永貞1~開成5までの新任宰相(除再任)45人の前任時の位階を見てみると
従三品-6 正四品上-9 下-1 従四品上-1 下-1 正五品上-2 下-1 従五品上-2 下-5
正六品上-16 下-0 従九品下-1
というように非常に低い、宰相は普通六部侍郎.中書・門下侍郎.六部尚書等を正官とする
ので、最低でも正四品上でなければならない。ところが宰相に就任しても位階はすぐには
上がらない事が多い。そのため宰相はたいてい「守」である。
日本では貴族・門閥による閉鎖的な任用のため、位階のインフレが起きて「行」が主流、
唐では科擧等による能力本位の登用が進み、低い位階の者が上位官職につく「守」が主流
となったと思われる。
ちなみに最下位の従九品下よりの宰相登用は翰林学士承旨知制誥兼皇太子侍讀工部侍郎陳
夷行である。いくらなんでも間違いではないかと思うが正史ではすべて「將仕郎」である。
逆に従三品で就任する者には「杜黄裳」とか「鄭覃」のようにかなり経験を積んでから、
やがて時勢に合って登用されてという場合である。
従三品-6 正四品上-9 下-1 従四品上-1 下-1 正五品上-2 下-1 従五品上-2 下-5
正六品上-16 下-0 従九品下-1
というように非常に低い、宰相は普通六部侍郎.中書・門下侍郎.六部尚書等を正官とする
ので、最低でも正四品上でなければならない。ところが宰相に就任しても位階はすぐには
上がらない事が多い。そのため宰相はたいてい「守」である。
日本では貴族・門閥による閉鎖的な任用のため、位階のインフレが起きて「行」が主流、
唐では科擧等による能力本位の登用が進み、低い位階の者が上位官職につく「守」が主流
となったと思われる。
ちなみに最下位の従九品下よりの宰相登用は翰林学士承旨知制誥兼皇太子侍讀工部侍郎陳
夷行である。いくらなんでも間違いではないかと思うが正史ではすべて「將仕郎」である。
逆に従三品で就任する者には「杜黄裳」とか「鄭覃」のようにかなり経験を積んでから、
やがて時勢に合って登用されてという場合である。