唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

李磎[字景望]

2016-05-31 10:08:23 | Weblog
進士         大中13

宣武[歸仁晦] 咸通12~14

河陽[穆仁裕] 咸通12~乾符1
監察御史
殿中侍御史

水部員外郎


刑部郎中

戸部郎中分司? 乾符3.9

吏部郎中
兼史館修撰

翰林學士

中書舎人

乱避河陽

義成[王鐸] 中和2~4

中書舎人
復翰林為學士 光啓末

戶部侍郎 大順末/景福初
翰林学士

禮部尚書。 景福2.秋
翰林学士承旨

中書門下平章事      景福2.10/乾寧1.6/1.10
禮部尚書
知制誥

貶太子少師/太子少傅 乾寧1.6

平章事 乾寧2.2/2.4
戸部侍郎
判度支

檢校吏部尚書 乾寧2.3/2.5
守太子少師

死 乾寧2.5

贈司徒
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鄭昌圖/昌符[字光業]

2016-05-30 10:15:55 | Weblog
進士              咸通13

鳳翔節度副使 廣明1

司勲員外郎

中書舎人

義成節度行軍司馬

戸部侍郎

知昭義軍事[不入] 中和2.3

兵部侍郎
判度支

兵部侍郎 中和4.4
同平章事

中書侍郎
刑部尚書
同平章事

判戶部事 光啓2.5

殺 光啓3.3
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番外 分司東都について

2016-05-29 23:18:27 | Weblog
本来唐は西都[長安]と東都[洛陽]の二都制であり、皇帝は二都を
往復していた。唐初は西都の長安周辺の食糧生産能力が低く、食いつ
めて淮南から運ばれてくる食糧が来る東都へ出張してくるわけだ。
則天の時にはほとんど東都にいて、西都は荒廃するほどであったが、
安史の乱以降は、河北や淮西が半独立し東都は危険地帯となり行幸さ
れることはなくなった。
東都には高官が東都留守判東都尚書省事都畿防禦使として留守居する
ことになった。そして太子三公や賓客等々に「分司東都」を付帯する
名誉官がおかれ、隠居職となっていった。こちらの場合は「員外」と
違い給与はでていたようであるが官職としての実はない。
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杜讓能[字群懿]

2016-05-29 10:04:04 | Weblog
進士         咸通14

咸陽尉

宣武推官[王鐸] 咸通14~乾符2

長安尉
集賢校理

丁母憂

淮南節度使記室[劉鄴] 乾符1~6
殿中
賜緋

監察御史

山西節度判官[牛蔚] 乾符2~5

右補闕

侍御史

起居郎

禮部員外郎

兵部員外郎。

本官
判度支案[蕭遘] 中和1~2

禮部郎中
史館修撰

禮部郎中
知制誥

中書舎人。
賜金紫之服

充翰林學士 中和2

戶部侍郎
知制誥

守禮部尚書
知制誥
銀青光祿大夫
建平縣開國子,食邑五百戶

兵部尚書
知制誥
翰林学士承旨
金紫光祿大夫

兵部侍郎    光啓2.3
同平章事

工部尚書            光啓2.4
同平章事

特進 光啓3.3
中書侍郎
同平章事

兼兵部尚書 光啓3.6/3.3
集賢殿大學士
襄陽郡開國公,食邑二千戶

尚書右僕射 文徳1.2
開府儀同三司
門下侍郎
持危啓運保乂功臣

「扶危啓運保乂功臣」 文徳1.4
開府儀同三司
尚書右僕射
門下侍郎
封晉國公,邑千戶
賜鐵券
         
         左僕射 龍紀1.3
         門下侍郎
         判度支
         監修国史
↓ ↓

司空 龍紀1.3/1.12
門下侍郎
同平章事
監修國史

司徒 龍紀1.12
門下侍郎
太清宮使
弘文館大學士
延資庫使
諸道鹽鐵轉運等使
加食邑一千戶。

守太尉 景福1.4/大順2.1
加食邑一千戶
延資庫使
弘文館大学士
諸道鹽鐵転運使
太宮使
晉国公
開府儀儀同三司
兼門下侍郎
同中書門下平章事
上柱國

増邑至六千戸 景福2.3

増邑至九千戸 景福2.6

貶梧州刺史           景福2.9

貶雷州司戶 景福2.9

賜死 景福2.10
贈太師。
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劉崇望[字希徒]

2016-05-28 10:14:18 | Weblog
進士              咸通15

宣歙轉運巡官[王凝] 乾符4~5

領鹽鐵[裴坦]參佐 乾符2

忠武[崔安潛] 乾符3~5

西川[崔安潛] 乾符5~廣明1

長安尉
直弘文館

監察御史

右補闕

起居郎
弘文館學士

司勳員外郎

吏部員外郎
判南曹

右諫議大夫
宣諭河中

翰林學士 光啓2.6

戶部侍郎 光啓3.9
知制誥
翰林学士承旨

兵部侍郎 文徳1
知制誥
翰林学士承旨

兵部侍郎 龍紀1.1
同平章事

中書侍郎 龍紀1.3
同平章事
兼兵部尚書

兼吏部尚書 龍紀1.11
中書侍郎
同平章事

判度支   大順2.1

門下侍郎 大順2.2/2.1
同平章事
兼吏部尙書
判度支
監修國史

左/右?僕射。 大順2.10
門下侍郎
同平章事
判度支
光禄大夫
監修国史
上柱国
彭城縣男

検校右僕射?/検校司徒/検校司空 景福1.2/大順2.12
同平章事
武寧軍節度徐宿観察制置使使[不入] 別名感化軍節度使
光禄大夫
徐州刺史

太常卿 景福1~乾寧2

貶昭州司馬 李克用派

吏部尚書[不任] 乾寧3.秋

守兵部尚書 乾寧3.10
光禄大夫

檢校右僕射 光化1.1~1.5/乾寧4
同平章事
梓州刺史
劍南東川節度使[不入]

復兵部尚書 光化2.6
特進

卒              光化2/3.7
贈司空
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番外 員外について

2016-05-27 23:10:10 | Weblog
左金吾大将軍員外同正とか、光禄卿員外同正、崖州司馬員外同正
など「員外」という用語が多数出てくる。大将軍については世襲
節度使[河北三鎭等の]の嗣子の繼任時によくでてくる。卿等は
武官へ与えられ。州司馬や州参軍の場合は左遷・貶任の場合にで
てくる。「同正」は「同正員」の意味だが、決して正任扱いされ
ることはない。あくまで名誉職である。給与もでているかどうか
[でていないと思う]。
ところが六部の各司の「員外郎」はれっきとした正官であり、定
員も職階もあり、重要な職務である。
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張濬[字禹川]

2016-05-27 10:10:55 | Weblog
處士

太常博士

度支員外郎。 廣明1

兵部郎中

        涪州刺史?    光啓

諫議大夫。

充天下行營都統判官[王鐸] 中和2

戶部侍郎 兵部侍郎
判度支 天下租庸使

兵部侍郎  光啓3.9/3.1
同平章事

中書侍郎 文徳1.2
同平章事
        兼兵部尚書    文徳1.2
        開府儀同三司


兼戸部尚書 文徳1.4
中書侍郎
同平章事

兼吏部尙書 龍紀1.3
集賢殿大学士
判戸部

     兵部尚書
     中書侍郎
     同平章事
     特進
     集賢殿大学士
     上柱國
     河間郡開國伯、食邑七百戶

光祿大夫 大順1.5~2.1
門下侍郎 守右僕射.中書侍郎説
兼戶部尚書?
同中書門下平章事
上柱國
清河郡開國伯、食邑一千二百戶
充河東行營諸道兵馬招討制置等使
集賢殿大学士
判度支
兼京畿諸道営田修葺太廟使
河東節度観察處置等使
上柱國
河郡開國公食邑二千戸食實封二百戸

河東行營兵馬都招討宣慰使

檢校戶部尚書/検校右僕射/検校兵部尚書[不任] 大順1.12/2.1
鄂州刺史
御史大夫
武昌軍節度鄂岳等州都團練観察等使

貶連州刺史[不任] 大順1.12/2.1

貶繡州司戶 大順2.3

留華州依韓建

太子賓客              乾寧2.5

行兵部尚書 乾寧2.6
復光禄大夫
上柱国
河間郡侯食邑二千戸
領天下租庸使

      尚書左/右僕射 乾寧4.3
      依前充租庸使
      特進



罷使務 乾寧3/光化3.9
守尚書右僕射

左僕射致仕
上柱国

         貶繡州刺史?    天復2

死               天復3.12
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番外 塚宰

2016-05-26 15:43:47 | Weblog
皇帝が亡くなった時、葬儀を主催する「塚宰」が置かれる。
始まったのはどうも代宗時かららしい、上皇たる玄宗と肅宗が
相次いで亡くなった時に設定されたようだ。
それ以前に幽閉されていた則天が亡くなった時に魏元忠が任ぜ
られたという記録があるが
その時点の宰相のトップが就任する慣例となっている。

高祖  ?
太宗  ?
高宗  ?
則天  魏元忠
中宗  ?
睿宗  ?
玄宗  苗晉卿
肅宗  苗晉卿
代宗  郭子儀
宗  杜佑
順宗  杜佑
憲宗  韓弘
穆宗  李逢吉
敬宗  裴度
文宗  楊嗣復
武宗  李裕
宣宗  令狐綯
懿宗  韋保衡
僖宗  韋昭度
昭宗  ?
廃帝  なし
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韋昭度[字正紀]

2016-05-26 10:10:55 | Weblog
進士           咸通8

尚書郎   乾符
知制誥

翰林学士  乾符末

中書舎人
翰林学士

戶部侍郎
翰林学士承旨 中和1
權知禮部貢舉
銀光禄大夫          

行兵部侍郎 中和1
知制誥
翰林学士承旨
銀光禄大夫
上柱国
判度支?

守兵部侍郎 中和2/1.7
同平章事
銀光禄大夫

中書侍郎 中和1.11
兼禮部尚書
同平章事
光禄大夫
諸道鹽鐵転運使?
           ↓
    供軍使?     中和1.7


兼吏部尚書 中和2.5
中書侍郎
同平章事

門下侍郎 中和3.7
同平章事
兼吏部尙書

左僕射 中和4.10
門下侍郎
同平章事

司空 光啓1.2/1.3/文徳1.2
門下侍郎
同平章事

摂宰 文徳1.3

司徒 光啓3.3
門下侍郎
同平章事

兼侍中 光啓3.6

太保 光啓3.8
兼侍中

兼中書令 文徳1.2

守中書令 文徳1.4

       開府儀同三司
       守司空
       門下侍郎
       同平章事
       太清宮使
       弘文館大學士
       延資庫使
       上柱國
       扶陽郡開國公,食邑二千戶
       ↓

檢校太尉/検校司空/検校司徒? 文徳1.6~龍紀1.1
兼中書令/門下侍郎.同平章事?
劍南西川節度兼兩川招撫制置等副大使知節度事
成都尹

行營招討

檢校司空/検校司徒 龍紀1.1/大順2.4~景福2.9
東都留守

行右僕射     大順/景福
特進

守司徒 景福2.9/2.11 司空説
門下侍郎
同平章事
弘文館大學士
太清宮使
延資庫使

太傅 景福2.12
門下侍郎
同平章事

守太傅 乾寧2.2
門下侍郎
同平章事

太保致仕 乾寧2.4

死 乾寧2.5

贈太尉
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孔緯[字化文]

2016-05-25 10:10:58 | Weblog
進士             大中13

秘書省校書郎

東川[崔慎由]從事 大中12~咸通3

淮南揚州支使[崔鉉] 大中9~咸通3
協律郎

華州[崔慎由]従事 咸通4~5

河中[崔慎由]觀察判官 咸通5

長安尉
直弘文館。

監察御史

禮部員外郎
兼集賢直學士

考功員外郎。

丁內憂免

右司員外郎

翰林學士 乾符1

考功郎中
知制誥
賜緋

中書舎人

戶部侍郎 乾符初
翰林学士
賜金紫之服

御史中丞 乾符
出院

戸部侍郎 乾符5

兵部侍郎 乾符5

吏部侍郎 乾符6

太常卿  廣明1~中和1

刑部尚書 中和1
判戶部事

太子少保 中和1

御史大夫             光啓1/2.1

兵部侍郎 光啓2.3
同中書門下平章事
諸道鹽鐵転運使?

中書侍郎    光啓2.4
集賢殿大學士
同平章事

門下侍郎 光啓3.3
監修國史
同平章事

特進 光啓3.6/3.3
兼吏部尚書
門下侍郎
同平章事
領諸道鹽鐵轉運使

左僕射 文徳1.2
賜「持危啓運保乂功臣」
食邑四千戶,食實封二百戶
開府儀同三司
門下侍郎
同平章事
諸道鹽鐵転運使
賜鐵券,恕十死罪

兼領京畿營田使。

僖宗山陵使

守司空 文徳1.4
門下侍郎
同平章事
諸道鹽鐵転運使
開府儀同三司

兼領國子祭酒 文徳1.9

開府儀同三司 龍紀1.3
守司徒
門下侍郎
同平章事
魯國公
諸道鹽鐵転運使
太宮使
弘文館大学士
延資庫使

守太保  龍紀1.11/1.12
門下侍郎
同平章事
諸道鹽鐵転運使
開府儀同三司
魯国公食邑三千戸/四千戸實封五百戸
持危啓運保乂功臣
國子祭酒
太宮使
弘文館大学士
上柱国

兼国子祭酒 大順1

檢校太保/検校司徒? 大順2.1/1.12
江陵尹
荊南節度觀察等使[不任]
御史大夫

貶均州刺史[不任] 大順1.12~乾寧2.6?

寓居華州。

太子賓客           乾寧2.6/2.5

吏部尚書           乾寧2.6
復開府儀同三司
持危啓運保乂功臣
上柱國
魯國公,食邑四千戸,實封二百戸

司空 乾寧2.6
兼門下侍郎
同平章事
太清宮使
修奉太廟
弘文館大學士
延資庫使
開府儀同三司
魯郡開國公,食邑四千戶、食實封二百戶
持危啓運保乂功臣

卒 乾寧2.9
贈太尉

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番外 中書舎人

2016-05-24 20:47:11 | Weblog
中書舎人は正五品待遇で決して高官ではない。
中書省の第三番目の地位であるが、極めて重視されている。
翰林学士を兼ねることも多く、六部侍郎などへの昇進コース
である。定員は6名。
門下省の給事中も重視されているが中書舎人ほどではない。
皇帝の旨を受けて詔勅を作成するのが任務であるが、
長官の中書令は形骸化し、次官たる中書侍郎も常置されて
いない場合もあり、舎人が中書省を代表する場合もあった。
例として、建中年間唯一の宰相であった常衮の命令を、舎人
の崔祐甫が従わず解任された事件がある。これは門下省[常衮]
と中書省[崔祐甫]の権限争いである。
この場合は常衮が他の武臣宰相[郭子儀や朱]の署名を代筆
していた[慣例だったが]ことが即位したての宗皇帝に知ら
れて罷免されたことにより、崔祐甫の勝利となった。
中書舎人は翰林学士承旨[詔勅起案]や權知禮部貢擧[科挙]
を兼ねることもあった。
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孫偓[字龍光]

2016-05-24 10:06:10 | Weblog
進士


京兆尹            乾寧2/3

戶部侍郎 乾寧2.10 兵部侍郎説
同中書門下平章事
判戸部事

兵部侍郎 乾寧3.5
同平章事

守中書侍郎 乾寧3.7
同平章事
上柱國
賜紫金魚袋
正議大夫

銀光禄大夫
樂安縣開國子食邑五百戸
充集賢殿大学士
兼判戸部事

門下侍郎 乾寧3.9/3.8/3.10 中書侍郎説
同平章事
鳳翔四面行營都統
兼諸道鹽鐵轉運使
判度支
監修国史

兼禮部尚書
門下侍郎
同平章事
持節鳳翔四面行營節度諸軍都統招討處置等使   乾寧3.10
樂安縣侯

罷都統招討使 乾寧4.1

守禮部尚書 乾寧4.2
金紫光禄大夫
罷相
樂郡開國侯食邑一千戸

衡?/南州司馬員外 乾寧4.8



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番外 中書侍郎・門下侍郎

2016-05-23 10:26:55 | Weblog
中書[鸞臺・西臺・内史・紫微]侍郎や門下[鳳閣・東臺・黄門]侍郎は
中書・門下省の次官であり、高祖や太宗時は宰相ではなかった。
高宗末期から同平章事を兼任することにより宰相職になった。
宰相とならないものは代宗時の黄門侍郎嚴武を最後とする。
それ以降は吏部・戸部・兵部侍郎などが同平章事を兼任し、そのあと中書・
門下侍郎へ昇進するのが恒例となった。
唐末は尚書僕射や三公へ昇進するが、門下侍郎を兼任するのが通例である。
中書と門下では、中書から門下へ移るのが多いが、逆例もある。
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蕭遘[字得聖]

2016-05-23 10:05:45 | Weblog
進士               咸通5

秘書省校書郎

太原從事

右拾遺

起居舎人

貶播州司馬    咸通13.5

禮部員外郎

考功員外郎    乾符2.2
知制誥

戸部員外郎            乾符3
翰林学士

戸部郎中    乾符3.9
翰林学士

中書舎人
翰林学士

戶部侍郎 乾符6/廣明1
翰林学士承旨
知制誥

守兵部侍郎 中和.1
判度支/諸道鹽鐵転運使?
朝散大夫
上柱國
賜紫金魚袋
工部侍郎
判度支

↓ ↓
兵部侍郎?/守工部侍郎 中和1.3/1.1
同平章事
銀光禄大夫

行中書侍郎 中和1.4
同平章事
兼禮部尚書
光禄大夫
充集賢殿大学士
上柱國

兼戸部尚書            中和1.11
行中書侍郎
同平章事
特進
監修國史
上柱國

兼判度支             中和2.2

門下侍郎 中和2.4
同平章事
兼吏部尚書
監修國史
罷判度支
特進

左僕射 中和2.5
門下侍郎
同平章事
特進

司空 中和4.10
門下侍郎
同平章事
楚国公

司徒 光啓1.2
門下侍郎
同平章事

僞太子太保/太子少師致仕      光啓2.5

退居河中永樂縣

     兼尚書右僕射

殺 光啓3.3
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番外 内養について

2016-05-22 20:23:25 | Weblog
旧唐書等をみると
大和六年十二月內養王宗禹渤海使回,言渤海置左右神策軍事
大和九年九月令內養齊抱真將杖于青泥驛決殺前襄州監軍陳弘志,以有殺逆之罪也。→憲宗皇帝弑逆
大和九年十一月令內養馮叔良殺前徐州監軍王守涓于中牟縣。 →王守澄弟
咸通十年八月崔雍宜差內養孟公度專往宣州,賜自盡
乾符二年三月内養王裕本、都將劉逢搜擒唱帥者胡雄等八人,斬之,衆然後定
など「内養」という肩書きを持った者がみられるが、官職表にはでてこない。
これは宦官で「高品・品官」と同じ部類のものらしい。
役割としては皇帝が派遣する使者で、結構重要な使命をもつ。
信任が厚く、しかも汚れ仕事を任せられるというもの。
「内養」という字句からみて、宮廷内で養育されたのかもしれない。
主に宦官の幼い子弟[養子だと思うが]を養育していたのかも。
ただ「内養」からあとどのようなコースで内侍職のルートをだとるのかは
まだわかっていない。


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