モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

知識+信頼+望み−不安

2021-07-15 05:42:11 | 福音について
理屈では分かっても、「イエスキリストを100%信じ切ることができない」ときはどうすればいいのですか?


例えとして数字で表すことをお許しください。

バプテスマを受ける前、福音についてのわたしの知識は‟1”くらいでした。
イエス・キリストに対する信頼は‟3”くらいでした。
残りの‟96”くらいは望みでした。

合わせてほとんど‟100”ですね。
だから不安をほとんど感じませんでした。
(これはちょっと普通ではないかも w)


今は知識が‟20”くらいかもしれません。
主への信頼も‟20”くらいであってほしいと思います。
福音に対する望みは‟50”くらいでしょうか。

すると‟100”に‟10”足りません。
その‟10”は心にある不安・疑いであり、サタンの誘惑です。

望みと不安はいつも揺れ動いています。
不安が大きくなって、望みを上回ると霊的に危険な状態かもしれません。


信仰とは‟知識+信頼+望み”と考えることができるかもしれません。
知識とは、心にある証であり、確固たるものであり、信仰の基盤となるものです。
信頼とは、「信じていること」であり、持ち続け、行い続けるときに、
結果として知識に変わるものだと思います。
望みとは、「こうあってほしい」というものであり、
それが主の御心に叶うものであるならやがては信頼に変わって行くものであるようです。

それですべてであればいいのですが、‟不安が付きまとう”のは常にあることです。
それが「イエス・キリストを100%信じ切ることができない」理由かもしれません。

たぶん、誰でもそうではないのでしょうか。
この世からサタンの誘惑が消えてなくなれば、楽かもしれませんね。

(これはあくまでも例えの話です)
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感謝を覚える

2021-07-15 05:30:08 | モルモン書
「あなた方の肩に負わされる荷を軽くし…」モーサヤ24:14


荷が軽くなるだけで取り去られるわけではないようです。

多少楽になっただけでは満足できず、「まだ重荷がある」という不満を聞くことがあります。
本人の感覚なので周りで見ているだけでは分からないのですが…

祝福を受けたその瞬間には喜ぶけれど、
それだけで満足できず、やがて不満に変わることは珍しくありません。

おもちゃを買い与えられた子供がその時には喜ぶけれど、
すぐに飽きてもっと別のものが欲しいと言い出すのに似ているかもしれません。

なぜでしょうか?
感謝を忘れてしまうからのようです。

与えられたときの感謝を忘れず、喜びを保ち続けるにはどうすればいいのでしょうか?
‟恵みを振り返る習慣”は役立つかもしれません。

皆さんには何かいいアイデアがありますか?
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