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笹井中尉の三段跳び撃墜

2012-02-13 | 海軍

     

笹井中尉生誕94周年記念スペシャルです。

撃墜された敵機の前で撮られた笹井中尉の写真から、
ボケた画像をもとに、不鮮明な部分は想像力で補い、肖像をねつ造しました。
パソコンに落として拡大しても元の画像が粗いとアップが鮮明に描けません。
去年亡くなったときに描いたジョブズの画像などは元写真が恐ろしく鮮明なので、
それだけリアルに描きやすかったわけですが。

さて、今日タイトル、笹井中尉の「三段跳び撃墜」について。
坂井三郎著「大空のサムライ」でも有名になった、
笹井中尉が師匠の坂井氏が見守る中、一航過において三機を撃墜した
という胸のすくような撃墜話です。

初版の「坂井三郎撃墜記録」によると、陸攻隊の攻撃を容易ならしめるために、
偵察を兼ねて敵兵力を少しでも削ぐ、という意味で毎日のように行われていた
「モレスビー詣で」の何処か一日に、それは行われたということになっています。

初版の「坂井三郎空戦記録」には、実はこの三段跳びが図解で示されています。
4コマに分けてみました。
ちなみに列機の皆さんは上空で少し後ろを飛んでいます。

機速を伸ばして最後尾の敵の後上方、絶好の位置に辿りついた笹井機
左に大きくひねり込んで襲いかかる
一撃で三番機を仕留めた笹井機、直後に急上昇


急上昇したところはちょうど二番機の500メートルの位置
同じ攻撃法でひねり込みながら50~60メートルまで近づき二番機を撃墜
操縦員がやられたらしく機はきりもみ状態で落ちて行った


 

後ろで何が起きたか隊長機は気付き、機首を上げ宙返りの態勢に入ろうとする



宙返りのため笹井機と直角に背中をさらした一番機、至近50メートルから敵機要部を撃ち抜く
機はGがかかった状態だったので片翼が飛び、回りながら落ちて行った


この後坂井氏は両手を操縦桿から放して手を叩き、その成長ぶりを喜んだと書かれています。
笹井醇一中尉の戦歴については、戦後「大空のサムライ」に語られたからだけでもなく、
大戦中から海軍関係者の間ではすでに華々しく喧伝されていたようです。

例えば全く事情を知らないでラバウルに赴任してきた従軍画家の林唯一氏なども、
新聞記者から「坂井などと並ぶ、海軍航空隊の至宝と言われている」と噂を聞いて、
それを戦中の著書に書いていますし、
あるいは海軍兵学校の同級生などもその活躍を喜んでいた、という文章が
少し探せばあちこちから見つかります。

「チョットどもるような早口を、眼をしばたたかせながら語る笹井の風貌から、
日本一の零戦乗りの強靭さを察することは難しいが、
飛行機乗りにならねばと頑張りとおした根性こそ、
彼をして撃墜王たらしめた原動力であったろうか」
兵67期 吉村五郎氏

「気性の強い点では、我々同期の飛行学生仲間では随一であったと思う。
戦闘機に進んだのも、撃墜王の勇名をとどろかせたのももっともなことである」
兵67期 肥田真幸氏

「その後私は12連空、11連空の教官配置を廻りながら
次々報道せられて来る華々しき活躍振りを羨ましく思いつつ
武運長久を祈っていたものであったが」
兵67期 入谷清宏氏


その、戦中から世間につたわるところの評判と、「サムライ」における笹井中尉の「天才ぶり」、
図解したような「絵にかいたような胸のすく撃墜」。
どれも、ヒーロー笹井中尉を称賛するものばかりです。

しかし、と言っていいのかどうかは分かりませんが、
ここで虚心坦懐に「台南空行動調書」を読んでいきましょう。
ここでは「エリート戦闘機隊」として名を馳せた台南航空隊といえど、
絵にかいたような圧倒的な勝利は、なかなか読み取ることはできないのです。

例えば、朝5時45分1直の発進から、午後3時の帰投である7直まで、
およそ丸一日上空哨戒を続けても、「敵ヲ見ズ」が数日続いたり、
「撃墜」とあっても大抵誰のものによるか分からず、共同撃墜となっていたり、
あるいは不確実であったり。
アメリカ側の認識でも「このころのラバウルでは圧倒的に日本が強かった」
ということになっているのに、です。

そして、本日タイトルである「笹井中尉の三段跳び撃墜」ですが、
このように図解までされて生き生きと描写されている撃墜劇について、
記録されているはずの戦果を求めて、台南空の行動調書を一枚一枚丹念に見ていっても
「笹井中尉が単独で3機撃墜したという記録はどこにもない」のです。

このような状況で、しかも撃墜したのが士官であり、
列機が何機もそれを眺めていたわけですから、まさか未確認不確実になるわけもないでしょう。
もちろん不確実扱いで3機撃墜したとされる日すらありません。


これは・・・・・。


巷間伝わる笹井中尉の活躍を、あらためて創作により色付けして、
エンターテイメント小説として分かりやすく、ヒロイックに描写した結果が
「三段跳び撃墜」だったのでしょうか。
笹井中尉のみならず、台南空の搭乗員たちを生き生きと活写するついでに
読み物として読者サービスを「盛った」エピソードがほとんどなのでしょうか。

しかし考えるまでもなく、彼らは「映画の登場人物」ではないのです。
その命をかけて戦争をしていたのです。
実際の戦いはもっと地味で、悲壮な毎日の連続で・・・・
もしかしたら「大空のサムライ」や「零戦ブーム」が一部の元軍人たちに受け入れられなかった
という理由も、このあたりにあるのかもしれません。

実際に元軍人の口から
「本に書かれたことは、大概綺麗ごとで実相とは程遠い。
しょせん歴史は声の大きなものが作って行くんだなあ」
と嘆く声を聞いた人もいます。


もし笹井中尉が戦死することなく、戦後坂井氏と一緒に「笹井・坂井株式会社」を経営していたり、
肥田氏が予想するように、航空自衛隊に入ってパイロットを続けていたら、
このエピソードが坂井氏の口から語られることはなかったのかもしれない、などと考えてみます。

しかし、そうではないかもしれないと薄々知りながらも、この物語の登場人物を愛するがゆえに、
そうあってほしいと何より願っているのは、戦争を知らない我々であることも確かです。
さればこそ、敵上空宙返りの逸話や、容易に行動調書から真偽を確かめることのできるこの話を
誰もはっきりと検証せずにいるのかもしれません。