ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ラエ飛行場見取り図を見ながら「サムライ」を読んでみる

2010-08-19 | 海軍
古書で探し出した昭和51年発行の朝日ソノラマ刊「ラバウル海軍航空隊」(奥宮正武著)
に、何故かラエ基地の略図が載っていました。

大空のサムライで、いろんなドラマが繰り広げられた、あのラエです。

ちなみに滑走路の長さは幅30メートル、長さは約800メートルしかなかったそうです。
主滑走路と並行して走っているのは補助滑走路です。
滑走路の西にU字型のものがありますが、これは小型機専用の天井のない掩体。
バンカーとかシェルターと言った方が分かりやすいでしょうか。

離陸は、北側に位置する山が高かったので海側に向かって飛び立っていました。
山側にある駐機場にはいつも邀撃待機用の零戦が数機並べてありました。

さて、「大空のサムライ」です。

もう文章にされているので、堂々と言いきってしまっていいと思いますが、坂井三郎氏自身が執筆したものではありません。
しかし、たとえそうであってもこの本の価値に何らの変わることはなく、依然戦後に書かれた戦記中の傑作であり、この一冊が後世の人々を魅了したという事実は動かせません。

代理の人間が書いた、というより、坂井氏の魂が筆者の筆を借りて書いた、と言ってもいいほど、その記述はきめ細かく、真に迫り、ある意味「事実より真実」に迫っていると思えます。
客観的な事実ではなく、あくまでもインタビューを小説に再構築した、というべきなのでしょうけれども。

さて。

笹井中尉がマラリア予防のためのキニーネの瓶を持って搭乗員室の前にやってくる、という記述があります。
「目八分に構えた特徴のある歩き方」で。

これは宿舎ではなく「控え所」と記した場所のことです。
笹井中尉は、薬の瓶を持って士官宿舎からやってくるものと思われます。

みんなで、泣きながらキニーネを飲んだ後、海軍体操をするのも、この控え所です。
体操の後、みんなは三々五々宿舎に向かいます。
夕食はそこで食べたのでしょう。
しかし、食事の作られていた場所は謎です。
坂井氏もついに最後までどこで作られていたかわからなかった、と述べています。

食べ物でもう一つ。
ラエで「タピオカ」を植えて、食べるのを楽しみにしていたということですが、戦いの忙しさにまぎれて忘れてしまったということ。
タピオカが戦後日本でナタデココの材料として「流行る」など想像もできなかったでしょうね。

搭乗員の控え所から宿舎までは約500メートルあったそうです。


さて、坂井先任はある日副長室で小園司令から「笹井中尉を分隊長にするので、彼を盛りたててやってくれ」と頼まれます。
この副長室は士官宿舎の中の、個室だったものと思われます。
ちなみに、士官は全員個室を与えられていました。

士官宿舎から搭乗員宿舎までは一キロ。
坂井先任はまず、一キロの距離を歩いて、宿舎に戻り、本吉三飛曹に「笹井中尉を呼んできてくれ」と頼みます。
そのことについて海岸で話し合おうと思ったのです。

本吉兵曹は、笹井中尉を迎えに行く途中で、ちょうどこちらに向かってくる途中であった中尉に会い、一緒に戻ってきます。分隊長の命を受けた笹井中尉はやはりそのことについて坂井先任と話すために士官宿舎から歩いてきていたのでした。

このジャングルの小道を、笹井中尉は実にまめに通って搭乗員の様子を見に来ていた、という坂井さんの証言があります。
いくら士官でも、中尉の身では車で毎日来るわけではなかったでしょう。
たとえ近くにあっても搭乗員宿舎に士官が顔を見せることはなかったという当時の常識の中で、往復2キロの距離を歩いてやってくる笹井中尉の部下を思う気持ちは本物だったったことが覗い知れます。

二人は、そのまま海岸の桟橋に歩いていきます。
ちゃんと看取り図にも桟橋を記しておきました。
地図ではすぐ近くのようですが、搭乗員宿舎から桟橋まではさらに五、六百メートルあったもののようです。

そこでの会話は、「戦話・大空のサムライ」が一番詳しく、かつドラマティックに描かれていますが、
「こんなとき、若い男女ならどんな語らいをするのか、柄にもなく少々ロマンチックなものを感じていました」などという記述も見られます。
満天の星、脚を漬けた海水に見える夜光虫、実際はそんなものではなかったのかもしれませんが、この場面の表現は実に詩的で「そうであってほしい」という読者の期待を見事に汲んだ名場面です。
エリス中尉もここを読むのが本当に好きでした。
今でも。



続・大空のサムライの最後に、坂井先任と西澤兵曹とが搭乗員を「制裁した」という逸話があります。
やってはいけないことをしたので、戒めるために体罰を与えたということなのですが、
これは、「宿舎にいた搭乗員を全員海岸に集めた」とあります。

この日も、笹井中尉は士官宿舎からおそらく坂井さんに会うため、やってきていました。

坂井さんの「意地を持って戦え、士官なんかに負けるな」という演説を後ろで聞いてしまった笹井中尉は来た道を何も言わず帰っていきます。

笹井中尉、きっとこれ、ショックだったのではないかと思います。
慰めて差し上げたい・・・。←独り言です


さて、今日の内容は、地図をもとに想像(妄想?)していただくために書きました。

よく知っている人にはあまりにも断片的すぎて、何をいまさら、って感じ?
でも、あの話が、地図と照らし合わせることで、より生き生きと感じられるような気がしませんか?

そう、ところで一つ分からないことがあります。
それは、笹井中尉と坂井さんが「士官と下士官の垣根を乗り越えて機会あるごとに持った二人だけの研究会」の場所です。

「それはいつもいつも夜のことでした。昼間はお互いの立場があったからです」
という、その会合は、どこで行われていたのでしょう。

1 搭乗員宿舎の裏の海岸
2 やっぱり桟橋
3 笹井中尉の私室
4 壊れた格納庫

答を知る可能性のあった「大空のサムライ」を書かれた方はこの春お亡くなりになったということです。

それは永遠の謎となってしまいました。