モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

弱さを強さに

2021-07-07 05:55:01 | 福音について
人の弱さを感じるときどうすればいいのですか?


人の弱さには色々なものがあります。

「高慢」であれば、たいていの人は自分のそれに気づいていません。
「赦せない心」であれば、その正当性が主張されるようです。
協調性のない場合は、たいてい相手の問題を主張します。
要するにそれが‟自分の弱さ”とは認められないようです。
(これってわたし自身ことです w)

気の弱い人に「強くなりなさい」と言うのは適切なアドバイスだと思いますか。
自信のない人に「自信を持ちなさい」と言ってどうなるでしょうか。
信仰に自信のない人も同じです。
自分の弱さに気付いているからといって自分でどうにかできるものでしょうか。

そんな弱さを受け入れることができないのも弱さです。


教会はそんな自分の弱さを認めてイエス・キリストに頼る人の集まりです。
「あなたは自分の弱さを認めたので強くされて」エテル12:27

主はどのようにして人の弱さを強さに変えるのでしょうか。
魔法の呪文でしょうか、それとも訓練でしょうか。

「主の訓練を軽んじてはいけない…弱り果ててはならない」へブル12:5
主の訓練はいつもきついですが‟効果抜群”です w
そんな主の訓練を受けてみたいと望むのであれば、どうぞここに来てください。

一つだけ付け加えておきます。
主の訓練はいつも容易なものではありませんが、そこに愛を感じることができるので
わたしはここにいて、ここから離れたくないと願っています。
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変わりたいという望み

2021-07-07 05:42:44 | モルモン書
「自分自身のように隣人を愛し」モーサヤ23:15


福音に出会ったとき、過去の自分を悔いて
「福音の教えにあるような自分に生まれ変わりたい」と心底願いました。

今までを振り返ってみると、その当時が最も信仰の強いときであって、
御霊の助けもとても大きかったと思います。

「どうしてだろうか?」と考えてみると、
思い当たる理由は「福音の教えにあるような自分に生まれ変わりたい」という
‟強い望み”であったように思えます。

今はどうでしょうか。
あの頃のような強い望みが心の中にあるでしょうか。


祈りたい気持ちが強まるのは‟変化を求める思い”が強まるときのようです。
周りの変化を求めるよりも‟自分自身の変化”を求めるときの方が、
その思いはさらに強まります。
御霊を強く感じるのはそのようなときです。

「自分を愛する」とはそういうことではないのでしょうか。


「隣人を愛する」ことについて考えるとき、
その人が変わりたいと心から望んでいるなら喜んで助けたいと思います。

変わることを望んでいない人をどのように助けることができるでしょうか。
そのための行いのほとんどが‟空回り”してしまうように
感じられるのはわたしだけでしょうか。

自分自身が「変わりたい」と望むとき、御霊の助けは大きくなります。
隣人が「変わりたい」と望むとき、助けたいと望む気持ちは大きくなります。
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