マシュー・モディーンという俳優は、(実は)個人的に好みのタイプ、というだけでなく、
「バーディ」や「アルジャーノンに花束を」(TV)など、演技力が無ければできない役をこなし、
なおかつ「メンフィス・ベル」の堅物で煙たがられているが実は腕のいい機長、というような
「優等生」役、ラブコメにも違和感のないロマンティックな容姿を持つ、良い俳優だと思っています。
そのマシュー・モディーンを一躍有名にしたのが、スタンリー・キューブリック監督作品、
ベトナム戦争に参加する海兵隊の若者を描いたこの映画、「フルメタル・ジャケット」。
1987年の映画なので何をいまさら感がありますが、
戦争映画で最も人気があるとも言えるこの作品を、今回(大画面で)観直してみました。
画像は、ラストシーン、瀕死のベトコンの女性スナイパーにとどめをさすことを躊躇う
ジョーカーことジェイムズ・T・デイヴィス。
自分の友人を何人も撃ち殺した憎むべき相手であるはずなのに、
「Shoot me」と虫の息の下から訴えるのが女性だからか、ジョーカーは当初
「彼女を置いていけない」などと甘ったれたことを口走り、仲間に罵倒されます。
引き金を引く瞬間のジョーカーの画像を描いたのですが、
こうしてできた絵を見ると、何かに似ている気が・・・・。
バックにゴッホ調の怪しい線を入れたせいもあるかと思いますが、このキレた感じの目は・・、
これは・・・まるで・・・。
「時計仕掛けのオレンジ」の主人公ではないですか。
はっ。あれもキューブリック。これもキューブリック。
この映画におけるマシュー・モディーンの役どころは、
高校時代は新聞部、ヘルメットに「Born to kill」と書き、胸にはピースバッジを付ける
海兵隊下士官。
ベトナムで「何故だ」と問われて「ユングの二重構造です」とさらりと答えるインテリです。
白皙に眼鏡をかけ、繊細な精神を持つ草食系男子、というところでしょうが、
その彼がためらいつつもこのような瞬間を経て女性を撃ち殺し、
「ミッキーマウスマーチ」の猥雑な替え歌を歌いながら戦火のベトナムを行進する。
「生きているのがハッピーだ」とうそぶくように述懐しながら。
人を兵士に変えるシステムがあるとすれば、例えばこの映画の前半で語られる、
アメリカ海兵隊の錬成システム、80日の地獄の訓練がそれでしょう。
そこでは、まさに草食系だろうが肉食性だろうが、繊細だろうが愚鈍だろうが、
ひとしなみにその世間的な観念や常識、平和とか倫理とか、人権とかの概念を
ゲシュタルト崩壊レベルにまで打ち壊してしまうような激しい「人格否定」が行われます。
ある意味、軍隊の非人間的訓練の代名詞ともなった、それがこの映画のハートマン軍曹。
今や鬼軍曹と言えばハートマン、ハートマンと言えば鬼軍曹、というくらいです。
え?ハートマン軍曹を知らない?
それでは。
お分かりいただけたでしょうか。
こんにち、アメリカのテレビでもしょっちゅうこのハートマン軍曹のパロディを目にします。
例えば去年の夏滞米していたとき、あるペン型携帯染み抜き剤のCMはこうでした。
軍服に誤ってシミを付けてしまう新兵たち。
ハートマン軍曹?が、一人一人に上のように罵声を浴びせながらそれを責める。
新兵たちは後ろ手で件のしみ抜き剤を問題の兵士にパスし、
ハートマンが一巡して問題の兵の前に帰って来た時にはシミは跡かたもなく消えている。
ハートマン軍曹、驚いて言うには
「なんだ?なんてこった!貴様はフーディニ(伝説の奇術師)の方法でも使ったのか?」
それから、この映画で皆が訓練のランニング中に歌う、歌ともなんともいえない代物ですが、
これは軍伝統の「ミリタリー・ケイデンス」という、一種のワーク・ソングというべきものです。
このミリタリーケイデンスを、何故今日のタイトルに入れたかについては後述するとして、
このケイデンス(ジャズ理論でもよく使う言葉でこちらは終止法を言います)も、
こちらではCMなどによく使われます。
ケロッグのコーンフレークの宣伝で、女子サッカーや男子野球のチームが
「おれたちタイガー」などというケイデンスを唄うCMはずっと継続して流れています。
ケロッグは歌っているのが子供でもあり、健全で真っ当な歌詞なのですが(多分)、
ミリタリーの方は、それは大変下品で卑猥で、下ネタを抜けば後には何も残らないというレベル。
そしてこれこそが、軍隊と言うものの「殺人マシーン養成システム」の一端を担っているわけです。
戦後日本では、例えば先日わたくしエリス中尉が、呉は海軍兵学校、いやさ、術科学校で、
「体罰なんてしたら大変なことになる」と言った案内係の言葉を憂えたわけですが、
「自衛隊は大切な国民の皆さんの子女をお預かりする場所」でありますので、
たとえ軍人精神を注入するためであっても、体罰などとんでもない、と公的にはされています。
そして、おそらくその技術を磨き、研鑽する目的も、決して敵を殺すことにはあらず、ただ
「専守防衛」という気高き一言に集約されているものと思われます。
しかし。
昔読んだクラウゼヴィッツの戦争論に、文言は忘れましたが
「世界のどこかで戦争が起こっていなかった時は、歴史上一瞬たりとて無い」
とあったように、そして戦後の戦争はほとんどがアメリカの関係するものだったように
(ざっと数えただけで朝鮮戦争に始まりその数20以上。勿論日本はゼロね)
この映画の訓練が行われていたとされるとき(も)、アメリカは戦争真っ最中。
海兵隊を卒業したら、すぐさま実戦配置され、戦地に行く運命です。
そこで国防だの専守防衛だのというお花畑のような言葉でなく、はっきりと
「敵を殺せ!殺さなければ死ぬのはおまえだ!そしておまえらはマリーン・コーアとして死ね!」
という言葉が、地獄の訓練と罵詈雑言で自我を失った脳髄にねじ込まれるわけです。
クリスマス。
彼らが歌うのは聖歌ではなく「ハッピーバースデイ、ディア ジーザス」
つまり、キリストの誕生日だから、それを祝うが、クリスマスを祝うのではない、という意味です。
そして、軍曹は祈りの言葉の代わりにこう続けます。
「神様に我々の殺す奴らのフレッシュな魂を捧げるのだ」
自我をとことんまで叩きつぶし、何者でもなくさせてしまうための訓練の一環として、
トイレには人数分の便器が、仕切りもなく対面式に配されています。
プライバシーなどという言葉はマリーン・コーアの殺人マシーンには必要ないのです。
ただでさえ落ちこぼれているうえに、徹底的にハートマン軍曹からにらまれ、そのため
「おまえ以外の全員に罰を与える」(本人は指をくわえさせられてそれを見学)
という、ある意味、最も残酷な懲罰を与えられ続け、精神を病むレナード(ゴーマー・パイル)
は、この広い便所で、卒業式の夜、ハートマン軍曹の胸を撃ち抜き、自殺します。
しかし、精神崩壊を免れ、自分を撃たずにすんだ卒業生も、すぐに
「ハートマンの罵詈など子守唄だった」とさえ思える、戦場の地獄を知ることになるのです。
ハートマン軍曹を演じたR・リー・アーメイは、
実はこの映画に演技指導に来ていた現役軍人でした。
実際に海兵隊で教官だったアーメイが、模範演技をしたとたん、キューブリック監督が、
「あ、ティム(もとのハートマン役)さー、もうやんなくていいわ。
こっち(アーメイ)の方が本物の軍曹っぽいし。
てか、本物だし。悪いね!
後の方になんかちょこっと代わりに出番作るからさ、メンゴメンゴw」
とか言って、アーメイをハートマン役に代えてしまったのでした。
ヘタな俳優も、軍人の役なら何とかサマになる、という例はありますが、この軍人さん、
並みの俳優よりよっぽどカンが良かったらしく、
一シーンに何テイクもカットを撮るので有名なキューブリック監督をして
「 これまで仕事をしてきた中で最高の俳優の一人で、
1シーン撮るのにたった2、3回のテイクで十分だった 」
とまで言わせています。
そのセりフはほとんど彼自身が決め、おまけに縦横無尽のアドリブ三昧。
(キューブリックは基本的にアドリブを許さない監督であると言われている)
出身地や本人の家族を侮辱、ありえない罵倒の連続に、出演者は本気で腹を立てたとのこと。
これはきっといかにもデリケートそうなマシューだったに違いない、と独断してみる。
そして、このハートマン軍曹パワーは日本の映画配給会社にまで及びました。
戸田奈津子という翻訳者がいますね。
ときどきヘンな翻訳をすることでも有名な超大御所ですが、彼女の翻訳を、キューブリックは
「逆翻訳」させ、なんと「汚さがない」とダメ出ししてしまったというのです。
女性にはとても大きな字では書けない?ような文句の連続ですから、無理はありません。
だいぶマイルドな表現になってしまっていたのでしょう。
かくして、彼女はキューブリックによって切られ、代りにアメリカ在住の男性が翻訳を手がけました。
なぜキューブリック自らが日本語の翻訳までチェックすることになったのか。
これは、ハートマン軍曹の役を引き受けることになったアーメイの出した条件が
「私のセリフを翻訳のときにそのまま訳すこと」というものだったからだそうです。
鬼軍曹恐るべし。
戦争そのものが人間の人格を全く顧みない所業であれば、そこに身を投じることが分かっているとき、
その非人間的な空間にあっても自己崩壊しないだけの非人間性を見につけているべきだという、
このハートマン式の訓練は、至極理にかなっているということができます。
知性と言うものがみじんでも残っているなら、単純なランニングのリズムに、
羞恥で口にするのもためらわれるような猥雑な文句を乗せたミリタリー・ケイデンスは、
まさに雑で、タフな、「戦場向き人間」にはもってこいの歌であるともいえましょう。
士気を高め、歩調を取るほかに、銃の装填のリズムや意思疎通、
ガス抜きやうさ晴らしなどのために取り入れられているケイデンスですが、
卑猥であるだけならまだしも、中には非常に笑えない残酷なものもあり、
おそらくは「通過儀礼」のように、歌うことを兵に強要する例も多くあったのでしょう。
退役軍人は、しばしばケイデンスを無理やり歌わされることが不快だったと述懐しています。
日本ほどではないにしろ、戦争を語るものに妙にナーバスになる層はアメリカにもあるようです。
例によってそのような論陣から「これは反戦映画である」とレッテルを貼られたキューブリック監督、
「これは反戦映画ではない、戦争をそのまま描いただけだ」とおかんむりであったということです。
しない方がいいに決まっている戦争について、そのまま描くことが許されず、
何らかのメッセージを込めないと逆に好戦的だと決めつけられるって風潮は、
なんとかならないもんでしょうか。
日本映画やテレビで、この映画のような
「本物の軍人がリアルに口にした平和的でないセリフや荒っぽい生態描写」があったら、
いろいろ面倒なことが起こるんだろうな。
何しろ、敵機撃墜と言っただけで目の色変える人すらいるからねえ・・。
しかし、妙に論点のずれているうえ、逆に戦争が「ドラマ」のように描かれる傾向のある
昨今の日本の戦争関係の映画って、反戦や厭戦を謳おうとするあまり、
妙にノスタルジックになってしまっていないか?と思わずにはいられません。
残酷で、非人間的で、猥雑で、下品で。
「フルメタル・ジャケット」の主人公は、ベトナム戦争です。
それがベトナムの真実の一面であったのなら、それを描くことは
それだけで十分意味があるではないですか。
ちなみに、ハートマン軍曹をクビになったティム・コルセリですが、
ヘリから誰彼かまわずベトナム人に発砲し、「よく女子供が殺せるな」と仲間に言われて
「簡単さ、逃げるのが遅いからな」と笑う、狂気じみた兵士を、一シーン入魂で演じています。
このキレ具合は、あれだな。
「キューブリックの野郎~!馬鹿にすんなよ!見とれや~!」
という私怨がこめられた迫真の演技と見た。
それから、ハートマン軍曹役で役者としてブレイクしたアーメイは、
(でもやっぱり本業軍人。もう退役していますが、割と最近叙勲されていました)
次々と「軍人役者」としていろんな映画やテレビ番組に出演。
その中にはなんと
トイ・ストーリーの「軍曹」役
が。
ええええ~っ(笑)