モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

批判

2021-07-06 06:03:02 | わたしに従って…
人々が教会や指導者を批判…するのを聞くとき、不安を感じるかもしれません。
(わたしに従って来なさい 7月4日)


教会に対する批判を聞くとき、そのほとんどは‟人の弱さ”についてです。
教会が不完全な人の集まりである限りはやむを得ないことかもしれません。

このように書いているわたしにも批判されてしかるべきことは多くあります。
(多すぎるくらいかも w)
「信頼に値する人間か」と問われれば、明らかにそれに値しない者です。

はっきりと言います、わたしを信頼しないで下さい。
では毎朝ここに書いていることはどうなるのでしょうか。

簡単なことです。
皆さんの受けている御霊によって共感できることがあれば
受け入れていただけるなら幸いです。
共感できないことはすべて忘れてください。
その程度のものです、人のすることですから w


人に対する批判を聞く一方で、
主に対する批判を聞くことがほとんどないのは興味深いことです。

‟人の弱さに対する批判”を見分けることができるなら、
それが‟人の弱さであり、神の弱さではない”ことに気付くなら、
人の弱さを悲しむことはあっても、主に対する信仰に問題は生じないと思います。
コメント

神の救い

2021-07-06 05:52:50 | モルモン書
「神の他に誰も彼らを救い出せなかった」モーサヤ23:23


リーハイの家族はエルサレムを出た後、八年間荒れ野を旅しました。
その旅はどのようなものだったのでしょうか。
「ただ死ななかっただけであらゆる苦しみに遭った」1ニーファイ17:20
この言葉は事実かもしれません。

船の上で苦しんだとき、
二つの民に分かれて争い戦うようになったときはどうだったでしょうか。
ニーファイには迷いや疑いが生じることはなかったのでしょうか。

確かに「神の他に誰も彼らを救い出せなかった」と思います。
わたしたちはその結末を知っているので納得していますが、
もしも自分がその最中にあったとしたらどうだったでしょうか。


御霊に感じて主に従うとき、その瞬間はいいのですが、すぐに迷いが生じます。
「それがサタンの誘惑だから…」と言われます。
理屈としては分かるんですよ。
でもつい「他人事だからそう言えるんでしょ」と思ってしまいます w

それだから何度も祈ります。
問題にぶつかるたびに尋ねます。
「本当にこれでよかったのでしょうか?」

自信がなくなり、不安に押し潰されそうになることもあります。
不安に負けて御霊を見失ってしまうと、もう大変です。


ときに神の救いは人の目に愚かに見えます。
主を信じない人に「御霊に従って…」なんて言おうものなら、
「おまえ、正気か?」と言われることでしょう。

神の救いを信じることは、けっこう大変みたいです w
皆さんはそんな経験ありませんか?
コメント