大暦時代、副元帥郭子儀は多くの国難を救い、威信が高く強力な軍隊を掌握していたが、恭謙な性格で皇帝の信任があつかった。
ある時、子儀の子はその妻である公主[皇帝の娘]と夫婦げんかをして激高し
「おまえの実家は皇室かも知れないが、俺の親父のおかげでもっているんだ。親父はいつだって皇帝になれるんだぞ」と放言した。
公主も激怒して皇帝のもとに走り帰り、訴えた。
しかし皇帝は「それは本当なのだ、子儀がなろうと思えばすぐ皇帝になれる、おまえもそれぐらいわかるはずだ」と取り合わなかった。
子儀は非常に懼れて謝罪したが、
皇帝は「女子供の争いで取り上げるようなものではない」として問題としなかった。
子儀は帰宅して「おまえは家を滅ぼすのか」と子をむち打った。
その後も子儀は長く忠誠を守り建中年間に死去した。
ある時、子儀の子はその妻である公主[皇帝の娘]と夫婦げんかをして激高し
「おまえの実家は皇室かも知れないが、俺の親父のおかげでもっているんだ。親父はいつだって皇帝になれるんだぞ」と放言した。
公主も激怒して皇帝のもとに走り帰り、訴えた。
しかし皇帝は「それは本当なのだ、子儀がなろうと思えばすぐ皇帝になれる、おまえもそれぐらいわかるはずだ」と取り合わなかった。
子儀は非常に懼れて謝罪したが、
皇帝は「女子供の争いで取り上げるようなものではない」として問題としなかった。
子儀は帰宅して「おまえは家を滅ぼすのか」と子をむち打った。
その後も子儀は長く忠誠を守り建中年間に死去した。