溫彥博。字は大臨。太原祁人也。
父の君悠は北齊文林館學士・隋泗州司馬。
兄の大雅は禮部尚書・黎國公。
幼時より聡明。開皇末,文林郎直內史省・通直謁者となる。
隋亂に幽州總管羅藝に仕え。
藝が唐に付くと幽州總管府長史。
まもなく中書舎人・中書侍郎・西河郡公となる。
突厥入寇時に,并州道行軍總管行軍長史となるが敗北し捕虜となる。
しかし突厥には附かず、太宗即位後帰ることができ雍州治中
ついで檢校吏部侍郎がなるが人事には適さない。
復中書侍郎兼太子右庶子となる。
貞觀二年御史大夫仍檢校中書侍郎事になる。
蕃使入朝時の儀礼には通じ風格もよく評価が高かった。
四年中書令・虞國公に昇進。
突厥平定後、魏徴らとその処理について争う。
質朴慎重であり,国事を他に漏らさなかった。
十年尚書右僕射に移る。
明年64才で卒する。贈特進。
子の振は太子舎人に至る。
[宰相履歴]
貞觀4年2月中書令~10年6月右僕射~11年6月薨
父の君悠は北齊文林館學士・隋泗州司馬。
兄の大雅は禮部尚書・黎國公。
幼時より聡明。開皇末,文林郎直內史省・通直謁者となる。
隋亂に幽州總管羅藝に仕え。
藝が唐に付くと幽州總管府長史。
まもなく中書舎人・中書侍郎・西河郡公となる。
突厥入寇時に,并州道行軍總管行軍長史となるが敗北し捕虜となる。
しかし突厥には附かず、太宗即位後帰ることができ雍州治中
ついで檢校吏部侍郎がなるが人事には適さない。
復中書侍郎兼太子右庶子となる。
貞觀二年御史大夫仍檢校中書侍郎事になる。
蕃使入朝時の儀礼には通じ風格もよく評価が高かった。
四年中書令・虞國公に昇進。
突厥平定後、魏徴らとその処理について争う。
質朴慎重であり,国事を他に漏らさなかった。
十年尚書右僕射に移る。
明年64才で卒する。贈特進。
子の振は太子舎人に至る。
[宰相履歴]
貞觀4年2月中書令~10年6月右僕射~11年6月薨