領土となりましたがまもなく新羅が占有してしまいました。
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永貞元和年間方鎭表追加

2018-08-06 11:13:21 | Weblog
憲宗皇帝が半独立していた淮西・淄青を平定し、成德を帰順させ、ほぼ唐の領域を回復した元和年間の方鎭表を年別にPDF化しています。インターネットエクスプローラでは正常に表示されるようです。德宗が崩御し、順宗が短期間在位した貞元21[永貞1]から、憲宗が弑逆された元和15年の期間を年代-方鎭別に表化しています。
唐史資料集の永貞元和年間方鎭表をご覧ください。

◎.異動した方鎭をセットにしています。
◎.黒字は新旧唐書・資治通鑑に記載された項目
  赤字は刺史考や全唐文・冊府元亀などから追加した内容です。

 赤字内容についてはさらに追加する予定です。

次回は德宗皇帝の大暦14年~貞元20年を予定しています。
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