「M資金」という言葉をご存知でしょうか。
終戦後、GHQが占領中に接収した財産を基金にして作ったもので、
現在でもどこかで運用され続けているとされる 秘密資金です。
M資金詐欺というものが世間をにぎわせるようになり、有名になりました。
このM資金の「マーカット」 ならぬ「マッカーサー資金」とでも言うべきマッカーサーの隠し財産、
それをフィリピンから山下将軍の手で持ち帰った日本軍が、マッカーサーと壮絶な奪い合いをする、
という浅田次郎の同名小説を元にした映画がこの「日輪の遺産」です。
マッカーサーから奪った秘宝を日本の再興のため、
軍の密命を受けて管理することを任されたエリート青年将校たち。
彼らが任務の果て、終戦の8月15日に下された命令は、
そのため徴用された19人の少女たちと引率の教師を口封じのため殺害することだった。
何て魅力的な題材でしょう。
堺雅人、中村獅堂、八千草薫、
獅堂の老後と言われれば思わず膝を打ってしまうくらいのはまり役、八名信夫。
その他、堅実な演技をする役者で固めたというのに、
つまらない脚本ですべてを台無しにするという日本映画の最近の黄金のパターンを、
この「日輪の遺産」は、みごとに受け継ぐ結果となっています。
「八月壱拾五日のラストダンス」で、どうしようもない××映画に突っ込みまくり、
思わせぶりな絵とともにエンターテイメント読み物にしてしまう、
という 新しい境地に到達したエリス中尉ですが、この映画でもそれをやってしまうのだった。
しかしお断りしておきますが、この映画「八月壱拾五日」とは見応えの点で比べ物になりません。
何と言っても、配役にお金がかなりかかってるし。
映画は、これも日本映画のお約束パターン、「現代」から始まります。
ハワイに住む退役日系軍人、かつてマッカーサーに仕えた老人(ミッキー・カーチス)が、
やはり日系の記者(中野裕太)に語り出します。
ところが彼、イガラシがマッカーサーの口から「マイ・トレジャー」とつぶやくのを聴くシーン直後、
さらに場面は日本のある女学校の卒業式に。
市会議員を務め、山を買いまくった資産家の老人(八名信夫)とその妻(八千草薫)。
老人が式典途中亡くなり、老いた妻が語り出します。
なんだって、語り手が二重構造なのかしら。
全体的にまとまりのない構成で、ごちゃごちゃしているのはこのせいだと思います。
それでは最初から、淡々と「突っ込みどころ」を挙げていきます。
まず、真柴少佐(堺雅人)が陸軍から密命を受ける場面。
田中司令が会議中「畏れ多くも陛下におかれては」と言っているのに
阿南陸将(芝俊夫)がふんぞり返ったまま。
まず、このように軍人や軍隊の描き方がユルいのが非常に目につきます。
真柴少佐、小泉主計中尉(福士誠治)とヨコハマグランドホテルにいるとき、
望月曹長(中村獅堂)が、なんと出されたサンドイッチに真っ先に手を出し、
さらに、小泉中尉にお茶を入れさせたりします。
少佐と中尉と曹長ですよ。
海軍ならともかく、陸軍なら口もきけないレベルの階級差だったのでは?
この望月曹長は非常に軍人精神のたるんだ奴で、
「そういう気分になりません」という理由で玉音放送を聴くのをサボって風呂掃除をします。
そして、なぜか級長だからという理由でやはり玉音放送を聴かず風呂掃除する女学生久枝。
どっちも上官や先生から怒られると思います。
というか当時の日本人としてこれはありえないのでは・・・・。
玉音放送後、二人が風呂掃除している間に他の少女たちは集団自決をしてしまうのですが、
彼女らがそれを決意した時間や経緯が、観ている方には皆目わからない。
青酸カリを中尉から盗んだのは話を寝ているふりして聴いていた美少女スーちゃんで、
どうやら彼女は運ばされている箱の中身が金塊であることを知っていた模様。
だからこそ「皆で死んで日本のために金を守る」と決意するのはいいとしても、
なぜ、久枝が皆の集団自決からハブられたのかが、まずもって理由不明。
任務を行う間、粗末な小屋で少女たち、先生(ユースケ・サンタマリア)、
軍人3人が一つ屋根の下、雑魚寝するというのもヘンです。
そして、真柴少佐は参謀飾緒のついた軍服を上下着こんだまま寝ているんです。
真夏ですよ?どんな無精者でも、着たままは寝ないでしょう。
ましてや帝国軍人においておや。
そして、「いてもたってもいられず、身体だけはきれいにしてやりたいと思いまして」
小泉中尉が子供とは言え13歳の少女たちの背中を流してやる。
うーん・・・・・。
そもそも重い砲弾(実は金塊)を運ばせるのになぜ12,3歳の女学生を使うのか?
という大疑問に関しては、
「引率する教師が平和主義者のアカ教師だったから、この際まとめて始末」
ってことだと思いますが、だとしてもそんなことしている場合かな?って気もします。
そして、最も笑いどころは、本日画像右下。
軍首脳部から直々に命を受けた真柴少佐らですが、何故か連絡してくるのは昭五式(旧式)の
マントを八月に
着こんだ謎の陸軍軍人で・・・・・・・これ誰だよ!
帝都物語じゃあるまいし。
その謎の軍人が「女生徒ら全員を秘密保持のために始末せよ」という命令を伝え、
青酸カリを渡して行くのですが、これがどこから出たものか最後まで分からず。
「女学生など殺せません!」と、命令の撤回をお願いに阿南陸将を訪ねたら、
あーら、びっくり、阿南閣下ったら切腹の真っ最中。
それでもお構いなく声をかける真柴少佐。
阿南閣下、苦しい息の下から「そんな下命はしておらぬわ!」
切腹中に、しかも人生最後の瞬間に、覚えのない命令を責められる阿南陸将も大変だー。(棒)
このマント男、なぜか生き残った久枝を殺しに現れ、真柴少佐に斬られます。
終始側車(サイドカー付きのオートバイ)に乗っているのに、なぜかいつも一人で行動。
たとえ斬り殺されても誰も気づいてくれないので、単独行動はやめた方がいいと思います。
集団自決のあと、「引率の義務がある」と壕に入って行く先生をみんなが見送りますが、
久枝は全員の自殺にも、先生が壕の中で引き金を引く音にも、全く動じず、叫びもせず、
泣くことすらしないのです。
真柴少佐が地面を転げまわっているのに、彼女の冷静ぶりは不気味なほど。
また、眼の前で真柴少佐がマント男を斬り殺しても平然としている。
度胸がすわり過ぎで、こっちが軍人ではないか、ってレベル。
最後がまたアリエナイザー(知ってます?)の集大成。
終戦後、小泉中尉はGHQに乗り込み、マッカーサーに取引を持ちかけます。
財宝のあり場所を教える代わりに、復興の債権をアメリカが引き受けてはくれないか。
ちょっと待った。
マッカーサーにすれば「それはもともとわしのもん」でしょ?
当然答えは「ノー」ですよね。
それを聴いた小泉、眼の前でイガラシの銃を奪い(笑)自殺してしまいます。
それを見たマッカーサー、急に物分かりがよくなり、その条件を飲むのでした。
小泉は財宝のあり場所も教えずに死んだっていうのに、なぜ?
ほどなく米軍基地となった敷地内の壕のなかから財宝が見つかります。
その周りには「鬼となって財宝を守る」と死んでいった少女たちの骸骨。
マッカーサー、それを見るなり「父の遺産など無かったのだ」
と財宝をあきらめ、周りを囲ってしまう。
「草花を植え、緑でここを覆い、永久に開放してはならぬ」
? ? ?
いや、10万20万の金額じゃないのよ?
当時の900億ですよ?
かたやこちらは戦後数十年、なぜか大金持ちの名士になり、その資力で
壕のある米軍基地の周りの山を買い占める望月。
周辺をガッチリ買い占めて、そのうち基地が返還されたあかつきには、
金塊をゲットしたうえ地上げしまくる、少女らの菩提をあらためて弔う、という算段です。
しかし、それも政府民主党の迷走のおかげで先の見えない話。
財宝も骸骨もそのまま、望月は死去したというわけ。
望月の死後、孫と婚約者、婿を連れて基地内の壕を訪れた久枝。
なんと壕の前にいると、祠から全員の幽霊が出てきて、久枝に声をかけるのです。
しかしここで驚いてはいけない。
後ろで見ている孫娘と婚約者にも彼らの幽霊がばっちり見えるのです。おまけに
「あの大きいのが松さんね」
「あの美少女がスーちゃんだな」
・・・・って、おばあちゃんから聞いた話と幽霊を平気で照合すんなっての。
真柴司郎の戦後も、観ている方には気になるところだと思うのですが、老久枝があっさり
「昔うちの離れを借りて剣道の教室をやっていた真柴さん」
と説明するに終わります。
陸大卒で「恩賜の軍刀組」だった軍人が、なんで剣道教室で糊口を凌がなくてはならんの?
かつての部下も地上げで儲けて市会議員まで成り上がったってのに、なぜ助けないの?
おまけにいつの間にか真柴は死んだようですが、どうやって死んだか、
生きている間財宝を守ることに関して何かをしたのか、一切説明なし。
そして、題名の「日輪の遺産」。
ここで最初に帰って思い出していただきたいのがそもそもの設定。
「マッカーサーの父親が、フィリピン独立のために隠しておいた資金」つまり強奪した金。
これを日輪の、つまり日本の復興資金にしようって考えからしてそもそも間違ってませんか?
「八月壱拾五日のラストダンス」で「終戦を知らずダンスをする兵隊と看護婦」が
映画に描きたいイメージとしてあったように、この映画の製作者は、
「出てこいニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄に逆落とし」
という、西條八十の「比島決戦の歌」を日本人が当のマッカーサーの前で歌う、
というシーンをどうしても描きたかったと見え、なんと全編通じて8回、この曲が歌われます。
それも、マッカーサーの前でそれを歌う日本人は二人います。
その一人、小泉主計中尉の口から
「こんな醜い歌をあいつらは口ずさんでいたんだ」と言わせることが
この映画の第一目的だったのではないかと思われるほどです。
あまりにしつこいくらい繰り返されるので、オチが読めてしまってうんざり、という
これもいつものお約束パターン。
「山本五十六」でも言いましたが、最近の映画の製作者って、伏線の作り方が実に稚拙。
「自分がどこかで見た表現」の二番煎じしかできなくなってしまっているみたいですね。
というわけで、こうしてあらためて書きだしてみると「八月壱拾五日」レベルの
「なんじゃあこりゃあ映画」であることは決定なのですが、
にもかかわらず、この「日輪の遺産」は不思議にせつない印象を残す映画です。
何を言うときも微笑んでいるように見える堺雅人の、
だからこそ注目せずにはいられない、不思議な演技。
こんな男に「守ってやる」と言われたら、さぞ頼もしく思ってしまうであろう、
中村獅堂の「曹長」の無骨な男っぷり。
そして「死んで鬼になり国を建て直す宝を護る」という少女たちの決意が、
当時の軍国少女たちの持っていた純真な魂を思うと、決して荒唐無稽に思えないこと。
何より、全く評価されていないようですが、バーバーの「弦楽のためのアダージオ」を思わせる
加羽沢美濃の美しい挿入曲が、この映画のそういった美点に光を与えて、
辛うじて?映画の品格を支えているようにも見受けられます。
最後にもうひとつ。
かつて自分に下命したA級戦犯梅津の入院している病院を訪ねる真柴司郎と、
語り部の一人、日系通訳のイガラシ。
陸軍士官の制服のあんなにお似合いだった真柴少佐が、こんなさえない男に・・・(T_T)
それはともかく、この二人の後ろにMPとナースがいるのですが、
字幕に出ないのをいいことに、この二人、実はこんな会話をしています。
「ロバート中尉の病状は?」
「良くなると思うわ」
「それはいいニュースだ。ところで、今晩食事でもどう?」
「いいわよ!」
「ほんと?」
「今夜ね」
「後でねー♥」
おい・・・・。