モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

主の贖い

2021-07-11 06:04:23 | 福音について
「主の贖い」とは何ですか?


ある教室でのお話です。
男の子たちはとても乱暴で手に負えない状態にありました。ひとりの若い教師がクラスの生徒たちに「自分たちの規則とそれを破ったときの罰を決めるように」と言いました。生徒たちは‟10の規則と、背中を鞭で10回叩くという罰”を決めました。

トムという体の大きな生徒の弁当が盗まれました。盗んだ生徒が分かりました。ジムでした。ジムは鞭打ちの罰を受けるために上着を脱ぎました。彼は下着を着ておらず、体は小さく、痩せていて、少し障害がありました。先生がためらっていると、トムが立ち上がり、代わりに罰を受けると申し出ました。「いいだろう、みんなは賛成か?」先生は聞きました。

トムの背中を5回打ったところで鞭が折れました。クラスのみんながすすり泣く声が聞こえました。小さなジムが来て両手をトムの首に回して抱きつきました。「ごめんね、君の弁当を盗んだりして。とてもお腹が空いていたんだ。トム、君のことが大好きだよ、僕の代わりに鞭を受けてくれた君のことが。永遠に。」

(2001年10月総大会「贖い-もっとも大いなる希望」ファースト管長 より)
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2001/10/the-atonement-our-greatest-hope?lang=jpn


この‟理不尽に思える話”から何を感じますか?
もしも心に感じることがあるなら、おそらくそれが贖いの意味だと思います。

ファースト管長はこうも言っています。
「贖いを受け入れると、贖いをより完全に理解するためのたゆみない努力が求められます」

同様にこう考えるべきではないでしょうか。
「主の愛を受け入れるなら、その愛を完全に理解するためのたゆみない努力が求められます」

主の贖いや愛を心に感じて知ることはできますが、
不完全な人間にはそのすべてを理解するだけの力はないようです。
ましてや、それを言葉で言い表すことはできそうにありません。
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神を知ると

2021-07-11 05:51:22 | モルモン書
「神を知らなかった」モーサヤ24:5


福音に出会う前、よく嘘をつきました。
「バレなければ問題ない」と思っていました。
神を知らなかったからです。


福音を知って、神の存在を知って、嘘をつくことができなくなりました。
だって、神には‟バレバレ”ですから w

神を知らなかったときから比べると、色々なことが変わりました。
‟サボる”ことができなくなりました。
‟隠れて悪さをする”ことができなくなりました。

‟どうすれば喜んで神の前に立つことができるか”と考えるようになりました。
神を知らなければ、こんなことは考えなかったと思います。

皆さんはどうですか?
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