モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

不公平

2021-07-02 05:56:56 | 総大会
不公平な状況に立たされるとき、わたしたちは自分自身を神から遠ざけるか、助と支えを求めて神に近づくかのどちらかです。
(憤りを感じるほどの不公平 レンランド長老)

世の中の不公平を理由に神を否定する人があります。
同じ理由で神に頼る人もあります。
同じ理由であるのに、そのような違いが生じるのはなぜでしょうか。

「もし神がいるなら、このことに対して神が何かするはずではないですか」
「説明のつかない不公平はひどく腹立たしいものです」
「やろうと思えばできるのに、不公平を正そうとしない人もいます」

それを選ぶことができる一方で、
「人生の中で経験するすべての不公平なことは、
イエス・キリストの贖いによって正されると信じる」こともできます。
イエス・キリストを信じるとはそういうことではないのでしょうか。
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悔い改め

2021-07-02 05:47:06 | モルモン書
「主の目から見て忌まわしいことをたくさん行い、辛い悔い改めをした」モーサヤ23:9


知らずに犯した罪は赦されるのでしょうか?
‟心の重荷”と感じられないのであれば問題ないかもしれません。

幼い頃に犯した過ちを思い起こして悔い改めたい気持ちにかられることがあります。
それを拒否する理由はどこにもありません。

悔い改めて心が楽になるならそれは祝福です。
心の重荷に感じられることがあるなら、それを取り去ってくれる悔い改めは祝福でしょう。

「知らずに犯した罪は赦されるのか」などと考える必要は感じません。
良心に素直になって、心に重荷と感じられるなら、
悔い改めの祝福を求めればいいだけの話です。

残念なことに(?)わたしには悔い改めたいと願う多くのことがあります。
楽な悔い改めを経験したことは今までに一度もありません。
心にとっての重荷であるほどに、その悔い改めは辛いものとなるように思えます。

そうであったとしても確かなことは、‟知っていて犯した罪”よりも、
‟知らずに犯した罪”の方が、決心さえすれば悔い改めることは容易であるようです。
(簡単とは言いませんが)

皆さんはどう思いますか?
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