一日副官
副官という職は、読んで字のごとく官に副えると言うくらいで、羨望の職とは言い難く、
むしろ人格を認められているとは言えない配置、と言われていました。
ただ、恰好だけは、飾緒(斜めにかけているモール)が銀色で、
これは陸海軍の皇族就き武官と同じ色だったので、
陸軍省や宮中では副官も間違えられて相当な敬意を表されました。
ちなみに陸軍の副官は黄色いタスキだったので、すぐに副官だと分かってしまい、
それなりの待遇を受けました。
今日はこの「人格を認められているとは言えない職業ナンバーワン」、
一日副官になってみましょう!
あなたは、恰好だけは立派な副官となって赤煉瓦の海軍省に出仕します。
まずは着任のあいさつから参りましょう。
直属上官の総務部一課長T大佐です。
「副官の仕事は大変でご苦労だ。本部長は気短かだが、竹を割ったような性格だ。
左手が不自由だからよろしく頼むよ」
いきなり不安にかられるあなた。やっぱり副官は大変な仕事?
続いて総務部長、航空本部長などのオエラ方に恐る恐る伺候。
左手が不自由、というのは、どうやらシナ事変の爆撃隊参加の際やられて、
義手になっておられることのようです。
名誉の負傷により栄誉の閑職、といった方でしょうか。
「おお君が新しい副官か。しっかりやれ」
続いて、部内を挨拶して回ります。
「エス(芸者)のお披露目でもあるまいに・・・」
あなたはいささかうんざり。
仕方ありません。エスも副官も、第一印象は大切。
これも仕事のうちだから我慢せい、とO大尉に慰められながらお座敷を、
いや各部署を引きまわされます。
各部署に雁首を並べている佐官の皆さんが、申し合わせたようにこう聞くので、
あなたはきっと驚くでしょう。
「君も体を壊したかね」
ちょちょ、ちょっと待って下さい。
ここは身体を壊して一線で働けない人たちの吹き溜まりなんですか。
もしかして窓際ですか。
「どこも悪くないのに気の毒に」
そんなこと初日に言われたら、どん引きするんですが。
さて、副官の仕事とは何か。それは
「差使随従」さしずいじゅう。
そう、四文字でいえばいかにも偉そうに見えますが、なんのことはない
「カバン持ち」またの名を「腰ぎんちゃく」。
「副官、今日はついて来んでええよ」
と言われぬ限り、何処へでも一緒に行くのがあなたのお仕事。
そして、責任のある仕事も任されます。
それは機密費の管理!
凄いですね。副官保管の金庫のカギを任されたあなたは、めったにお目にかからない百円札で、
自分のお金ではない巨額の機密費の管理を任されるのです。
これを男子の本壊と言わずして何と言うのでしょうか。
ちょっとまて、こういう仕事のために主計科短現士官というものがいたのではないか?
と思われたあなた、あなたは正しい。
しかし、当初はこのように兵科将校がやらされていたのです。
あなたはまだ大戦初期の頃の副官ですからね。
このように副官の仕事は「副官ハンドブック」に書かれており、それと首っ引きで、
航空本部長の出張の時には車の手配から、女中さんへの心付けまで、
実に細やかな気配りを要求されることになります。
「おい副官」と呼ばれれば答えられるところに影のように立っている仕事ですから、
当然のように宴会でも大活躍。
宴会で縁の下の幹事を務めるのが副官です。
この宴会も海軍内ではたいして問題はありませんが、陸軍との合同宴会、これが大変。
一言で副官と言っても、陸軍の副官と海軍の副官は、その待遇においてずいぶん違いました。
例えば東条大将の副官で当時飛ぶ鳥落とすと言われたほどの陰の実力者某大佐ですら、
宴会には別室を用意し、親玉の宴会終了までひたすら待っていなくてはいけませんでした。
当然というか勿論というか、海軍のように副官も同じお座敷で、
ヘタするとおやじを差し置いてSにMM(モテモテ)、
「おーい副官、こっちにも回さんか」
などと言われて頭をかきつつも和気あいあい、などという無礼講は
陸軍ではまず考えられないことなのです。
したがって、陸軍主催の宴会には
「副官用の末席を用意してください」とあなたはわざわざ頼まなくてはいけません。
きっと、陸軍の副官は驚いてこう言うと思います。
「あんたがた、それでよく酒や食い物が喉を通りますな。私だったら味も分からんと思う」
車に乗るとき、陸軍の副官はここでもきちんと、助手席に座ります。
同席などとんでもない、のです。
しかし、海軍のあなたはおやじの隣りが指定席です。
ヘンに上官に気に入られてしまうと、何かと問題な配置ではあります。
さて、仕事にも慣れてきたあなたは、こんな場面にも立ち会います。
大本営陸海軍部作戦会議にあなたのボスが出席。
このような重大な局面であなたはまず何をすべきか。
そう。お茶汲みです。
あたしたちお茶汲みするために副官になったんじゃないんです!
なんて、甘っちょろいことは言わんでいただきたい。
何しろ、ここは作戦室。
エラい人も男のいれたお茶など飲みたくもないでしょうが、余人は何人たりとも立ち入り禁止。
あなたと、陸軍の副官、二人で協力し合ってお茶くみをせねばなりません。
そして心をこめて入れたお茶を運んで「おう、海軍の副官、貴官のいれた茶はうまいぞ」
なんて陸軍のお偉方に言われるようになったら、
あなたも海軍副官として仕事冥利に尽きるというものです。
たぶん。
しかし、いくら顔なじみになってお茶を褒められても、海軍式に東条大将をつかまえて
「いやあ、ありがとうございます総長!」
なんて言ってしまってはいけません。
ほら、皆ものすごーく不機嫌になってしまったでしょう?
はて、オレなんかまずいこと言ったけ、と首をひねっているあなたに、
陸軍の副官が陰でこういうではありませんか。
「あまり僕らをひやひやさせんでくれ給え。
君が東条閣下を総長と呼び捨てするたびに、
そのはねかえりがいつ我々の方に来るかと冷や汗ものだよ」
そう、陸軍では少将以上には○○少将閣下、と閣下を必つけなくてはいけないし、
大佐以下には××大佐殿、と言わなければならないのです。
海軍士官のあなたは「少将、大佐」が敬称であると教育されているのですが、
陸軍にはそれがとてつもなく失礼に聞こえるのです。
めんどーくせー組織だな陸軍てのは、などとたとえ陰でも言ってはいけませんよ。
あなたや他の海軍軍人がそういう態度だから、陸軍は「海軍は礼儀知らず」なんて言うのです。
さて、せっかくここまで来たので、もう一日、副官をやってみてくださいね。
次号にむりやり続きます。
おっと、本日挿絵は一体何だ、って?
阿川弘之氏の名著「井上成美」で、「コーキ」という井上大将のオウムが
「フッカンノバカ」
としゃべっていた、という記述があったのを読んだ方は覚えておられますか?
あれ、阿川氏は書いていませんでしたが、
いったい誰がオウムにそれを教えたんだと思います?