唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

郭子儀と皇帝

2006-06-30 22:59:59 | Weblog
大暦時代、副元帥郭子儀は多くの国難を救い、威信が高く強力な軍隊を掌握していたが、恭謙な性格で皇帝の信任があつかった。

ある時、子儀の子はその妻である公主[皇帝の娘]と夫婦げんかをして激高し
「おまえの実家は皇室かも知れないが、俺の親父のおかげでもっているんだ。親父はいつだって皇帝になれるんだぞ」と放言した。

公主も激怒して皇帝のもとに走り帰り、訴えた。

しかし皇帝は「それは本当なのだ、子儀がなろうと思えばすぐ皇帝になれる、おまえもそれぐらいわかるはずだ」と取り合わなかった。

子儀は非常に懼れて謝罪したが、
皇帝は「女子供の争いで取り上げるようなものではない」として問題としなかった。

子儀は帰宅して「おまえは家を滅ぼすのか」と子をむち打った。

その後も子儀は長く忠誠を守り建中年間に死去した。

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宰相元載の笑み

2006-06-30 22:27:41 | Weblog
大暦年間、宦官魚朝恩は皇帝の寵愛をうけ専権を極めており、政治上の権力のみでは満足せず多少の学才があることを誇示したくてたまらなかった。

そこで皇帝に強要して、唯一の国立大学(日本でなら東大)である国子監を監督
する地位についた。

「今度国子監で四書の講義をする」
「聴講したいものは全員集まれ」と朝恩

宦官ごときの講義など受けたくもないが、欠席するのは怖ろしい。

そこで学生のみならず、官僚達もいやいや列席していた。

講堂の満員盛況をみて朝恩は満悦であった。

講義が始まった。

特にひどい講義ではないが、独創性のない退屈な話が続く。

ふんいきがだれてきたことに気づいて朝恩はあせった。

そこで内容から離れて、現在の政事情勢をあげ、宰相達のヘマを皮肉った。

官僚達は緊張し、聞き耳を立て、座は急速に静まっていった。

調子にのった朝恩は、次々と皮肉を重ねていった。

激怒した宰相王縉は床を踏みならして中座していった。

朝恩はニヤニヤしながらそれを見送った。

もう一人の宰相元載はとみると笑みをうかべて平然とすわっていた。

講義が終わり帰途、朝恩は側近に言った。

「怒る者は恐ろしくない、笑っている者は測りがたい」

「元載は怖ろしい奴だ」

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